第7話 待ち合わせ

 試合は拮抗した。

 互いにサービスゲームを一歩も譲らず、大神リードのゲームカウント6-5。倉持がサービスゲームとなるここをとればタイブレークとなるはずだった。が、ここにきて倉持のファーストサーブが乱れた。

 その隙を、大神は見逃さない。

 内に生じたわずかな焦りは、球の乱れにあらわれる。結局、倉持はこのゲームを落とし、一時間半に及ぶ激闘はゲームカウント7-5、大神の勝利におわった。

「あーッくそ!」

「最後のゲーム、トス悪いのに焦って打たなきゃタイブレークはいけたぜ。あとはストローク、基本は申し分ねえがラリーが続くと膝が伸びる。太もも鍛えな」

「──わかった!」

 悔しいながらも、大神の指摘はためになる。

 倉持は瞳を爛々と輝かせて、腰を落とし素振りをひとつした。

 時刻はまもなく十七時をむかえようとしている。大神がさけぶ。

「今日はここまでだ。各自ストレッチ!」

「はい!」

 午後イチからはじまった練習は、四時間ののち終了した。結局さいごまで見学した伊織は、コート外に捌けてから、なぜかじっくりと倉持を見つめている。

 清々しい顔でストレッチを終えた倉持が、その視線に気がついた。タオルを肩にかけ、ニコッとわらって駆けてくる。

「七浦、どうだった。楽しめたか?」

「ウン──もう最高やったで。倉持クンたちの試合なんか手ェふるえたもん」

「おっ、そうか。そりゃよかった」

「倉持クン、楽しそうやなァ」

 伊織はしみじみとつぶやいた。

 そのままの意味でとらえた倉持は、上気した頰をパタパタと仰ぎながら「そりゃあな」と胸を張る。

「大神と試合すんの、好きだから。アイツ強ェーだろ!」

「うん!」

「アイツとおんなじコートでテニスが出来るうちに、もっと強くなりてえからよ。そんでいずれは奴を超えてやる」

「…………」

 心底楽しそうに汗をぬぐった倉持に、伊織は見とれた。そっか、そうなんや、と口内でぶつぶつとつぶやき、憂い気にテニスコートへ目を向けた。

 撤収、という大神の声で、一年生の三人がカートに乗せたテニスボールを運び出す。続々と二年生も部室に戻るのを見て、倉持が部室棟を指さした。

「俺たち着替えるから、校門前で待ってろ。いっしょに帰ろうぜ」

「あ、それやったらゆとりの森公園のテニスコート寄ってこや。愛織と待ち合わせしてんねん」

「え、マジ? 大神に聞いてみる。ちょっと待ってな、校門前だぞ。帰んなよ!」

「あーい」

 倉持はバタバタと部室へ向かった。


 構わねえよ、と大神は言った。

 蜂谷はたまに、この男にノーということばはあるのか、と思うことがある。けっきょく昼の杉山に対しても、仕方ねえなとデザートまで奢ってやったのだから。

 が、いまは飯の話ではない。

 これからゆとりの森公園のテニスコートで、七浦愛織と会ってみないか、という倉持からの提案だ。もしかすると試合も出来るかもしれない、という話だが、先ほどまで激闘を繰り広げた大神である。さすがにキツくはないかと一同が案じたが、本人はけろりとした顔で、さきのことばを述べたのであった。

 倉持はラケットバッグを持ち上げて、ロッカーを閉める。

「ま、向こうも寝耳に水だろうから、試合するかはわかんねえけどよ。行くなら早く行こうぜ、七浦──あー、伊織が校門前で待ってる」

「先に行ってろ。鍵当番も、今日はそのまま俺がやる。すこし先生と話してくる」

「分かった。なるべく早く頼むぜ」

 だからといって、全員で行く必要もないのだが、もしもふたりが試合をすることになれば、これまた見物になるにちがいない。それを思えば、行かないという選択肢は彼らにはなかった。

 校門前では、伊織が携帯で電話をしているところだった。相手はどうやら件の姉のようである。

「せやねん。一本試合してほしいねん──平気? うん、せやったら公園のテニスコートのとこで待っとって! 距離的にはうちのがはよつくかもわからんけど。うん、ほなね」

「仲良いんだな」

 姫川がにゅっと顔を覗かせた。

 伊織とそう変わらぬ身長で、親しみやすい性格ゆえか、伊織もすっかり馴染んで「姫ちゃん」と呼んでいる(本人はあまりよく思っていない)。

「西にいたころはいっつもいっしょにおったんやんか。初めてやで、学校も家も違うなんて」

「エッ、いっしょに住んでねえの?」

「桜爛ってな、立派な寮があんねん。それに向こうは東京やけどこっちは神奈川やんか。うち早起き苦手やから、あんまし学校から遠いとこ住みたないし──愛織も一度寮生活してみたかったんやて。せやから離れた」

 そういやさっき、と杉山が拳を手のひらに打った。

「弁当作ってくれるおっちゃんとか言うてはったな。伊織はどこ住んどんねん」

「ラーメン屋の二階を間借りしとんの。親の──昔からの知り合いやっちゅうんで、甘えさせてもろて。優しいおっちゃんやで。最寄駅のさ、高架下くぐったとこにある味楽って知らん?」

「ああ知っとるわ。公式戦のあとに一回食べに行ったんやんな」

「店主の顔めっちゃこえェけどバカうまいっスよね、あそこの餃子」

 と、明前もうなずく。

 そのまま話題はラーメン屋味楽へと移っていった。が、やはり一同が気にするのは彼女の親のことである。いまだに西にいるのか、あるいは別の場所で暮らしているのか──デリケートな質問ゆえ、誰ひとりそこに触れないでいた、のだが。

 ピュアなのか馬鹿なのか、空気を読むことを知らない星丸が「えー」と声をあげた。

「じゃあ一人暮らしってことスかぁ。親は?」

「バ──」

 馬鹿おまえ、という想いがこもる杉山の視線が、星丸に向く。しかし伊織はけろりとした顔で「うーん」と顎をあげ、

「うちちょっと複雑やねん」

 と苦笑した。

 さらに問いかけんと口を開きかけた星丸の耳を、姫川が「そうか!」と言いながらぐいと引っ張る。それによって初めて、他のレギュラー陣が醸し出す空気に気がついたか星丸は「あっ」とちいさくつぶやいて、ようやく閉口した。

 まあとりあえず、と姫川が伊織の肩を抱く。

「あのラーメン屋行ったらお前もいるってことだよな。ダチ割とかねえの?」

「ええで、交渉したろ!」

「やりー!」

 と、姫川が拳を突き上げたとき、校舎から大神が歩いてくるのが見えた。悠然と歩いてくる姿は、まるでどこぞの貴族である。長い足ゆえ一歩のストライドが広く、あっという間に校門前へたどり着いた彼の口許は、わずかにあがっていた。

 倉持が首をかしげる。

「早かったな」

「ああ。──待たせたな、行こうぜ」

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