プロローグ
第1話 相山隆利は入学する
《1年目 4月 入学式》
俺が3年間を通う事になる高校、その校門から見上げた校舎は、立派なレンガ造りだ。
【立帝社(りっていしゃ)大学付属高校】
この【神結(かみゆい)市】の中心から少し離れた場所にあるこの名門とうたわれた高校、その歴史は古く戦前から今の姿を保ち続けているそうだ。勿論、校舎の殆どは改修工事が行われたらしく、校内は現代風の建物のそれであるが、今見えている風景は紛れもなく戦前のものである。
進学校として名をはせ、全国から優秀な学生が集まるこの高校を、俺はただ尊敬の念を抱いて見上げている訳ではない。
何を間違えたのか俺はこの高校に入学し、そして今日が入学式当日だ。
そんな立帝社大学付属高校に入学できたのは、まさに奇跡のたまものだ。
俺は勉強が出来るわけでも、運動が出来るわけでもない。だが、この高校に入学できたという事は、運だけはあったという事だろう。
「運よく残っていた推薦枠に、運よく潜り込めるぞ」
受験シーズン真っ只中の中学生3年生の時に、担任の先生にそう言われ何も考えずにハンコを押した結果が今日に繋がっている。
その時は深く考えはしなかったけど、今思い返せば担任の先生の表情が異常に険しかったような気もする。気のせいだろう。
そんな過去よりも未来だ。
俺の……、地位も名誉もあるわけではない【一般人】である【相山 隆利(あいやま たかとし)】の高校生活が楽しいものである事を願って、立帝社大学付属高校の校門をくぐった。
「相山く~ん。相山隆利く~ん。おはよ~」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。咄嗟にその声の方を見ると、タイトスカートを履いた眼鏡の女性が、手を振りながらこちらへ駆けて来る。学校指定の制服ではないので、学生ではなさそうだ。
「来るのを待ってたんだよ~」
「そうですか。おはようございます」
ゆったりとした話し方をする女性だ。
で、誰?
その女性は俺の顔を覗き込むと、眉を八の字に曲げてから手を叩いた。
「ごめんね、自己紹介がまだよね。私は【鹿嶋 仁美(かしま ひとみ)】。相山君の【担任】だよ」
どうやら、この女性は俺の担任のようだ。
でも、そうして向かいに来たんだ? 時間は会っている筈だしな。
「初めまして。相山です。どうしましたか? 教室の場所なら事前に聞いていますが」
「私が案内しようと思って。ついてきて~」
「教室にですか?」
「ははは~」
担任と名乗る鹿島先生は説明をする気が無いのか、それだけを言うと俺の返答を待たずに背を向けて歩き出した。
俺の中で嫌な予感が増大していく。
だが、今日はめでたい入学式だ。浮かれて踊り出しそうな高揚感に、自らで水を差すのは馬鹿らしい。
全てを前向きに考えた方が、楽しい毎日を送れるというものだ。
鹿嶋先生は親切な先生である。だから、入学式という忙しい行事の合間を作って、俺を迎えに来てくれたのだ。
そうとしか考えられない。絶対にそうであってくれ。
細かい事は全て見なかった事にことにして、俺は素直に鹿島先生の後を黙って追いかけた。
―――――――――――――――
明らかに人と、その声が少なくなっていく。
喧噪が遠い昔の出来事のように、静まり返った廊下を歩かされている。
「教室は違う方向だと思うのですが」
「そうだね~」
「ではどこに向かっているのですか?」
「そうだね~」
壊れた人形のように同じ言葉しか発しない鹿嶋先生に、さすがの俺も前向きに考えられなくなり始める。
それでも俺は後ろを付いて行ってしまうのは、主体性の無さによるものだろう。
「教室は諦めましたので、どこに行くかだけは教えてくれませんか?」
鹿嶋先生の足が止まり、俺の方を振り返ってぎこちなく笑って見せる。
「ここだよ~」
鹿嶋先生はそう言うと、すぐ横の扉をノックした。
目線をその扉に伝わせながら上を見ると、そこには校長室と書かれたプレートが見えた。目的地はわかった。だが、目的の見当がつかない。
俺は何故こんな場所にいる?
どうして入学式前に校長室に行かなければならない。
考える暇も無く、扉の奥から聞こえる声に反応した鹿嶋先生は、
「失礼します。例の彼を連れてまいりました」
と今までの緩さが一切含まれない口調で扉を開けて、再度俺にぎこちない笑みを見せた。
校長室には1人の男性が豪奢な机の向こうから、こちらを睨み殺すかのようにじっと見ている。
その男性から向けられた視線は鋭利で、俺はたじろぎそうになるが、鹿嶋先生が俺の背中を押すのでそれすらも出来ない。
その力強い手によって、俺は無理やりに校長室の中心である男性の前に押された。そして、鹿嶋先生は厳重にも校長室の鍵を閉めた
「初めまして。私はこの高校で【校長】をしている、【石丸 英二(いしまる えいじ)】という者だ。単調直入に言わせてもらう。君には1年6組のクラス委員長をしてもらう」
校長は納得させる気はないと言わんばかりに、それだけを言うと黙って俺を見る。
急に何を言い始めたんだ。
そもそも俺は、クラスメイトの事を誰1人知らないどころか、クラスにすら足を踏み入れていない。校長は地図も無く準備期間すら与えずに、未開の地への冒険に行かせようとしている。
俺はそんな横暴に素直に従うつもりはない。本音は面倒の1点に尽きるのだけど、気持ちで押されない為にも、虚勢は必要だ。
「急に言われても対応のしようがありません。それに、もう入学式が始まります。皆勤賞を狙っているので、遅刻は勘弁してほしいのですが」
校長は時計を一瞥すると、ゆっくりと立ち上がる。
「いいだろう。君はこのまま体育館に行きなさい。そして考えることだ。鹿嶋君、相山君を案内してあげなさい」
「はい、わかりました」
鹿嶋先生は扉を開ける。
「それじゃあ行こうか」
俺は委員長という役職を強制された事に納得してはいないし、自身の中に湧き始めているものが不安であると気が付いている。だが、入学式に出席しなければならないので、今は全てを棚上げにする。
校長は言った。考えろと。
委員長をするかどうかは、クラスメイトの雰囲気次第である。
モヤモヤとした気分を残しながら体育館に入ると、既に生徒たちがそこに整列していた。
鹿嶋先生がその一角に向けて手を伸ばす。
「あそこが君の6組だよ~。一番前に並んでね~」
その方向を見た俺が抱いた感想は端的であった。
絶対に委員長にはならない。
体育館に並ぶ俺の同級生や先輩にあたる人達は、一様にまとまった印象を受ける。
制服を正しく着込み、髪の色は黒である。男性も女性も、自己主張は髪の長さぐらいのものだ。
しかし、それはあくまでも一部を除いてと注釈される。
その一部こそが、鹿嶋先生が指した先の一角である。明らかに普通の生徒達に距離を取られている。
だからこそ、その一角の異様さを体育館の入り口からも理解できた。
体育館の端に並ぶその一角はなんともカラフルだ。黒髪も勿論いるのだが、茶髪に金髪、赤髪や白っぽい髪の者までいる。
髪だけならまだしも、高校生と呼ぶには余りにも幼すぎる容姿を持つ者や、逆に大人の色気を振りまいている者もいる。
それだけではなく、制服のブレザーを肘まで下ろす大胆な着崩しをする者や、コスプレ会場から迷い込んだような赤いマントを羽織っている者、謎の宗教組織の構成員にしか見えない白装束の者までいる。
さすがは一流の高校だな。入学式で出し物を見せてくれるのか……、そうであってくれ。
俺は眉をひそめながら鹿嶋先生を見るが、先生は笑顔を返すばかりで、俺の意思は考慮しないと言わんばかりに差し出した手を下ろさない。俺は初めて無言の力を思い知る。
だが、俺は引き下がらない。俺は鹿嶋先生が指した方向を一瞥すると、眉根を寄せて改めて彼女を見た。
「鞄は持ってあげるよ~」
鹿嶋先生は有無も言わせずに俺の鞄を奪い取ると、再び体育館の端の一角に向けて手を伸ばした。
俺は最後の抵抗であるため息をすると、そのヘンテコ集団である1年6組の元に向かった。
花道のように開かれた1年6組と1年5組の間を、俺は顔を引きつらせながら歩いている。何故なら6組の生徒達からは興味深そうに眺められ、その他の生徒達からは睨み付けられているからだ。
知らない間に嫌われてるんだけど。
これ初日だよね。
左右から感じる視線の温度差に、すぐにでも引き返したくなるが、入学式初日に逃亡するという情けない汚点は残したくない。
だからこそ俺は内心を必死に隠して胸を張り、涼しい表情で6組の先頭に立った。
2分程経過すると入学式が始まり、先ほど顔を突き合わせて威圧してきた校長が壇上に上がり、心に沁みるであろう祝辞を述べている。
だが俺はそんな言葉を無視して校長を睨み続けた。俺の後ろに並ぶ正体不明のクラスメイトの事を、校長が知っていない筈はない。
校長は俺に何をさせたいのか。そんな訴えを乗せた目線を校長に浴びせ続ける。
それに気が付いた校長は、体を前に向けたまま視線だけを俺に向けると、口角を上げた。
「私の激励の言葉はこれで終わるが、最後に直近の話をさせて頂く。
君達の授業が始まるのは3日後だ。その間の2日間、君達にはオリエンテーションの場を用意した。
明日は準備日、そして明後日が本番だ。
内容に関しては明日発表する。
あくまでも、オリエンテーションだ。勝ち負けは存在すが、成績には関係ない。存分に楽しんでくれ」
壇上の校長は途切れた言葉に差し込むように、演台を叩いた。その音は体育館内に響き渡り、思考を止めて入学式の終わりを待っている生徒達の背筋を正させた。
「だが、この学校で自分の力を見せられる最初の機会であり、私が初めて君達個人を見る機会でもある。それだけは肝に銘じていてくれ。以上で、立帝社大学付属高校の入学式を終了する」
―――――――――――――――
暗澹とした入学式が終了して、俺は1年6組の教室に向かった。
その教室は校内の隅に建つ特別棟の一室であり、上級生も含めた1年6組以外全てのクラスの教室とは違う建物である。
この特別棟は高校創設時には教室として使われていた建物らしい。
だがある時からつい最近までは、立帝社大学付属高校の素晴らしき歴史を残す、歴史博物館として大切に保存されていたそうだ。
だから基本的には生徒が利用する施設ではなかったらしい。
そんな特別棟は、1年6組が使用するという事で晴れて教室として蘇ったわけである。
本館から特別棟へは、広いグランドの傍を通り、林を突っ切らなくてはならない。とても離れている。
俺はその事については、何の疑問も抱かなかった。単純に教室の数が足りなかったのではないかと考えていた。
まったくもって
何故ヘンテコ集団が集まる事になったのか。その理由は分からないが、特別棟はヘンテコ集団を隔離するには絶好の場所だと言える。
そもそも、その隔離された集団の中に俺がいるという事実からは逃れられない。俺も彼らのようにおかしな存在なのだろうか。
だが俺はまだ、この集団の本当の意味を理解しては無かった。
俺が鹿嶋先生に指定された席である、最前列の右端、扉の傍の机に鞄を置き、椅子に座る。
「それでは皆さんにはこれから自己紹介をしてもらいます」
1年6組がただのヘンテコ集団ではないと、自己紹介で嫌と言うほど知る事となる。
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