序章

始まりの物語 304年7月~311年5月

その1 304年7月 テーク島沖海戦

「どうせだから最後に聞いとくか……なんでだ?」

 問うたのは、ガウトス解放領の長であるフョードル・カザンツェフ。既に五百年近くを生きるドレイクだが、高貴な貴族というよりも不良少年ヤンキーの頭領が似合いそうな雰囲気の男だ。

「なんの……ことかね?」

 応じたのは、ハーグストン国王の弟、ベルミア公エルヴィス。鍛えられ上げたその肉体からは、生命力が急速に流れ出していた。

 場所は、ランドール地方の南東部。鮮血海に浮かぶテーク島沖の船上。

 共通新暦※304年7月(※大破局終結を元年とする暦。呼び名は様々だが世界各地の人族国家で使われている)。魔法文明期から続く偉大なるハーグストン王国も、今やその命数が尽きようとしていた。


 ハーグストン王家は天使エクシールの血を引くことを代々誇りとしていた。賢王ソーウェルと天使エクシールの遺志を継いだ騎士総長トレヴァールが、賢王と天使の間に生まれた姫セラティーナを妃に迎えて王国の開祖となった、とハーグストン建国伝説には伝わる。

 エクシール地方(ランドール地方南東部の古名)より興ったハーグストン王国は、現ランドール地方やその東方リディール地方に覇権を伸ばした。

 魔動機文明期に入ると内戦が勃発し、最終的に王家は国権を共和派に明け渡す。ハーグストン共和国はさらに領土を拡大し最盛期を迎えたが、対外政策の失敗から領土は縮小して大破局に至る。


 大破局という未曽有の危機に共和国は王族のバジール・ハーグストンを首相に任命し、大破局の終結(アルフレイム新暦元年=共通新暦元年)を以ってオードレッド朝ハーグストン王国として王政復古する。しかし、ハーグストンは内憂外患に苛まれ続けた。外患とは新興の覇権国家、北西のデナーレ王国であり、南東に盤踞する蛮族、ガウトス解放領であった。では内憂とは……身内であった。

 デナーレ王国との十年以上の交戦でじわじわと領土を蚕食され、ガウトス解放領の進撃によって周辺友好国を滅ぼされても、なおハーグストン王国は持ちこたえていた。それを破綻に導いたのは、王家成員であるコルキア公ルイスのデナーレ王国への早期降伏、早い話が裏切りだった。明け渡された要塞をデナーレ王国軍は素通りし、戦線は崩壊。残存する王家とハーグストン王国軍は、このテーク島沖でデナーレとガウトスの追撃を迎え撃ち……あえなく敗れ去った。




「あんたらは『強敵と戦えれば満足』ってわけじゃない。それに……」

 フョードルは周囲に転がる兵士たちの遺体をちらり、と見た。

「『降伏など許さん。ハーグストンの誇りを守るため、最後の一兵まで戦って死ね』ってわけでもないんだろ?」

 片膝をついたエルヴィスは、視界に入る兵士たちを一人ずつ見つめ、最後に妻の亡骸に視線を移す。

「デナーレは、俺たちよりは、まだだろ。良けりゃ領土割譲、悪くても流刑か幽閉ぐらいで済んだんじゃないか」

 エルヴィスはかぶりを振った。

「この者たち、いやハーグストンの民にはすまないと思っている。だが」

 軽い吐血のあと、エルヴィスは続けた。

「あれを、渡すわけにはいかなかったのだ」

「そんなに大層なものだったのか?“天使の器”って奴は」


 天使の器。それはその身に強大な魔神を封じた天使エクシールの成れの果てである。魔動機文明期、天使の器がもたらす莫大な魔力がハーグストン共和国の発展を支えたのは、世間一般には知られざる事実だ。しかし、大破局とその後の混乱の時代に天使の器を制御する術は失われた。

 実際のところ、現代の召異魔法で魔神の送還は“理論上”可能なのだが、衰退したハーグストンの現状ではきわめて危険な賭けであり、王家は器の存在を隠匿する他なかった。それが暴露されたのも、やはり身内のせいだった。50年ほど前、ハーグストン王の後継争い(王冠代理戦争)において、当時のコルキア公アルス(ルイスの父)がデナーレ王国に天使の器について洩らしてしまったのだ。

 曰く、『ハーグストンは“天使の器”を隠匿して良からぬことを企てている』それが292年の開戦の大義名分だった。世間はどうせ領土目当てだろうと冷めた目で見ていたが、領土など添え物にすぎない。“天使の器”を得るのがデナーレの真の戦争目的だった。




「君も聞いただろうが、あれには恐るべき魔神が眠っている。もし解き放たれれば“大破局”……は言い過ぎかもしれんが、それに近い惨禍を招くだろう」

「本当かねぇ」

 フョードルは甲板に腰を下ろすと、自らの片手に頬を乗せた。

「なあ。あんたの兄貴、国王トレイシー3世は死んだ。俺が殺した。他の王族も以外は皆死んだ。死んだ奴に義理を尽くすこともなかろうよ。それに」

 ドレイクの長はエルヴィスの妻に顎をしゃくった。

「今なら嫁さんだって蘇生できる。小さい角ぐらいはできるかもしれないが、案外悪くないぜ」

「フョードル・カザンツェフ殿、お気遣いには感謝する」

「『だが断る』、か?」

 エルヴィスが微笑むと、フョードルは肩をすくめた。

「真面目だな、あんた。コルキアの腰抜けみたいにすればいいものを……」

「それに、まだすべてが終わったと決まったわけではない。希望は常に残されている」

「あん?」

「わずかでも種子が残っていれば、十年後、二十年後に花開くこともあろう」

「そうかい。だが……」

 腰を上げたフョードルは、無造作に魔剣を振り下ろした。

「生憎、待つのは苦手でな」

 最期まで、ベルミア公は笑みを崩さなかった。




「よくも、よくも父様と母様を!」

 燃え沈みゆく船は大きく傾き、ベルミア公夫妻の亡骸は、兵士たちと共に甲板に開いた大穴に滑り落ちていった。

 幼きベルミア公女、シェラルデナ・ベルミア=ハーグストンは憤怒のままに剣を抜き放った。

『勇気と無謀は違う』だの『王族なら恥を忍んでも、生き残って血筋を残すべきだ』だの、それくらい10歳の少女とて百も承知だったろう。

 人にはどんな愚行とわかっていても、剣を抜かずにいられない状況が存在するのだ。


 おいおい、ずいぶんとお粗末な“希望”じゃないか?エルヴィスさんよ。

 フョードルは鼻で笑おうとしたが、シェラルデナの瞳の中に炎剣イグニスの輝きを見い出して考えを変えた。

「来いよ。俺がお前を剣士として殺してやる」

「ベルミア公エルヴィスが娘、シェラルデナ・ベルミア=ハーグストン! 我らが国を侵す敵に抗う者だ!」

「いいだろう。お前の全てを奪う者の名は、フョードル・カザンツェフだ」


 ベルミア公の後継者に与えられる教育とは、形ばかりの手習いとはわけが違う。齢10の身でありながら、妖魔であれば一撃で屠れそうな斬撃がフョードルを襲う。とはいえ……高位のドレイクに届くはずもなかった。

「ぐうっ!」

 片腹を切り裂かれ、激痛に己の意識を消し飛ばされそうになる。それでもシェラルデナは両親の仇を、皆の仇を睨みつけた。

「まだだ、まだ終わってない!」

「おいおい、まだやれるのか?将来でかくなれば、さぞ良い女になるだろうに……惜しいな」

 なおも繰り出される渾身の斬撃を軽々とかわしながら、フョードルは呟いた。

「惜しいが、生憎、育てる趣味は無くてな……っ!?」

 とどめをくれてやろうとしたまさにその時、船体が震えた。

「割れ──ッ!?」

「チッ」

 そこから船が真っ二つに弾けるまで猶予はなかった。フョードルはシェラルデナを蹴り飛ばし、自身の翼を羽ばたかせた。一方のシェラルデナはそのまま海へと投げ出される。

「運が良ければ、また続きができるだろうさ。天使エクシールとやらの御加護あれ、だ」

 沈みゆく船を見下ろし、フョードルは戦場を後にした。


 結局、デナーレは天使の器の鍵であるハーグストン王家の血筋ーコルキア公家は確保したものの、天使の器を見つけることはできなかった。それもそのはず、この時すでに器はハーグストンの外に持ち出されていたのだ。それが明らかになるのは、8年後の混沌海大戦の後になる。

 デナーレはガウトスに疑いの目を向け、両者は表面上友好を装いつつ暗闘を続けた。





─シェラルデナ様! ……まだ息がある、引き揚げろ!

─左腹部に酷い切創……出血が酷い。

─押える程度では……止むを得まい。シェラルデナ様、お許しを。

─どうか……永らえて、ハーグストンの行く末をお守り下さい。


 どうやって助かったのか、シェラルデナはよく覚えていない。状況と、記憶に焼き付いた言葉からして、おそらく脱出艇に拾い上げられたのだろう。

 だが、ケルディオン大陸北西部の商都アガタの領域内にある漁村近くの海岸に打ち上げられたのは、彼女一人だった。

 意識がしっかりと回復したのは、海の香りが微かに漂うベッドの上。


「この恩は、必ずお返し致します」

「御礼なら、剣士様に」

 村人に導かれた先に視線をやると、左目に眼帯をした男が剣を抱いて眠っていた。

「そのお方は?」

 髪は大地のように深く力強い茶色なれども、光に照らされ煌めいている様は儚さを漂わせている。シェラルデナ自身や、かの父と似た色だ。

「ヴァンダーと名乗られている。我らも妖魔や海獣からお救い頂いた身。ずっと看病されておりました」

「私はどれぐらい……」

「ひと月程は。もう目を覚まさないのかと思っておりました」


 短い会話を交わしていると、ヴァンダー(さすらい人)と名乗ったという男が目を覚ます。

 この気配の察しようは、手練れだとシェラルデナは感じた。

「目が覚めたか」

「助けて頂き、有難う御座います」

 男は優しく微笑んだ。

「礼には及ばない。当然の事をしたまでだ。貴女だって、道に倒れる者が居ればきっと手を差し伸べただろう」

「……必ず御礼を致します」

 どこか見通された言葉に、シェラルデナは世辞めいた否定をしなかった。人として、貴族として、騎士として、剣士として。それは至極当たり前のことであり、己と家名の生き方でもあったからだ。

「ではまずは、歩けるようになってもらおう。しっかり回復に努めることだ」

 男は「その方が希望を持てるだろう」という優しさを、命の恩人という関係を以て示した。身体こそ起きないが、シェラルデナはそれを汲み取るだけの力があった。


「有難う御座います」

「今は名乗らなくていい。余計な事を考えず、身体を癒すんだ。君が思っている以上に、身体はボロボロだ」

 五体満足であったが、左腹部に違和感を覚える。シェラルデナは恐る恐る指で触れると、ザラザラとした凹凸のある肌を感じた。(ジューグ註:姉さん、もといケイト・アトロクスの診断によれば、傷を【ファイア・ウェポン】を付与した武器で焼いて止血したのだろうとのこと)

 傷跡は残ったが、それは忠臣たちの生きていた証なのだ。今はただ、男の言葉を受け入れるほかなかった。




 シェラルデナの回復に、男と漁民たちは根気よく付き合った。更にひと月もすると歩けるようになり、内職を手伝った。気づけば漁に出かけ巨大魚を釣り上げ、妖魔や海獣を掃うまでに剣を握れるようになった。救助から回復まで二か月と少し。それまで誰も素性を問わず、何の見返りも求めなかった。

 ある時シェラルデナは、男になぜ、と疑問をぶつけた。


「目を覚ました時にも話したが、君も無条件に誰かを救うだろう。それが貧者であれ、王者であれ等しく。私たちも同じだということだ」

「この命は御恩と、そして祖国に捧げるつもりです。不躾なお願いですが、どうか私に力をお与え下さい」

 大破局後のアルフレイム大陸において、ケルディオン大陸は半ば神話めいていた存在であった。そしてこの地に流れたものは、決して外に出ることはないと言い伝えられていた。これからシェラルデナは、一人の剣士として生きていかなければならない。その道の過程で祖国を救うためにも、強くならねばならないという結論に至ったのである。それが恩人に再び恩を借りる事となっても。

 男の返事は早かった。

「いいだろう。さて、名を聞こうか」

 慈しみのある声に、シェラルデナは思わず表情が綻み答える。

「シェラルデナです」

「では、シェラ。今日から君に生きる術、そして願いをかなえる術を与えよう。当面の目標は、冒険者を目指すことだ」

「冒険者……」

 遺跡探索や雑用を引き受けることで人族社会に貢献しながらも、自由で冒険を楽しむ存在を目指すように、男は諭した。

「人族社会においては、コネクションと実績が最も強力な武器となるだろう。それを掴むんだ。それまではその剣が、シェラの武器だ」

「はい、ヴァンダー師匠」

「そういえばそう名乗っていたか」と思い出し笑いをする男に、シェラルデナは頭を下げた。


「自分で名乗ってはなんだが、ヴァンダーはよしてくれ。俺の名は、ユーラスだ」

「では、師匠と呼ぶことにします!」

「そうしてくれ。俺も師と呼ばれるに相応しい様であるよう努めるとしよう」

 そこから7年もの間、2人の旅は続いた。そして中堅の冒険者以上の実力を得て、晴れてシェラルデナはエインフォートを訪れたのである。

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