3章 4話 演目は

 俺の周りでは異変が起きている。

 どのような異変かを理解する事はできたけど、なぜそれが起こっているのかは分からない。


 その異変の一端は登校中の今も、目の前で繰り広げられている。


 逞しい黒い犬が鯛の浜焼きを加えて走っている。その黒い犬は薄汚れて痩せた白い犬の前で止まると、鯛を白い犬に食べさせて満足気に頷いている。


 この2匹の犬を見た者は、心温まるストーリーを頭の中で思い浮かべるだろう。その妄想はきっと近い。だってこの2匹の犬は生き別れた兄弟だからだ。


 幼少期に黒い犬は大富豪の元にもらわれた。大切に飼われた黒い犬は体が大きくなり、町のボスになった。そんな時、兄弟だった白い犬と再会し、食べ物を分け与えるようになった。


 何故俺がこの2匹の犬の生い立ちを知っているか。それは俺が『鴻池の犬』を知っているからだ。


 『鴻池の犬』とは落語の一席である。そして昨日の頭蓋骨の女性が礼に来るというのは、『野晒』に限りなく近い。


 意図も理屈も分からないけど、この町で落語の演目が現実となっている可能性が高い。

 それを確かめるため、放課後に2人のクラスメイトを空き教室に呼んだ。


 【昔話】の登場人物である【浦島太郎】と【安長姫香】だ。

 何故この2人なのかと言うと、噺のことは話の登場人物に聞けばいいという、単純な理由だ。

 ちなみにだが、この部屋にいるのは3人ではなく、フューレを含んだ4人である。


「委員長に呼び出されたから驚いた。なるほどね、落語の演目が現実になっているから、俺と安長に話を聞きたいと。そうだね、着眼点は良いと思うよ。グッドだ」


 浦島は相変わらず爽やかでハキハキとした青年だ。

 俺に向けて立てた親指と笑顔は、夏の暑さを吹き飛ばすほどの清涼感がある。


 きっと一緒に海に行けば、最高の楽しさを提供してくれるだろうという期待を持てる。

 

 もっとも、夏は外に出たくないから海に行く事は無いけど。


「そうねぇ。委員長が頼ってくれて、私はとても嬉しく思います。だってずっと話しかけてくれなませんでしたから。寂しい思いをしていました。もう少し私に声を掛けてほしかったです」


 一方の安長はおっとりとした口調と、全身からあふれ出ている包容力が合わさって、とても落ち着くし癒される。きっと休日に何をするでもなく、ただ話しているだけで心の充足感が満たされるだろう。


 ただ安長の包容力は強力で甘え切ってしまいそうで怖い。


「確かにそうだね。あまり委員長とは話せていないね。まあ、委員長は忙しそうだから無理を言ってはいけない」


「うふふ、冗談ですよ。私達の方が頼られないといけない立場ですものね。未だに壁を作っているのは私達の方です。

 でもごめんなさい。委員長に頼ってもらったのは嬉しいのですけど、私達では力になれそうにないわね」


「そうだ。委員長の着眼点は良いのだけど、それが答えに繋がるとは限らないという事だ。

 何故なら俺と安長は物語の登場人物ではあるけれど、物語から生まれた訳ではないからね。俺たちを見た誰かが、俺たちを物語にしたんだ。

 落語の演目が現実になるのとは逆のパターンだ。悪いね。落語に関しては門外漢だ」


 言われてみればそうか。浦島も安長も昔話から生まれた訳ではない。では誰に聞けばいいのだろうか。


「そうは言っても、ではこれで俺の役割が終わりと委員長を突き放す事はしたくない。どうにかして力を貸してあげたいとは思っている。安長はどうだ?」


「私は初めから手伝うつもりでした。落語と昔話は、過去に語られた話という共通点があります。世界としては隣り合わせですから、何か助けられる事はあると思います。だから一緒に真相を究明しましょうね」


 安長は慈愛に満ちた笑みを俺に浮かべる。それを見ていると必要以上に安心感が湧いてくる。


 それにしても2人が協力してくれるのは助かる。今回の件は誰案件の出来事なのかハッキリとしていないから、遠くて近い人の協力が欲しかった。

 ここで完全に異世界のケイとか、遠く離れた宇宙に住むジアッゾ達では、巻き込むだけど終わってしまうかもしれない。


 フューレは困った時に道具を出してくれそうだし、何よりもいつも一緒にいるから心強い。正直な話、クラスメイト達は俺よりもずっと大人だから気後れしてしまう。

 

 フューレは精神安定剤みたいな存在だ。


「さて俺と安長が協力をする事にはなったけど、最大の問題がある。

 落語が現実になっていると委員長に聞いたけど、実感として持てていない。だから対策を打てない事だね。安長はどうだい?」


「私も見ていません。そもそも、身に降りかかっても分からない可能性がありますけどね」


「それはあるな。十中八九、この中で一番落語に詳しいのは委員長だ。だから俺達は委員長の知識に頼らざるを得ない部分がある。

 だけど何故この現象が起こっているのかを考える場合、委員長だけでは難しいだろう」


「そうですね。委員長には視えないものでも、私たちなら視えるかもしれません」


 2人が言うようにこの中で落語について一番詳しいのは俺だろう。


 その前にどうして俺が落語に詳しくなったのかだけど、それは本で読んだからだ。クラスメイトの出自は多種多様なので、何かあった時に対応できるように高校に入ってから様々な本を読んでいる。

 その中の1冊が落語の全集だ。その為、噺家は全く知らない。あくまでも落語の噺について知っているだけだ。


「それでどうしたらいいんだ? 実際に落語の噺になぞらえた行動でも取ってみるか?」


「それは良い。委員長は冴えているね。安長はどうだい?」


「私もその方法が適切だと思います。では委員長が再現をしている間、私が視ていましょう」


 何となく頭に浮かんだ案だったのだけど、承諾されてしまった。その前に確認すべきことがある。


「視るっていうのは、何をするんだ?」


「もしこの町で落語が再現されているのだとしたら、それは並大抵の力では不可能です。落語が再現されるその瞬間、目を凝らしていれば、もしかするとその力の一端でも視えるかもしれません。

 そこから推測が出来る事もあるかと思ったんです」


「そうか……。言っている意味があまり分からないけど安長に任せたよ」


「うふふ、任されました」


 俺では無理な事は全て丸投げする。そうしないと体がもたない。だけど俺に出来る事は全力でする。


「ではどの落語を再現するかが問題だな。簡単に再現をする事が出来る、安全な落語……」


 どうしたものか。思い浮かばない。こういう時に知識の浅さが露呈する。


 趣味と言えるほどに詳しかったらすぐに言えるのだろうけど、俺の知識はあくまでも付け焼刃だ。起こった事の反応はそれなりだけど、生み出すのは時間がかかる。

 俺が唸り声をあげて悩んでいると、安長が手を叩いた。


「そうです。饅頭が怖いという話なら、簡単に出来るのではないでしょうか」


「なるほど。『饅頭こわい』なら簡単だ」


 落語を全く知らなかった時の俺でも知っていた程に有名な落語なのに、思い浮かびさえしなかった。


 ちなみに『饅頭こわい』の内容はこうだ。


 数人の若者が誰にもでも怖い、もしくは苦手な物があると言う話をしていると、その中の1人の若者が自分には怖いものは無いと虚勢を張る。

 そんな話をしている中、若者は怖いものの存在を思い出したと言う。それが饅頭である。それを思い出すと恐怖による動悸がするからと席を離れた。

 他の若者はいい気味だ、もっと怖がらせてやろうと山盛りの饅頭を用意して、饅頭が怖いと言った若者の前に差し出した。

 饅頭が苦手な若者は、それを怖がりながらも食べてしまう。本当は饅頭など怖くなかったのだ。

 他の若者が本当に怖いものは何かと聞くと、1杯の茶が怖いと返して噺が終わる。


 安長の提案に浦島も頷いた。


「それは良い案だ。本館ですれば丁度良いのが釣れそうだ」


「どうして本館なんだ?」


「だって委員長は本館の生徒に嫌われているだろ」


 やっぱり俺は他のクラスの人達から嫌われているようだ……。マジか……。

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