039 篝火の霊廟③

『■■■■■■■■―――ッッッ!!!!』



 鮮やかな真紅が巨大な掌の形を作り、大きく振り上げた。

 標的は、イフリートから一番近いシャルル――



「――シャル……ッッ!!?」


「先輩――やっとこれで……」



 黒紫が弾ける。

 《天鎧強化フィジカル・ブースト》・壱段階ザ・ワンを纏った俺は、その場で左拳を穿つ。




『■■……ッ!!?』




 拳を打った衝撃波で炎の掌底が消え、イフリートの炎で創られた巨体が風に煽られた蝋燭のように揺れる。

 なんとかイフリートの掌底をかき消すことには成功したが、しかし……




「――くそッ、シャルル……ッ!!?」




 俺が放った衝撃波が炎をかき消すのと同時に、シャルルの小さな肢体をも吹き飛ばした。

 風圧に浮いたシャルルは、紙切れのように吹かれ――道幅を越える。


 轟々とうねりをあげる灼熱の岩漿マグマへ、シャルルが落ちる―――




「――ふふ、やっと先輩に触れられたデス……♡」


「……



 マグマへ真っ逆さまに落ちるシャルルの肢体を抱いた俺は、自嘲気味に呟いた。

 てっきり、カティアに呪術をかけたものと思っていのだが……まさか俺だったとは。

 服と皮膚が超高温にさらされ、焼き焦げていく――瞬間、淡い光が俺たちを包み込み、火傷が癒える。



「シャルの魔力が尽きるまでは、死なせませんよ。デス」


「地獄だな、それ」



 俺の首筋に顔を埋め、気持ちよさそうに息を吸うシャルル。

 約二年ぶりの抱擁。

 あの頃と変わらない香水の匂いが、シャルルの全身から漂ってきた。



「一緒に死んでくれて、ありがとうございます。先輩……デス。シャルは幸せデス」


「悪いけど……死ぬつもりは毛頭ないぜ」



 落下が止まる。

 俺の足首に絡みついていた鎖がピンと張り詰め、今度はものすごい勢いで引き上げられていく。

 それを見て、シャルルが忌々し気に崖上を睨みつけた。



「……エル先輩デスか……先輩とシャルの逃避行を邪魔する輩は……デス」


「恨まないで感謝しろよ」


「あの寝取られ変態趣味の女には、この崇高な愛なんてわからないんデス」


「俺もわからんよ」


「ぅぅ、先輩ぃ……デスぅ」



 もう離れないと言わんばかりに抱きついて、背中に爪を立てるシャルル。

 シャルルの短い青髪が俺の頬をくすぐる。



「許してください、デス。こうでもしないと、シャルはいつまで経っても先輩に触れられないのデス。もう、我慢の限界だったんデス」



 引き上げられる最中、シャルルが耳元で囁いた。甘い吐息と、舌の動きが鮮明に鼓膜を舐る。



「命に危険が迫った場合、あらゆるしがらみに囚われることなくシャルルを守らなければならい――そう契約書にサインしたからな。俺は命懸けでおまえを守らなくっちゃいけない。制約よりも契約書の方が優先度は高いから……策士だよ、おまえ」



 シャルルをパーティに勧誘しにいったあの日。

 譲歩に譲歩しまくった契約書にサインした項目の一つが、命懸けでシャルルを守ること。その場合にのみ、制約は一時無効となる。



「今のうちに先輩の貞操も欲しいデス!」


「貞操どうこうはあげられないけどよ……おまえが卒業さえすればその制約だってなくなるんだぜ? わざわざイフリートを召喚するまでもなかっただろ」


「わかってないデスね、先輩。たとえ超絶優秀なシャルとて、あの魔境を無事に卒業できるという保証はないんデス」


「……そうだけど」


「あと先輩? あのイフリートは召喚したんじゃないデスよ。シャルは使い魔も召喚獣も使役してませんデス」


「……じゃあ、やっぱりトラップの類?」


「はいデスっ♡」



 まあ、そうだよな。

 イフリート。

 たまたま、文献で見たことがある。

 S+相当のランクを保有し、特性――固有能力スキルは二つ。



 周囲の炎を自在に操る『炎々奏者ブレイズ・オーキス』と、わずかな火種があれば決して死ぬことはない『不死鳥の階梯ザ・フェニックス』。


 

「最悪な環境だな……まずこんなダンジョンにいる時点で、アレには到底敵わない。勝ち目ゼロだ」



 見渡す限り燃え盛っているダンジョンだ。イフリートにとっては最高の環境だろう。

 炎は扱い放題。火が残っていればそこから復活できる。

 しかも脅威のS+……。



「勝ち目なんてほぼないだろうが――いや是非とも手合わせを願いたい。ホントに死なねえのか俺が試してやる」


「ぁん、先輩カッコいいデスっ! シャルはどこまでも付き合います! デスっ!」



 今の俺がどこまで通用するのか。

 S+なんて滅多に戦える魔物じゃない。

 俗に特級魔人か、魔王の側近レベルと言われているランク帯だ。

 胸が躍らない方がおかしい。どうかしてる。



「――よかった、生きてて。早く逃げよう」



 鎖に引きずられてなんとか這い上がってこられた俺たちは、幾重もの鎖で巻き取られたイフリートを目撃した。



「じ、実体のない炎をどうやって……」


「存在そのものを拘束する。それが――《無謬の天鎖アン・エクリプス》」


「か、かっけえええ……ッ」


「えへん」



 さすが、上位拘束魔術。

 久方ぶりにエルメェスを先輩として尊敬できた。



「……斬れないわ。悔しいけど、殺せない……ッ」


「カティちゃんが引きつけてくれたおかげ。もう五十回は斬ってる」


「一時的に動きを止められても、全くダメージ無し。さすがはS+といったところかしら。……今のわたしじゃ、あの人のようにいかないか」



 口惜し気に唇を噛み締めて剣を鞘に収めるカティア。

 その真横から、炎の波が迫っていた。



「――ッ」


「カティ!?」


「……っ、問題ないわ。少し焼けただけ……ッ」



 後方へ跳んで躱したものの、カティアの左足首が一瞬だけ呑まれた。

 ブーツごと足が見るも無惨に溶けた刹那――淡い蒼白の光がカティアの足を巻き戻すかのように再生させた。



「今回だけデスよ。次は助けませんから。デス」


「……感謝するわ」



 ふん、と鼻を鳴らしたシャルルが、引力に反発されたかのように、見えない力で俺から二メートル引き剥がされた。

 


「いやぁぁぁッ!? 先輩ぃぃぃッ!?」


「死別する勢いで叫ぶなよ」


「酷いデスッ!! せっかく――せっかく結ばれたのにぃッ!! デスッ!!」



 今生の別れのごとく叫び散らかすシャルルへ、炎の渦が走る。

 笑みをたたえるシャルルをお姫様抱っこの要領で抱き上げて、俺は横へ走った。



「――おまえの手のひらで踊らされてる気分だ」


「先輩、お礼にシャルの処女もらってくれます? デス?」


「全面的におまえだけのご褒美じゃあねえか」


「アルマ、逃げるわよ」


「か、カティ……違うんだ、これは契約だから仕方なく……ッ」


「責めてないから」


「あーくん。お姉さんは許しません」


「先輩は姉というか歳の離れた妹って感じなので、今さらお姉さん面しないでください」


「……っ」


「先輩の妹ポジはだれにも渡しませんデスッ」



 拘束されているとはいえ、炎を操ることができるイフリートは、岩漿マグマを噴出させ、さながら津波のように通路へと流出させる。

 引き攣る俺たちをよそめに、マグマが濁流のごとく押し寄せてきた。



「逃げろ逃げろ逃げろッ!! シャルが居るとはいえ、喰らったら痛いぞ!!」


「痛いってレベルじゃなかったわ。間違いなく死ねるわね……っ!」


「経験者が言うなら違いねぇッ!」


「あーくん、私も抱っこ」


「必死に走ってください先パ――あんたほんっとに俺より年上かッ!?」


「また私にタメ口。結婚するまではだめよ」


「なら俺の背中から降りてくださいッ」


「降りろぉッ! デスっ! 先輩の体に触れるなぁッ! デスっ!」


「……甚だ、危機感の足りないパーティね」



 凄絶な質量の濁流に追われながら、カティアの言うとおり危機感ごと置き去りに俺たちは階層を駆け抜けた。


 


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