実存主義
土曜日の午後。
毛利さんが彼女の書いた小説を読んでほしいと言うので、原稿を持ってくることになっている。
僕は彼女が来る前に掃除をして、消臭剤を撒いて待ち構える。
そして、毛利さんがやって来た。
僕は彼女を部屋に招き入れると、座布団を手渡してローテーブルに座るように言う。
僕も座る。
早速、毛利さんは原稿をカバンから出して手渡してきた。
A4の紙にプリントアウトされた原稿。
これなら、メールで送ればいいのに、と思ったが口には出さなかった。
見ると紙で10枚程度、分量は、さほど多くないので20~30分もあれば読み切れそうだ。
というわけで、読み始める。
正面から、毛利さんが小説を読む僕を見つめている。
見られていると、なんか、落ち着かないな…。
それでも何とか読書開始。
タイトル『林檎と実存主義』
1行目。いきなり何やら難しい表現が…。
その後も、なにを言っているのか、さっぱりかわからない。
それでも、読み進める。
即自? 対自? これって哲学用語??
なんというか、独特の表現(なのか?)があったりして、理解不能。
続けて、読む。というか、ほとんど理解できないので文章を目で追うだけ、という状況。
予想より時間がかかったが、なんとか最後の紙を読み終える。
「読んだよ」
僕は原稿から目を離し、顔を上げた。
「どう?」
「うーん……。難しすぎて理解が追いつかないよ……。これって哲学書?」
「ちがうよ。恋愛小説」
どこが?!
「ボーヴォワールの『第二の性』やサルトルの『実存主義』から着想を得たんだけど…」
誰それ?
「もう少し、一般人にもわかる文章に嚙み砕いた方が良いかも…」
僕は無難にアドバイスをする。
「そう…」
僕の感想を聞くと毛利さんは寂しそうにしている。
何でもいいから、褒めた方がよかったかな?
僕は原稿を彼女に戻す。
「やっぱり、私、文章を書くのは向いてないのかな…」
毛利さんは原稿を僕から受け取りながら言う。
「いやいや。でも、まだ、書き始めたばかりだし、これからだと思うけど。毛利さんは本をたくさん読んでるから、引き出しも多いだろうし。こういうのも慣れなんじゃあないかなあ。難しい文章が書けるということは、簡単な文章ならお茶の子さいさいでしょ?」
とりあえず、慰めておく。
「うん」
毛利さんは静かに頷いた。
ん?
僕は不意に扉の外に人の気配を感じた。
立ち上がって、扉を開ける。
すると、妹の美咲がジュースが2つ乗ったトレイを手に立っていた。
「おい。盗み聞きしてただろ?」
僕は妹を睨みつけた。
「え? し、し、してないよ。いやだなあ」
妹は、へらへら笑いながら部屋に入った。
「飲み物、持って来たよ」
そう言うとローテーブルにジュースの入ったコップを置く。
「じゃあ、ごゆっくり~」
妹が出て行った後は、僕と毛利さんはこれまで読んだ小説についての感想などを語り合って過ごした。
さすが、毛利さんの読書量は違う。
ほとんど僕の知らないものばかりだった。
それが、彼女の執筆の肥やしに上手くできれば、いい作品が書けるはずだと思った。
「ところで」
毛利さんは唐突に話の内容を変えて来た。
「織田さんとは、どうなの?」
「どう、というと…?」
「デートとかしてるのかな…って」
「デートは先月2回したな。今月は全然。言ったでしょ、あっちが演劇部で忙しいから」
そして、織田さんの家に行ったことは、わざわざ言わなくてもいいだろう。
「2人は、“仮”で付き合ってるって聞いたけど?」
「そうだよ。1か月の期間限定で、その後はまだわからない。今月末に僕が、付き合い続けるかどうか決断しないといけないんだけどね」
「どうするつもりなの?」
「うーん、悩んでいる。正直、今、彼女に対して恋愛感情が無いんだよ」
「え? そうなの?」
「うん。彼女は噂と違って、全然悪い人じゃあないと思うんだけど、それで、僕が好きになるかどうかは別の話」
「そっかぁ」
僕のほうも毛利さんと伊達先輩が、どうなのか聞きたかった。
喉まで質問が出かかったが、なんとか堪えた。
いまさら、2人がキスしているところを書庫で覗き見たなんて言えないよな。
話もほどほどに、毛利さんは帰宅することになった。
毛利さんを玄関で見送って、今に行くと両親と妹がくつろいでいた。
妹は僕を見ると尋ねた。
「毛利さん、もう帰っちゃたの?」
「ああ、今日の用事は終わったからな」
「そんなことより、お兄ちゃん、彼女が居るのに別の女を部屋に入れちゃあダメじゃん!」
「え?」
ああ、そう言えば、そうだった。迂闊だったかな?
「浮気だよ! 浮気! それとも、織田さんが本妻で、毛利さんを第2夫人にしようとしてるんでしょ?」
「してないよ! それより、人の部屋を盗み聞きするなって言っただろ?」
「お兄ちゃんの浮気現場を押さえようと思っただけだよ!」
「毛利さんとは、ただの友達だって。お前が想像するような変な関係じゃない」
「何もなくても織田さんがどう感じるかでしょ? 今度、織田さんが来たら浮気してったて言うよ!」
「言わなくていい」
「本当にお兄ちゃんは女子の気持ちがわかってない!」
それは否定できないな。
これ以上、妹に責められてるのはつらいので、居間を後にして自室に戻った。
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