【9話】帰宅
街の中心部から離れた人通りの少ない夜遅くの住宅地。そこにたたずむ一軒家の前で、瑠樺は立ち尽くす。
そこは瑠樺たち家族がついこの間まで仲良く暮らしていた家だ。
あの日の出来事が鮮明に脳裏に浮かび、心に湧き上がる悲しみや憎しみを抑えて瑠樺は扉を開ける。
――ガチャ。
久々の家という安心感と、血濡れになったままの“あの日”と変わらない景色が瑠樺の心を深く抉った。
「ただいま」
放った言葉は、誰の元にも届かずに虚空へと消えていく。
もう、おかえりの言葉で暖かく迎えてくれる家族はいない。当たり前だと思っていた日々はもう無いんだと涙を堪えて、靴を脱ぎ揃える。
二階建ての一軒家。瑠樺は玄関から真っすぐ階段を上がり、ひとつの部屋の前で立ち止まった。
少しずぼらな両親の部屋の扉はいつも開けっ放しで、今も開いたままの扉を見ると“あの日”の出来事は嘘だったんじゃないかと思えてしまう。
部屋から漂う大好きな両親の爽やかな香りや、中途半端な部屋の散らかり具合は瑠樺の楽しかった日々を呼び覚まして強く心を痛めつける。
――もう、会えないと分かっていたはずなのに。
瑠樺は両親のベッドに腰掛けると、瞳を閉じて今までの事をゆっくりと思い返す。
小さい頃から親の仕事の関係で引越しが多かった瑠樺。
そんな瑠樺には友達と呼べる人があまりおらず、学校では止まないいじめに苦しまされた。
今でこそ友達の沙百合が助けてくれるが、いじめ自体が無くなった訳ではない。
でも、そんなのすべてどうでもよかった。だって家に帰ればいつだって家族みんなが瑠樺を優しく迎えてくれるのだから。
母はいつも温かいご飯を作ってくれるし父は勉強をよく教えてくれて、蒼汰とはたくさん遊んで笑い、週末には家族で買い物にでかけたりと家での生活は瑠樺にとって幸せだった。
学校でいじめられていたとしても、どんな辛い目にあったとしても、瑠樺にとって家族さえいれば本当に良かったのに――
――もう、疲れたなぁ。
目に焼き付いた家族の最期。その記憶は、瑠樺を何度でも絶望と孤独に突き落とす。
学校でのいじめや最愛の家族の死。そして組織と呼ばれる人たちに誘拐されて襲われそうになったこと。
散々な目にあった瑠樺の心は、ヒビの入ったガラスのように壊れかけていた。
――こんなに辛いなら、死んでしまおうかな。
愛する家族の元へ行けるのなら、もうこんな辛い想いをしなくて済むのならば。
瑠樺は自分の鼓動に耳を澄ます。
全神経を集中すると、トクトクという心臓の音が聞こえる。
それと共に脳裏に浮かぶのは、瑠樺の家族みんながこちらを見て微笑む姿。
――お父さん、お母さん、蒼汰。会いたいよ。
瑠樺の頬を、涙が静かに伝って落ちていく。その時――瑠樺の心にひとつの疑問が浮かんだ。
――どうして、みんな殺されたんだろう?
その考えが浮かんだ途端、瑠樺の心は疑問と憎しみで溢れる。
――“どうして”?
瑠樺の家族はは誰かに恨まれるような事をする人ではなかったし、お金持ちという訳でもない。
なら、何故?
その時、瑠樺の心で何かが割れる音がした。
――そうだ。それを知ってからでも、死ぬことはできる。
心に渦巻いていた憎悪と共に、ひとつの言葉がよみがえる。
俺と一緒に組織に復讐しないか。という蓮の放った言葉が、どうしても頭から離れなくて。
――なら、私は。
閉じきった瞳から一滴の涙が溢れ落ちる頃には、瑠樺は眠りに落ちていた。
街も眠る夜深く、寝息を立てて眠る瑠樺を月明かりが優しく照らす。
少しの寝苦しさを覚えて寝返りを打ったその時、バリンという勢いよくガラスの割れる音が耳を突き刺した――
そして、それに続いて聞こえるバタバタとした足音から瑠樺はこの家に誰かが入ってきたんだと咄嗟に理解する。
――どうしよう……!
恐らく、組織の人間だろう。蓮の言っていた『一人は危険過ぎる』という言葉の意味がようやく分かった。
脳内が真っ白になりながらも、おぼつかない動きでベッドの脇に置いていた鞄から咄嗟にスマホとハンドガンを取り出す。
そのまま近くにあるクローゼットに隠れた瑠樺。焦りと不安、恐怖で上がる息を殺しながら周りの音に耳を澄ませた。
「手分けして探すぞ、ターゲットを見つけたら迷わず殺せ」
男の野太い一言。それだけで、瑠樺の心臓はドクンと跳ね上がってしまう。
いくつかの足音が大きくなって近づいていることに怯えながら、瑠樺は震える手であらかじめ交換しておいた蓮の連絡先へ『助けて』と文字を入力する。
送信ボタンを押した頃には瑠樺が息を潜めるこの寝室の扉が勢いよく開けられ、瞳を強く閉じて存在が見つからずに事が終えることを強く祈った。
――暁羽さんお願い、助けて……!
瑠樺の事を探しているのか、部屋の中を歩き回る足音が聞こえる。
万が一に備えて、ハンドガンを強く握った時――クローゼットの扉が開かれた。
「見ぃつけた」
目を見開いた瑠樺と目が合ったその男は、口を弓形に反らして拳銃を瑠樺に向ける。
殺される。そうは思っていても、瑠樺に引き金を引くことはできなかった。
かと言ってこのまま死ぬつもりもない。瑠樺は一か八か男に勢いよく両腕を伸ばして突き飛ばす。
男が体制を崩して倒れ込んだ隙に瑠樺は部屋を飛び出して階段を下りる。
咄嗟に外へ出ようと玄関へ向かったが、そこには別の男がこちらに背中を向けて立っており、その手には拳銃が握られていた。
――ダメ、外には出られない。
息を荒げながら玄関とは真逆の方向――リビングへと逃げるが、組織の人たちに見つかった事もありあっという間に部屋の端に追い詰められる。
瑠樺は一人の男にハンドガンを向けて引き金に指を添える。けれど、いくら護身用とはいえ撃つことは視野に入れていない。
「組織の人たち……ですよね。お願いします、どうかこのまま帰ってくれませんか。私はあなたたちを撃ちたくないんです」
一呼吸の間を置くと、男たちは突然大声で笑い出す。
その様子に瑠樺が眉間に皺を寄せていると、金髪の男が前に出た。
「おやおや、お嬢ちゃんは俺たちに勝てると思ってるのか?」
「ほんとだよ、だってこいつ足震えてるんだぜ」
そうしてまた別の男が瑠樺の足元を指差して笑った。
瑠樺が激しい不快感を覚えると、金髪の男が不敵な笑みを浮かべる。
「悪いがこれは上からの命令なんだ。何もせず帰る訳には行かないんだよ」
――分かっていたけれど。
瑠樺の僅かな希望は、男の言葉によって簡単に砕かれた。撃ちたくないという瑠樺の思いは、男たちには届かない。
「それに、君はそんな状態で撃てるというのか?」
金髪の男は鼻で笑うと、ゆっくりと拳銃を瑠樺へ向ける。
確かに、男たちの言うように瑠樺のハンドガンを構える手は震えており、照準が定まっていない。
発砲すればほぼ間違いなく命中する距離ではあったが、瑠樺に人を殺す覚悟があるのか。金髪の男はそう問いかけていたのだ。
「……君のような生半可な覚悟じゃ、何も守れやしないのさ」
男が目を細めて引き金に添えていた指に力を入れようとしたその時、発砲音と共に銃を持っていたその男の腕を小さな鉄の鉛が貫いた――
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