第16話 県大会まであと
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才徳学園テニスコート。
意気揚々と戻ったふたりの目に、思いがけぬ光景が飛び込んできた。
白金の短髪がまぶしい他校の男子生徒が、制服姿でラケットを持ち、コートに立っている。その対面でがくりとうなだれるは杉山であった。
「ゆ、譲さん?」
「なんやアイツ──あの制服、見覚えあるなァ」
「さっき散々見てきたじゃないスか。あれ青峰の生徒っスよ」
と、明前は周囲のようすをたしかめる。
レギュラー以外の部員の姿はなく、コート外では大神を筆頭にレギュラー面々が厳しい表情でコート上のふたりを見つめている。
ベンチに座る蜂谷のもとへ駆け寄ると、彼は見向きもせずに「おかえり」とノートをめくった。
「蜂谷さん、なんスかアイツ。まさか譲さん負けた?」
「そのまさかだよ。突然青峰から来たかとおもえば、大神に対して自分とシングルスしろって。──それで、大神がなぜか杉山を名指ししたわけ」
「は、雑魚メンタルの譲さんに突然のシングルスって。それは」
「ああ、それで見ての通りこのザマだよ。たしか
「……犬塚。……」
伊織がコートへ視線を移す。
先ほど偵察先の青峰学院で、水沢がその名を言った。S2の犬塚と。
犬塚は、ラケットを肩にかついでぐるりと他のレギュラー陣を一瞥した。最終的にたどり着いた視線の先は、大神謙吾。
ベンチに深く腰かける大神は、しかし青峰の挑戦者ではなく杉山を見つめている。犬塚は声を張り上げた。
「才徳のレギュラーも対したことねえな。おい、アンタが出てこいよ才徳のボス。俺はアンタとヤりに来たんだ」
「…………」
「てめえ、いきなり来たと思やぁ練習荒らして──何様のつもりだッ」
早々に我慢の限界に達した倉持が飛び出した。いまにも殴りかからんとするので、あわてて姫川がそれを抑える。体格差のある相手を抑えるので顔が真っ赤だ。
「これ以上ここで騒ぐなら、てめえんとこの顧問に連絡して引き取りに来てもらうぞ!」
「テメエに用はねえ。おい大神サン、あんな雑魚の相手させやがって、アンタ俺のことバカにしてんのか?」
という犬塚の言葉に、杉山の肩がびくついた。
同時に倉持を抑えていたはずの姫川までが「オラァ」と声を張り上げ、これまで審判ポジションから動かなかった星丸と天城も「おいコラ」と眉尻をあげて犬塚に迫る。
たまらぬようすで、明前が杉山のもとへ駆け寄った。杉山は悔し涙を隠すように顔を伏せながら、ゆっくりとコートを退場する。
その後ろ姿に、犬塚がなおも言葉を畳み掛けようとした矢先のこと。これまで微動だにしなかった大神が立ち上がった。
「言いたいことはそれだけか」
「あァ?」
「青峰にしてはめずらしく、ずいぶんマナーのなってねえ犬がいたもんだ。わるいが俺は、選手として尊敬できる人間としか試合はしねえことにしてる。テメーの頭でも分かるように言ってやろうか。これ以上ここで喚いても、俺がいまのてめえと試合をすることはねえってことだよ。分かったらさっさと帰んな」
「ハッ、負けるのが怖ェのか」
「そういう煽りは──人を選んで使うことをオススメするぜ。おい、外周組を召集しろ。本日の練習は以上だ!」
と、大神が声を張った。
彼の号令ひとつで、これまで怒り心頭だったレギュラー陣はみな我に返ったか、「ハイ!」と返事をして各々撤収の用意をはじめる。外周組とは、レギュラー陣以外の部員のことである。
待てよ、となおも声を荒げた犬塚だが、大神はくるりと背を向けて、その後は一瞥たりとも視線を向けることはなかった。
始終冷静だった蜂谷が、コートを施錠するから外に出てくれと説得することで、ようやく犬塚を追い払うことに成功。ランニングに出ていたためこれまでの出来事を知らない外周組も、レギュラー陣の不穏な空気を感じたか、誰ひとり他校の生徒について尋ねることはなかった。
部室で、杉山を除くレギュラー陣が着替えを終える。先ほど明前につれられてコートを出た彼は、しばらくひとりにさせてくれ、とその姿を消したのである。
薫、と姫川がバッグを片手に明前を見上げた。
「アイツ知らねーか?」
「譲さんならたぶん、部室棟の裏んとこにいると思いますけど──てか、そんなにヒドイ試合だったんスか?」
「まあ、ひどいっつーかもどかしいっつーか。アイツの凄さを知ってる身としては、あり得ねえ試合だったな」
と、姫川が苦笑する。
どうせあれだろ、と倉持は短髪をぐしゃりと掻きつぶした。
「相手の見た目がオラついてたから、ビビったんだろ」
「は? 自分があんなナリして?」
「人一倍声もでけーくせにな」
と。
蜂谷とともに、コートから遅れてやってきた大神がわらった。杉山が部室棟の裏手にある水道付近にいるだろう、と聞くや躊躇せずそちらへ歩き出す。一応気を遣っていたレギュラー陣たちは、
「お、おい大神──」
と、控えめに止める。
しかし彼は「まあ待ってな」と言い置いて、その背中は部室棟の裏へと消えた。
「待ってろ、ったってよ──」
「気になるよな」
倉持と姫川は顔を見合わせ、うなずいた。
ふたりを先頭に、レギュラー陣はこそりと裏手を覗く。
──タオルを頭にかけた杉山がいた。
足音が聞こえたか、その顔をあげる。音の正体が大神だとわかった瞬間に彼の肩が跳ねた。
目も当てられぬ試合になったことが申し訳なくて、悔しくて、杉山はひたすら己を責めていたところである。さんざん流したはずの涙が、また湧いてくる。
しかし大神は杉山の顔を見るや、ハァッハッハッと大きく笑いだした。あんまり大きな声に驚き、溢れんばかりの杉山の涙は一瞬にして引っ込んだ。
こそりと覗き見するレギュラー陣も、困惑した顔を互いに見合わせる。
テメーは、と大神はなおも肩をふるわせた。
「ッククク、さっきの試合──ホントに分かりやすいヤツだな。ブハハハッ」
「そ、そない笑わんでも──」
「ハーァ。テメーの実力二十パーセントも出てなかったぜ。逆に、メンタルひとつでよくそこまで手元が狂うもんだな」
「…………ほ、ホンマにスマン。こんなハズやなかってん。大神に指名されたときは嬉しくて、やったるでって気持ちで──ほんでやってみたらなんやめっちゃ睨み付けてくるし、いつもやったらうまく入るもんも入らんくなってしもて」
「おい、杉山」
「…………」
「県まであと何日だ?」
「……あと、十日。せや十日しかない──」
「そうだ。まだ十日もある」
大神はにやりとわらってとなりに腰かける。
「その十日間で、テメーのそのプレパラートみてえなメンタルを防弾ガラスにまで仕上げるぞ」
「え、」
「杉山譲という男の実力を一番よく知ってるのは、テメーじゃねえ。この俺だ。このままやられっぱなしで終わるんじゃ俺が我慢ならねえからな。いいか、明日からは死ぬ気で俺の練習についてきな」
「お、おん──」
「それで県大会決勝、テメーの実力を余すことなく、いや倍にして出させてやる。この俺がな」
大神が杉山の肩をがしりと抱く。
その顔には、にんまりと不敵な笑みが浮かんでいた。
それを聞けばもう我慢ならない。
影から聞いていたレギュラー陣が、一斉に飛び出した。
「マジで腹立ったぜ、アノヤロー」と、姫川。
「こうなりゃ青峰に一泡吹かせるぞ」とは、倉持。
そうッスね、と明前はつぶやいた。
ちらりと姫川と蜂谷を見て拳を握る。
「悪いスけど、D2とS3の出番たぶんないっス」
「お、おまえら──」
杉山の顔に、感動の笑みがこぼれた。
強気だな、と大神はわらった。
「青峰相手にストレート勝ち──上等だ。ならお前の方の偵察結果も聞かせてもらおうか、明前。一緒にいったあいつはどこ行った?」
七浦伊織は、と。
その行方を問われていた当人は、すでに才徳学園にはいない。
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