第7話 異世界が魅了を始める

 エンリリィ・ラッセはこう思った。


 僕は存在しているだけで魅力的であると。

 僕は小細工などする必要が無いほどに、魅力で溢れていると。


「阿字ヶ峰さん。教えてください。そして、伝えてください。僕のレースで並べられた紙には何が書かれていますか? 用意できますか? とね」


「お主はやる気のようじゃな。うむ、良いことじゃ。第2レースで置かれている紙には、右から金色の物、紫の物、水色の物、迷彩色の物、虹色の物じゃ。どれを取るつもりだ」


「もちろん、金色です。金色こそ僕がここにいる幸運にふさわしいのです」


 エンリリィの声は他のクラスに聞かれないように声が小さい。

 身長や体の一部も小さいが、あふれ出る自信と胸の張りようだけは他者を圧倒するほどの堂々としたものである。


『借り物競争、第2レースを始めます。選手はスタートラインにお集まりください』


 アナウンスが聞こえると、エンリリィはその小さな体をスタートラインに向ける。


「見ていてください。僕の雄姿を。そして刻むのです。エンリリィ・ラッセというエルフの名を。行ってきます」


 エンリリィは肩で風を切りながら歩き出した。


 スタートラインで横一列に並ぶと、エンリリィの小ささが際立つ。そう見えるのは彼女の身長の低さも1つの要因としてあるが、それよりも他の走者の身長が高いのだ。身長差は2倍ほどあるのではないかと思われる。

 だからと言ってエンリリィは怯まない。

 

 エンリリィは見上げると、


「僕は負けません。あなたにも、そしてあなたにも」


 と左右の走者に大声で言い放つ。するとその啖呵を切られた走者は、優しく慈しむような表情でエンリリィを見下ろした。

 

『借り物競争、第2レース。位置について、よーいドン』


 号砲と同時に第2レースの走者達は走り出した。


 走者達の実力差はほぼ無いようで、同時のタイミングで紙が置かれた机に到達した。もっとも、1人を除いてだ。

 エンリリィは未だに、スタートラインから机までの半分ほどの距離しか進んでいない。もう既に決着は見えている。それでも、彼女は歯を食いしばって全力で走っている。

 

「僕は諦めた無様な姿を晒すわけにはいかない。最後まで走り切る」


 そして遂にエンリリィは机の上に置かれた最後の1枚の紙を掴んだ。開いたその中には、金色の物と書かれている。

 エンリリィはその紙を力強く握ると、1年6組の観覧席に向かった。

 その時既に、1着が1組、2着が3組という結果は出ていた。


「金色の物です」


 前のめりのエンリリィに男性で【妖怪】の【鞍馬 英彦(くらま ひでとし)】 の手が伸びる。


「折り紙です。今回は無料で貸してあげますから、最後まで期待しています」


「こんな時までお金を気にするなんて、筋金入りですね。そんな鞍馬君には、僕を誰だと思っているんですかと返しましょう。エンリリィ・ラッセは諦めません」


 エンリリィは笑って見せると、折り紙を受け取って再び走り出した。その頃には他の走者の全員がゴールをしているのだが、エンリリィは全力で走った。


 エンリリィがゴールに近づくと、本来は1位の為だけにあるゴールテープが張られる。


 そして、エンリリィは勢いを落とさずにゴールテープを切った。


 息を切らしてその場に立ち尽くすエンリリィ。静まり返った運動場のどこかから、小さな拍手の音が聞こえる。

 その音が1つ、また1つと増えていき、最後には溢れんばかりの音が運動場を満たしていた。

 

 エンリリィは拍手に押されるように歩き出して、阿字ヶ峰の前に立つと頭を下げた。

 

「ごめんなさい。威勢の良い事を言ったのに、こんな結果になってしまいました」


「そう気負う必要ない。お主は立派に役割を果たしておった」


「どうしてそう言えるんです?」


「お主も聞こえていたであろう。あの拍手を。それが答えじゃ」


「そうですか」


 エンリリィの表情が少し明るくなった。


「それに、生徒の中にはお主を大層熱心に見ていた奴らもいた。鼻息を荒げてな」

 

「そ、そうですか。僕でもお役に立てたのなら良かったです。次はアストラル、あなたです。あなたが言う輝きを僕にも見せてくださいね」


 勝つことは出来なかったが、自身の役割はまっとう出来たと知ったエンリリィは立ち直り、次の走者である【プラズマ生命体】の【アストラル】に発破をかけようと彼を見る。

 だがそこには自信過剰なアストラルの姿は無く、体を少し丸めた儚げな表情を見せていた。


「は、はい。頑張ります」


 受けごたえにも覇気がない。そんなアストラルを見たエンリリィは戸惑いを隠せない様子で、彼の肩を揺さぶった。


「ど、どうしたんですか? 体調でも悪いんですか? それなら職員室に行きましょう」


 アストラルは肩に置かれた手を振り払うと、肩をすくめた。


「薄幸の美少年。僕はそれを演じているだけさ。受けがいいと聞いたんでね。僕は狭量じゃないから、他人の提案は受け入れる」


「心配して損しましたよ。それではその調子で頑張ってくださいね」


「承知したよ。君が僕を心配した事実に答えてあげる。それが輝きを持つ者の務めだからね。

 しっかりと見ておいてくれ。そして阿字ヶ峰さん。観覧席で借り物を用意しておいてくれと言ってくれるかな。もう1人、ゴルール君にも伝えてくれ。僕は必ず受け取ると」


 アストラルは阿字ヶ峰の返答を待たずに、気弱そうに体を丸めるとスタートラインへ向かった。

 

 第3レースの走者が横一列に並ぶ。


『第3レースを始めます。位置について、よーいドン』


 号砲が鳴り響いたその瞬間、アストラルが他の走者とは群を抜くほどの速さでスタートダッシュを決めた。


 驚愕する走者と観客を尻目にアストラルは距離を離していく。しかし、アストラルの後ろ姿を見た1組の走者は、狼狽えること無く足に力を入れて速度を増した。


 机に初めに着いたのはアストラルである。少し遅れて1組の走者が着いた。他の走者はかなり遅れている。


 アストラルは紙を広げながら、1年6組の観覧席に体を向けて走り出しながら叫んだ。


「300ページを超える文庫版」


 その声に呼応して【ドワーフ】のグルールが前に出る。手には紐を巻き付けた文庫本が握られている。


「受け取れ、アストラル」


 地面を揺らすほどの迫力を持ったグルールの声と共に、文庫本が投げられる。その速度はおおよそそれが空気抵抗の多い文庫本であると分からないほどである。


 一直線の軌道で飛ぶ文庫本に、生徒達は目を見開いた。


 だが、それはあくまでも文庫本である。失速してアストラルの少し前で落ちた。


 アストラルはその文庫本を拾い上げると、机の元に走って行きコースに戻る。この時間のロスは大きく、既に前には4人の走者がいる。


「力を出さないというのは苦労する」


 そう呟いたアストラルは更に走る速度を上げると、1人、2人、そして3人を抜かした。しかし、最後の1人である1年1組の走者はその段階で既にゴールをしていた。


 2位


 それがアストラルの結果である。


 借り物競争の控室に戻ったアストラルは、肩を落としてエンリリィの前に立つ。


「済まない。君の期待には答えられなかった」


「何を言っているんですか。2位は十分な結果です。僕なんてビリだったんですから。それにしても驚きましたよ。あなたがこんなに足が速いなんて」


「いえ、僕の弱い部分が見えたよ。僕は何もしなくても輝きを止めない僕に過信していたようだ。更にこの輝きを確固たるものとする為に肉体を鍛えなくてはいけない」


「そ、そうですか」


 苦笑いを浮かべるエンリリィを、阿字ヶ峰はぼんやりと眺めている。


「そっちの様子はどうだ?」


「ひゃん!」


 突然声を掛けられた阿字ヶ峰は飛び上がる程に驚いて、声のした方へ振り返った。


「なんじゃ委員長か」


「もしかして阿字ヶ峰は今のでビックリしたのか? 呪いの人形なのに?」


 委員長が阿字ヶ峰の顔を覗き込もうとすると、彼女は赤くなったそれを反らした。


「う、うるさいぞ。わしは生者を感知するのは苦手なんじゃ。呪いの人形を驚かせようとするやつなど、今まで1人しかいなかった。わしは驚かす専門じゃからな」


「言われてみれば、幽霊を驚かす映像なんて見た事が無いな。済まなかった」


「まあ許してやる。借り物競争は今のところ点数を取ったのは、アストラルの2位をだけじゃ」


「2位か。これだったら次の阿字ヶ峰が1位を取ったら、優勝もあり得るな」


「無茶を言いよるわ。わしの運動神経を委員長も見たであろう。ここにいる誰よりも動けんぞ。それよりも、委員長の方は片が付いたのじゃな」


「ああ、こっちは終わらせた」


 阿字ヶ峰は腕を組んで唸ると、委員長を見上げる。


「仕方が無いの。わしも少しばかり協力せんとな。水引よ。わしが走る手伝いをしてくれんか。今回はわしへの干渉を許可してやろう」


『わかった。委員長の為に、このクラスの為に力を貸す』


「こんなことはしたくないのじゃが、仕方が無い。委員長、すまんが借りる物は頼んだ」


「任せてくれ。紙を開いたら直ぐに書かれている物を叫べ。頼んだぞ」


 委員長はそう言うと、1年6組の観覧席に戻って行く。


「他のクラスに強い霊感を持つ者がいなことを願うばかりじゃな。では、行くとするか」


 借り物競争4レース目の走者がスタートラインで一列に並ぶ。その中の1人である阿字ヶ峰は、同じレースの走者から漂って来る不安の感情を眺めていた。

 

(いい具合に感情が揺れておるわ。こ奴らを驚かせてやれば、さぞ愉快な反応を見せてくれただろうが、残念じゃ。今はそれをしている場合じゃない)


 阿字ヶ峰は呪いの人形である。数百年の長い時を、人を驚かすことに費やしてきた。だからこそ、人が抱くマイナスの感情が良く見える。それは1本の筋となり、様々な色となり阿字ヶ峰に教えてくれる。


 不安の色を纏った太い筋が1年1組の走者から伸びて見える。他の走者は罪悪感や、倦怠感の色の筋が伸びているが、1年1組の走者程は太くはない。


 どう驚かせてやれば、腰を抜けさせられるか。そんなことを阿字ヶ峰が考えていると、アナウンスの声が聞こえて来る。


『それでは借り物競争最終レースを始めます。最後の勝者は誰になるのか』


(驚かすのは次の機会。今のわしは学生じゃ)


『位置について、よーいドン』


 号砲と共に6人の走者が足を踏み出し、たったの2秒で差が目に見えた。トップグループは2人、1年1組の走者と阿字ヶ峰である。


 阿字ヶ峰は小さな体躯に見合わない俊敏な足運びを見せて、1年1組の走者と並んでいる。彼女は足が速いわけではない。逆に1年6組の中でワースト3に入る程の足の遅さである。

 ではなぜ阿字ヶ峰は1年1組の走者と並んで走れているか。それは彼女の体から煙のように立ち上っている綺麗な青白い光の粒子に秘密がある。

 

 この粒子の正体は阿字ヶ峰に蓄えられた、死者や生者の念の残滓である。彼女の魂や活動力はその念が大量に寄り集まることで生み出されている。


 阿字ヶ峰を構成しているモノが念であるからこそ、霊を除霊や昇天させる力を持つ【霊能者】の水引は天敵なのだ。


 だが、今回だけは話が違う。水引のその力を使って、阿字ヶ峰は常軌を逸した脚力を手に入れている。その原理は、阿字ヶ峰に集まっている念を、水引が燃やしながら押し出すというものだ。青白い光は念の燃えカスであり、霊感の強い人にしか見えていない。

 

 阿字ヶ峰は自身を消費する事で、1年1組の走者と並走できている。


 そして借り物が書かれた机に着いたのは、阿字ヶ峰と1年1組の走者はほぼ同時だ。


 阿字ヶ峰が急いで紙を開いて書かれている物を確認すると、委員長に言われた通りに叫んだ。


「青色のネクタイ」


「阿字ヶ峰、こっちだ。取りに来い」


 阿字ヶ峰は委員長の声を探すと直ぐに見つけられた。机を挟んで向こう側、1年1組の観覧席の隣に空けられたスペースから、委員長は青のネクタイ片手に手を振っている。

 委員長がいる位置ならば第3レースのように戻る必要は無い。


 勿論、1年1組の生徒達は今にも飛び掛かりそうなほどに睨みつけているが、両者の間には【レプティリアン】のドリッドリンや、【サイボーグ】の男性【ジアッゾ・バリンブルン】、【童話】の登場人物である【浦島 太郎(うらしま たろう)】などの体格の良い者が防波堤となっている。


 阿字ヶ峰は委員長に向かって走り出した。

 1年1組の走者は既に前を走っている。紙に何を書かれているかも言わずに、1年1組の観覧席に座る1人が何故か差し出しているジャージに向かって。


「ズルをするなら最後まで貫け」


 阿字ヶ峰はそう言うと、1年1組の走者の背中を追った。少しずつ近づいているがまだ追い越せない。

 

 委員長から青いネクタイを受け取った阿字ヶ峰は心の中で言った。


(水引よ。ラストスパートじゃ。手加減をするな)


 その瞬間、阿字ヶ峰から噴き出していた光の粒子の量が増した。阿字ヶ峰は全身から物体としての認識が抜けていく感覚を覚えた。少しずつ、希薄になっていくそれを頭の隅に追いやってゴールを1年1組の走者と同時に見る。

 もうそれが出来る距離である。


 1歩進むごとに1年1組の走者との距離を縮めていく。

 そして遂に2人の走者は横に並んだ。


 残り10メートル。


 阿字ヶ峰には既に全身の感覚が無い。

 それでも顔を上げて前を見る。


 残り2メートル。


 遂に阿字ヶ峰は体1つ分前に出た。


 一瞬で静まり返る運動場、そこにいる全員の視線を一点に集めた阿字ヶ峰がゴールテープを顔で切った。


『しょ、勝者1年6組です!』


 アナウンスが言葉を切るよりも早く、ゴールテープが顔に巻き付いた阿字ヶ峰は地面の上に仰向けに倒れ込んだ。


 動きの悪い腕を上げて、ゴールテープの隙間を作ると真っ青な空を見上げた。


「勝ったか。ふひひ」


 阿字ヶ峰はゴールテープで隠された口角を上げた。


 4競技目終了時の点数

【1組44点・2組12点・3組8点・4組11点・5組6点・6組6点】

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