第一章

七浦ってヤツの話

第1話 才徳のカリスマ

 私立才徳学園。

 才徳とは『才知』と『徳行』。

 大仰な言葉を冠に据えたこの学校は、幼稚舎から高等部までの一貫校であり、その意のとおり才知と徳行を兼ね備えた人間を育むという創設者の願いが込められている。

 ──が、それを知る生徒はほとんどいない。


 後期課程初日。

 両翼を雄々しくひろげた鷲の校旗が風に揺れる秋、早朝の才徳学園高等部テニスコートでは、小気味よい音を響かせて懸命にテニスに励む生徒のすがたがある。ハードが三面、オムニが二面備わった立派なコートに、夕方以降になると自動で点灯するナイター設備。高校にしてはずいぶん立派な設備だが、これは先年の全国選抜大会において、学園創設以来初となる全国出場という結果をうけた学校側が急遽増設したものである。

 学長いわく「テニス部に大きな期待をこめて」とのことだが、実際はとある生徒からの申し出によるものだった。

 とある生徒、とは。

 もともとコンクリート材質のハード三面のみだったところ(とはいえ三面あればわりと立派な方である)、高校テニス大会の会場に使用されるコートはハードよりも砂が撒かれた人工芝オムニが多い傾向にある──と説き伏せ、コート増設費に渋る学校側に対し、将来的に膨れあがろう名声や入学者数増加にともなう部費の増加を鑑みれば費用対効果は安いものだ、と電卓を突きつけて一笑に付し、極めつけは、

「才知と徳行を兼ね備えた人間を育むと豪語する学校が、未来ある生徒の可能性を狭めるのはいかがなものか」

 と創設理念まで持ち出した生徒。

 これまた才徳学園創設以来の逸材と語られるテニス部部長、大神謙吾その人である。

 由緒ある家柄、他の追随をゆるさぬ成績、果ては容姿に至るまでいずれも申し分ない上、テニスの腕は全国の高校テニスプレイヤーのなかでも五本の指に入るという実力。おまけに、幼少時から学んだ帝王学により一年生にして部長の任を請け負ったリーダーシップと反論の余地もない発言力は、大のおとなたちを黙らせるには充分だった。

 学長室のソファに深く腰掛け、長い脚を上品に組んだ高校一年生らしからぬ彼の雄弁な説得により、とうとう学長以下教師陣は折れた。

 最終的には、テニスコート増設に加えてコートメンテナンス用具の一式新調と、ナイター設備の設置まで約束したのである。

 退出間際に彼が言い置いた、

「才徳は全国優勝する。この俺が導きます」

 という、驕りともとれる発言は、教師陣に根拠のない希望を生ませたという。

 兎にも角にも、彼のもつ実力、リーダーシップ、そのカリスマ性はいずれも突出しており、一介の高校生に据えて置くにはもったいないほどなのである。

 そう。それはそう、なのであるが──。


「また一年の退部報告だ」

 倉持慎也は悩んでいた。

 始業式のため、すこし早めに練習を切り上げた男子テニス部。部室内には、制服に着替える二年生が数名いる。一年生は初めての始業式ゆえ遅刻しないようにと、大神の抜かりない采配によってすでに体育館へと向かった。

 その一年部員の数が、またひとり減るという。

 三年生引退後に副部長の任をまかされた倉持は、先日おこなわれたインターハイ以来急激に増えた一年生の退部届に、頭をなやませているのである。

 なんだこの退部理由、と倉持は短髪を掻きむしった。

「眩しすぎてついていけません、だと。あの試合見たらフツー『自分ももっとがんばろう』とかなるだろッ。なに気後れしてんだ!」

「俺は分からなくもないけどね。あんな試合見せられたら、イヤでも実力の差を思い知らされる」

 蜂谷司郎はちやしろうが、鬱々とした表情でつぶやいた。背筋の伸びた長身の体躯、汗をかいたようすは微塵も見せず、きっちりと留められたワイシャツの第一ボタンが彼の几帳面さを示している。

 相変わらず暗ェヤツ、と笑うのは姫川朝陽ひめかわあさひである。小柄な体躯にくるりとおおきな二重の瞳、その名も相まってまるで女の子のようだが、見た目に反してその中身は男気で溢れている。彼は「でもよ」とむりに背伸びをして蜂谷の肩に腕を回した。

「見たとこ辞めた一年って大神の追っかけみてえな奴らだろ。どうせいずれは辞めてたぜ」

「そういう問題じゃねえ。大神も大神だ、あの試合以来ずっと機嫌わるくてやりづれえったらねえよ。ヤロー、部活をてめーの家かなんかだとおもってんのかな」

「アカンアカンアカンアカンッ」

 と、部室内に突如さけび声が響いた。

 音の出どころは、皺の寄ったワイシャツをだらしなく着付け、鮮やかな金色の短髪がよく似合う杉山譲すぎやまゆずる。必死の形相でロッカーの扉を蹴り閉めた。別に怒っているわけではなく、何ごとも一挙手一投足が派手で雑なだけである。

 あかんてッ、とふたたび叫んだ。

「今日の鍵当番、大神に変わったんやんか。はよせんとどやされんで!」

「大神は?」

「もう外や! アイツ光の速さで着替えよってからに!」

 おまけに声もデカい。

 あんなヤツは外で待たしときゃいいんだ、と吐き捨てる倉持に、蜂谷は苦笑した。

「まあまあ、ガキみたいなこと言ってないで。とはいえ倉持が言うことも一理あるとはおもうよ。さいきんは大神無双で──部員が思考停止状態に陥っているのは否めないから」

「だろ。大神の言うとおりにしてりゃそれでいいって部内の雰囲気、ヤバいよなァ!」

「でもそれは俺らもおんなじだろ」

「え?」

 だってさ、と蜂谷はラケットバッグを背負って、ドアノブに手をかける。

「大神の仕切りたがりはいまにはじまったことじゃないけど、俺たちレギュラー陣がそれに甘んじていたのも事実だ。アイツの実力に一目置くあまり、部の運営とかは全部頼りっきりになってた。あの試合で──これまで部をまとめていた大神が不安定になって以来、こうやって退部者が続出してるのも、俺たちがなんのサポートも出来てなかったことが一因なのかもしれない。つまり、大神だけのせいじゃないってこと」

「だよな、むしろ大神が気の毒だぜ」姫川もラケットバッグを持ちあげた。

「気の毒?」倉持は繰り返した。

「張り合いねーんじゃねえの。何事も成長するには、張り合いあってなんぼだろ。オレらには大神って壁があるけどさ。正直アイツとシングルスやって勝てるヤツ、まだうちにはいねーじゃん。だから、まあ、大神らしくもねえけど焦ってんのかもな」

「────」

 倉持はなにも言えなかった。

 ベルトを締めてロッカーを閉じる。はよせい、とさけぶ杉山のあとに続いて蜂谷、姫川が外へ。すこし遅れて、倉持も青色のラケットバッグを手に部室から出た。

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