★トルソー 2 (旦拝)

 街中のホテルって初めて来ました、と、エレベーターのなかで、拝原が発した言葉はそれだけだった。

 カーペットが敷かれた廊下には、音楽が流れていて、黒い壁に寄る拝原は、誰かとすれ違うことを怯えている。

「こんな時間にいませんよ、知り合いなんて」

 いたとしたら、そいつらだって後ろ暗い仲でしょう。旦波は歩みの遅い拝原に合わせるでもなく、その手首を掴んで、引いて選んだ部屋まで歩いていった。その奇妙な積極性に戸惑っていると、まるで普通のホテルのような洒落た室内で、旦波は電気もつけずに鞄をテーブルの上に放った。

「拝原先生、荷物。あとシワになりそうなものも」

「え、あー、すみません」

 実はこういう場所での主導権を握られることも珍しい。き、来たことあるのかな。そわそわとした疑問を唾といっしょにこくんと飲み干して、拝原は「えーと…」と一応、ガラス張りのバスルームに目をやった。

「必要ですか?」

「そ、それは、うーん、内容次第というか。あの、準備はね、できてないわけじゃないですけど」

「わあ、準備できてるんですか。

 ……今、殴りはしませんよ、拝原先生。公演見るんだから」

「…えーっ、あの、人のアザとか、別に舞台の最中は誰も見てないでしょ、う…?」

「先生本人が痛くて、それどころじゃなくなりますよ」

「あ、そういう…まあそっか……」

「時間、かかっちゃいますしね」

 後始末に。云いながら、自分より高い位置にある、不安になるような細さの鎖骨に掌を当ててぐっと下に押した。それだけで言いたいことが伝わったらしく、拝原はぺたり、と突然力が抜けたように膝を折って、ついた。

 拝原はいつもホテルの床に膝をつく。

 口で何を云うでも、抵抗するでもなく、まずはそうやって降伏する。

 そして、あの瞳で見上げてくる。旦波も、普段なら、ここで一発頬でも張るところだが、今日は首に手をかけて、頚動脈を押すだけにとどめた。代わりに、ベルトを外す。

 旦波がこれほど率直に欲情を露わにするのはめずらしいな、と思いながら、拝原は糸の切れた人形のように、意味のなくなった手足をだらりと投げ出した。

 拝原が抵抗もせずに単なるセックスに応じるのはめずらしいな、と思いながら、旦波はジッパーに指をやってから、拝原の上目遣いに気がついた。指を引くと、拝原は一度、布越しにそこをなぞった。ジーンズの股の皺は既に偏って張り詰めていて、ふは、と笑ってしまう。

 旦波は、拝原の後頭部に手を添えた。促され、ちいさな金具を器用にその乱杭歯で噛み、引きおろす。

「…舞台、ちゃんと観られますかねえ」

「終わったあと、ですか」

 まあ殴られた後よりはマシだろう、とぼんやり思いながら、拝原は顎から力を抜いて、たらりと舌を出した。

 あの男はこうされるのが好みなのだろうな、と旦波が思いながら、その舌をつまんで引き、痛みに眉を顰めたのを確かめて、性器を舌の上に乗せる。長い舌がうねり、粘膜が広がって肉の先端を包む、小粒な乱杭歯が軽くつるりとした上部を滑り、そのまま舌で丸め込んで引き入れた中で、いびつに隆起した上顎の口蓋に擦りつけさせる。誘い込んだ肉がだんだんと剥き出しの内臓色に熟れていくのを、狭い喉の奥で感じ取って想像する。

 床に膝までついているというのに、拝原の肉体感覚は、なんだか奇妙に浮ついていた。それはけして普段どおりではなかったし、恐らく旦波も同じだったのだろうと、──暴力を差し挟まずに、普段より短いスパンで射精に至った旦波の腰の動きも、なにか性急に感じたのだった。

 なにに苛立っているのだろう、と、髪を掴まれ、仰向けに押し付けられ、脚を開かされてその膝の上に乗られながら、自然に拝原は思った。とにかく今ヒトをめちゃくちゃにしたいと、衝動で自分を痛めつけるときの加治井と似ている。

 ──自分は、何をされてもいい人形マネキンにこそなりたいと思うが、欲しがられているのはセックスドールの胴体トルソーだけのようだった。

 手足を使ってもいいのだろうか。躊躇っているうちに、ずぶり、ずぶりと肉が肉を貫いて掻き回して溶けあいだしたあたりで、慣れた痛みと慣れない快感に脳が溶けだして、思考も躊躇いも溶けていってしまった。

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