単発

★Unicorn on my hand (単発)

 一角イッカクミツルの数少ない趣味といえるもののひとつは、料理である。そんな彼の部屋を、(恐らくはその名にちなんで)ユニちゃん食堂、と名づけたのは、学科は違えど大学の先輩にあたる人で、そんな呼び方をしてくるだけあって頻繁に転がり込んでは、充のつくる飯を平らげていくのであった。

「いい加減、金だせよ、先輩」

 茶飯をかきこんでいる男に、ため息とともに告げると「あー、ゴメンね、バイト代入ったら渡すね」とニコニコ悪びれもなく、付け合わせもきれいな箸運びで平らげていく。

「ホント頼むよ」

「でも、待ってね。今おカネないの」

 無かろうな、と思いつつ、ガーゼの貼られた頬を見る。この男──絶羽タチバ砂理サリはなにかとカネのやりくりが下手で、そのうえ、人に惚れたときと別れたときに、やたらと散財する癖があった。振られたのか振ったのか、どちらにせよ殴られた痕に間違いない紫や緑のアザが、頬のガーゼ以外にも、脱色した髪の生え際や手首に見えた。

「アンタの食ったぶん、ちゃんとツケてんだかんね」家計簿に──ホラ、と見せれば、もともと下がっている眉をさらに八の字にして「二十五日には渡すからさァ。──あ、そうだ。二十八日にも、ちょっとまとまったおカネ入るから、蟹食べに行こうよ。奢るから」

「アホか。貯金しろ。それか、また来る気なら俺に前払いしろ」

 そう言いつつ、蟹か、と食指が動いてしまうのも確かである。

「どこで食べんの」

「んー。赤坂の馴染みの鮨屋」

 想定していた予算とかなり相違がありそうな回答に、一瞬思考が止まる。

「………バカ、そんな高いとこ行くならスーパーでいちばん安い蟹買って蟹鍋でもつくるわ!」

「え、でもいいの食べたくない? 俺、寒鰤とかも食べたいんだけど」

「……アンタがいいならいいけどさァ……」

 他人の財布事情だというのに、つい深々とため息が出てしまう。金がない、というのに、平気でコンビニのスイーツや、新商品のカップラーメンを買ってしまうあたり、買い物、下手だなあ…と感じる。おカネの心配、というものをしたことがない育ちなのだろう、とぼんやり思っているが、実際、砂理の箸の使い方や物腰には優雅さと呼べるものがある。とても、マッチングアプリやクラブのイベントで知り合った男女と遊びまくっているようには思えないのだ。

 しかし、実際、充とこの男が知り合ったのは、マッチングアプリがきっかけなのである。

 充が使用しているゲイ向けマッチングアプリのひとつで、『●●沿線住みなんだ。俺最寄りXXだよ』とメッセージが送られてきた。充は相手の条件をかなり絞って登録しているので、いったいどこから見つけてきたのかわからない。ともあれ、とりあえず相手のプロフィールを詳しく見てみるか、と開き、その顔を隠した写真に映り込んでいた手元──正確には、薬指よりも長い人差し指──に、見覚えがあった。ついでに言えば、最寄りの駅名にも見覚えがあった。充の通っている美大の最寄り駅且つ、充の自宅の最寄り駅である。

 大層嫌な予感がしたのでブロックしたが、その二週間後に最寄り駅前のパン屋で、安売りの食パンをレジに置いたときに、目の前から「…………あれ」という声がした。普段、店員の顔を見ないように俯いている充だが、さすがにそのときは少し視線をあげようとした。その瞬間、店員の人差し指が目に入った。──薬指より長い人差し指。

「もしかして"みっちゃん"? ほら、俺、こないだメッセージ送った──」

 にこやかに声をかけてきた相手を反射的に張り倒してしまい、一時現場は騒然となった。




「ユニちゃんさあ、見た目よりバイオレンスだよね」

 その後、同じ大学の先輩後輩であることも発覚し、謝罪に向かった砂理のマンションで、砂理当人はニコニコしながらそう言った。

「え、なんすかユニちゃんって。キショいんでやめてもらっていいですか」

「え、だってユニちゃん界隈で自分がなんて呼ばれてるか知ってる?」

「知りませんけど」

「京都弁処女厨ユニコーン

 充は眉間を押さえた。細く長く絞り出すため息が出る。そういわれる理由は解る、解るのだが。だっていろんなアプリでやってるでしょ、有名だよぉ、とケタケタ笑う男をもう一度張り倒したい。

「なんだっけ。ユニちゃんが登録してる相手の条件」

「身長一九〇センチ以上二〇〇センチ以下、三十代前半、比較的やせ形、くせ毛、ネコ、できたら押しは弱い性格で、京都弁、処女」

 後半になるにしたがってだんだん語気が強くなる充のただならぬ雰囲気にも動じず、「おもしろいねえ。京都弁でなくてよければ、及第点くらいの人が知り合いにいるんだけど」

「…京都弁は外せないです。…けど、最悪京訛りくらいでもいい」

「へえ。てかさ、俺としない?」

「…………………アホかアンタ耳と脳ミソ腐ってんのか!」

 ニコニコ言い放った砂理を、充は勢いよくしばいてしまった。なかなかの音が響いたが、相手は首をかしげて意味ありげな目つきをする。「えーん。いいじゃん、俺巧いよ?」

「さっきからこっちが言ってる条件になにひとつ当てはまってないどころか経験人数何十人かも定かじゃないビッチ、いやそもそも付き合ってもない後輩でも見境なくセックス誘うクソギャル中古ビッチがなにほざいてんだ!」

「ひ、ひどい、本当にひどい暴言だよユニちゃん!」うえーん、と泣き真似をする砂理に「しゃらくせえわ!」と時代がかった言葉が飛び出してしまう。

「俺つきあったら一筋だよ!? 今フリーだから声かけてるだけだもん!」

「いやさすがにいきなりすぎだろ、俺アンタの好みの範疇なわけ!?」

「俺手がキレイな人ならなんでもいけるよ、ユニちゃんのことも写真の手で覚えてたし! てか手キレイだよね、ちょっと触らせて」

「やかましいわアンタのストライクゾーン太平洋か! そして手に触るな、掴むな、指を絡めるな! ──アンタとは何があっても寝ないからな!」




 と、数ヶ月前には言ってのけたはずだったのだが。

「あっ、み、ミツルの、かたい、かたいよぉっ」

「うるさい、なんで今名前呼ぶんだよっ」

「ひっ、ひーっ、だって、だってえっ」

「あーもう、よけいなこと喋んな先輩ッ」

 ベッドサイドの砂理のスマホから流されている、雨だれめいたシティ・ポップなんてかき消されるくらい、大きな声と、ベッドがきしむ音。IKEAの組み立て式の安ベッド、別に上で致しているわけではなく、手をつかせているだけなのに、どうしてこんなに大きな音がするのか。安いからか。腰を振っているときにふっとやってくる、体と頭が分離したようなひんやりした浮遊感。熱暴走しそうな体と対照的に、頭は勝手に違うことを考える。

「まじで、なんでこんな簡単に入っちゃうのさ、先輩どんだけ遊んでんだよっ」

 尻をひっぱたくと、高い声をあげて砂理の体が前のめりに倒れる。突き込みやすい角度にしたくて、背後から肩をつかんで体重をかけると、雪崩れるようにベッドの上に二人の体が乗る。

「だ、だって、セックスって犯罪じゃないんだよ!? こんなに気持ちイイのに合法なんだよ? すごくない? こ、こんなのやめられないよぉ、あーっ、それ、それやって、もっと」

「アンタやべーよ、マジ、病気うつったら殺す」

「だいじょーぶ、検査してるし、あっ、クスリものんで、あっあ゛、まって、まってよぅ、はやいよおぉ」

「だから、うるさいって」いい加減息が荒いが、合間に低くこぼす。「絶対きこえてんだけど、隣に」

「ダメなわけぇ? 怒られてからやめればいいよ、最後までいこうよ」

「ふっざけんなよ……」

 汗で濡れた前髪、ふだんは邪魔だなんて思うことはないのに、体が揺れるたびそれが額や頬を叩いて集中できなくさせる。

 最後までいくんなら、と充は上半身を起こす。手早く、手首にいつも巻いているヘアゴムをとった。外すのが面倒で放っておいてよかった、と思う。

「髪結ぶの?」

 返事をせず、振り返ろうとした男の頭をつかんでシーツに押しつける。そうだ、食費の代わりにこいつに洗濯させよう、と思い付く冷静さを、限りなく頭の隅へ追いやる。

 酒とは非常に怖いものだ。こんなに、想い人とはかけ離れた相手でも勢いで抱けるのだから。

 シーツに顔を埋めていた砂理は、うなじを真っ赤に染めながら、でたらめに手を背後に伸ばす。

「充、手、手ちょうだい、さわらして」

「……」面倒に思いながら、片手でその指先をつかんでやる。途端、絡めとるように指がすがりついてきた。ついでに、中も締めつけてきた。

「充の手、細くて薄くって、かわいい、あー、指長いね、かわいいね」

「……ホントにうるさい」

 首を絞めてやろうか、と思う。この男はそれでもイきそうだ。

「あ、いきそう、あー、もうだめ、あぁ、あうぅ」

 泣きそう、というより、息の詰まるような声がして、ぐっと眼下の背中に筋肉の陰影が浮かぶ。びく、びく、とくぼんだ腰が緊張して、ぎゅっと手を握り込まれる。

 数秒の硬直と弛緩、ほどけた背筋の上で光る汗を見下ろしながら、充は奥歯を噛みしめて腰を動かし始める。

「あ、あ、あつい、あついね、ミツルの……」

 熱に浮かされたような息づかいで、砂理はふにゃふにゃ囁く。達した頂から、少しずつ落ち着いてきた肉体に性感以外の感覚が戻ってきたのか、「ミツルの、かたくて、あつくて、イイよ、かわいい、」とやたら夢見心地の口調で垂れ流す。この口なんとかして塞いでやりたい。この、同じくらい熱い、こなれた中の具合も腹立たしい。不慣れで、痛がって、それをなんとか隠そうとする姿が見たいのに。

 射精のときは目を閉じた。ぱちぱち爆ぜる瞼の裏、暗闇に白が飛ぶのを幻視する。即物的な快感の波が引くと、急に静けさと二人ぶんの荒い呼吸が耳を刺した。いつのまにか、プレイリストが終わっていたらしい。砂理がのろのろと腕を伸ばし、ティッシュを取りつつ、スマホの画面を弄る。また、部屋の暗がりに染み入るようなシティ・ポップが流れ出した。

「………シーツ、アンタが洗えよ」

「えー。わかった。……明日でいい?」

「ダメに決まってんだろ。俺今夜ここで寝んのかよ」

「バスタオル敷けば?」

「………え、アンタ帰んの、これから」

「かえりたくなーい。あ、シャワー借りるね」

「は? じゃあなおさら今洗え、あと床で寝ろよ」

 曖昧な返事をしながら、砂理がベッドからおりる。他人の家を全裸でうろつく堂々たる背中に、なにかものを投げてやりたい衝動に駆られた。




「ユニちゃん、なんでそんなご飯作んのうまいの?」

「サッポロ一番程度でなに言ってんの」

 充は白菜とにんじんに火を通しながら、戸棚から袋麺を出す。その傍らで、冬の深夜だというのにシャツとボクサーパンツだけで、馴れ馴れしく砂理は話しかけてくる。

「俺、袋のラーメン作るときそんなに手間隙かけないよぉ。なんでそんな色々できるの?」

「よりうまいもん食いたいから。以上」

 白菜たちの小鍋に、既に小皿に用意済みの、刻んだ長ネギやワカメを投入する。

「……アンタの分、ないからね」

「なんでよぉ! 作ってよお」

「うるさ。分けてやるから。あと、そこの食パン焼いて食べていいよ」

 厚切りの食パンを嬉しそうに取り出す砂理の背に、ふとそのまま、言葉がまろびでる。

「ウチ、父子家庭だから。父親は仕事あるし、惣菜だと高いし……飯、自分で作らないと、自分好みのうまいものが食べられなかったわけ」

「ははあ。それでユニちゃんが一角家のシェフになったわけね」

「別に、ものすごく料理好きってわけでもないから、レパートリーはたかが知れてるけど。昔はぶり大根とか、鶏じゃがとかよく作ってたな」

「へえ。和食得意?」

「うーん、得意というか……ま、食べる方としては好き。結局、自分が食いたいものを作るわけだから」

「…ねえ、もしかして、料理教えてくれた人とかいる?」

 まな板の脇に肘をつかれ、邪魔だと睨むが相手は意に介さず。「さては初恋の相手とか……あ! わかった、その人が京都弁だったんでしょ」

「はずれ」素っ気なく言い放ちながら、スープのもとをいれた器に、麺をゆでたお湯ごと注ぐ。

「えー、おかしいなあ。こういうのって、初恋の相手が忘れられなくてっていうパターンが多いと思ったんだけど」

「…料理教えてくれたのは中学の先生」初恋の相手が京都弁だったのは確かだが──そこまで言うことはない。

「俺が探してる条件は、その…あくまで理想の相手だし」

「じゃあ、ユニちゃんの理想の相手が見つかるまでは俺が相手してもいいよね」

「……だからなんでアンタはそう話が飛ぶんだよ!?」

 充が怒鳴りつけても砂理はへらへら笑っている。それでも、恋しい相手とは似ても似つかない厄介な男のために、充は新しい器を出してやった。


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