034 ダンジョン攻略前夜デート①

 シェアハウスを初めて三週間が経った。

 ダンジョン攻略の期限まで、残り一週間と一日。



 その間に依頼を数件達成し、カティアの小言は少なくなり、シャルルは不用意に誰かを貶める回数も減った。エルメェスは相変わらず壁際じゃないと寝れなくて、最近は無職アピールも減っていた。



 そしていよいよ、明日――ダンジョンへ向かう。

 そんな折りだった。




「――ごめんなさい、先輩っ! デス! シャル、きょうは学園で特別講習があるのデス! それには必ず出席するようにと言われてて……デス。明日の朝までには帰ってくるデス! 心配しないでほしいデスっ!」




 早朝、ストリッパーよろしく目の前で魔術学園の制服に着替えたシャルルが、ペコペコと頭を下げながら、慌ただしく部屋を出て行った。



「き、気をつけてな……?」


「——はいデスっ!!」



 すっかり忘れていたが、シャルルはまだ学生だった。

 ここのところずっと一緒に行動していたから、完全に頭から抜け落ちていた。



「——あーくん。私もきょうは用事があるの」


「え? 先輩もですか?」



 洗面所から、湯上がりの火照らせた体をバスタオル一枚で隠したエルメェスが、クローゼットを開く。桃色の下着が床に落ちてきた。



「先輩……パンツ、落ちましたよ」


「ん。えっち」


「ハイハイ……」


「こっちとこっち、どっちがいい?」


「み……右側の黒パンツで」


「ん。……どこ見てるの?」


「……先輩の胸」



 この三週間で、すっかり慣れてしまった俺はもういっそのことガン見してやろうと、エルメェスのふくよかな胸部に視線を定めた。


 先輩は特に恥ずかしがることもなく、俺が選んだ黒色の下着を履きだした。

 俺は、窓から外の景色をみていた。

 先輩、大胆過ぎです。殺す気ですか、俺の理性。



「月に一度、両親とご飯を食べに行くの。それがきょう」


「そうなんですか。……それは大事ですね」


「ん。両親に聞かせてくる。学園の後輩が湯上がりの私を視姦してるって。しかも、一緒に暮らしてるってことも。なんなら、下着も選んでもらってるって」


「せめて視姦のところは言わないでください。お願いします」


「ふむぅ」



 程なくして、珍しくオシャレな格好をしてエルメェスは部屋を出て行った。

 部屋に残された俺は、まだベッドで眠っているカティアが起きないよう寝巻きから動きやすい格好に着替え、書置きを残してからジムへと向かった。







「――いいぞッ! いいぞ、ナイスマッスルだ、アルマッ! キミの大胸筋には一体どれほどの固定資産税がかかってるんだいッ!?」



 筋トレ仲間のジョニーがプロテイン片手に、ベンチプレスに励む俺の横で騒いでいた。



「さあ、腹筋にも力を入れるんだッ! ――わおッ!!? キミの腹筋はスイートルームより広いじゃあないかッ!!?」


「ふ、腹斜筋でドラゴンの鱗が削れるぞッ!!?」


「パンプした胸筋がパイパイでか美ッ!!!」


「上腕筋がスケルトン千体分ッ!!!」


「ヒュドラも羨む腹筋八LDKッ!!!」



 次々と寄ってくる筋者トレーニーが騒ぎ散らかす中、俺は全身から汗を吹き出しながら三〇〇キロのバーを持ち上げた。




「GAAAAAATSBYYYYYYYYY――――ッッ!!!」







「――お疲れ様、アルマッ! キミの素質には感服したよッ! よもやその体重で、三〇〇キロのバーを持ち上げられるなんてねッ! 僕の辞書にもそんな人物は見当たらないよッ!」


「お、おう……あンがと」



 汗をタオルで拭いながら、差し出された必須アミノ酸に口をつける。

 酸っぱいような甘いような、そんな感じの液体だった。



「ところで、アルマ。キミは演劇に興味はあるかい?」


「演劇? 見たことないな」


「なら行ってみるといいさ。ちょうど二枚手に入ったんだけれどね。生憎とB級グルメ大会の予選があって、泣く泣くそちらを優先したよ」


「また出場するのかよ」


「前回は準決勝で負けてしまったからねッ! きょうこそは優勝するよッ!!」



 ジョニーからありがたく演劇のチケット二枚を受け取り、俺はシャワーで汗を軽く流してから部屋に戻った。




「――おかえりなさい。お腹が空いたわ。何か作ってくれる?」




 部屋に戻ると、カティアは二つのベッドに橋を掛けるように百八十度足を広げて、股関節のストレッチを行っていた。

 しかも腕を組んで、気持ち悪い笑みも浮かべている。

 どっかで見たことがある絵だった。



「いつからその態勢なんだ……?」


「十分ぐらいかしら? 眠気覚ましにやってたの」


「そ、そっか……。な、なんか適当に作ってくるわ……」


「頼むわ」



 立ち上がったカティアは地べたに座り込み、その後もストレッチを続けた。

 それを横目に、俺はキッチンで適当に朝食を作りはじめる。



「……」


「……」



 涼しげな部屋に、穏やかな朝日が差し込む。

 カティアが息を吐く音と、卵が焼けていく音。

 久しぶりの、二人っきりだった。

 胸が高鳴る。

 鼻歌でも歌いたい気分だ。



「カティはさ……なんかきょう、用事でもあンの?」


「ないわ」


「そっか」


「……なによ? それで終わり?」


「まあ……。……あ」



 そういえばと、ジョニーからもらった演劇のチケットを取り出す。

 開演は夕方から。



 大富豪に成り上がった青年が、昔付き合っていた貴族婦人を取り戻す……みたいなニュアンスのあらすじが書かれていた。



「演劇とか、どうよ? 友人からチケット二枚もらってさ。せっかくなら、カティと……行きたいな、とか思ったり……」



 柄にもなく緊張して、口の中が乾く。

 そんな俺を見て、カティアが訝しげに俺を見やった後、



「ふぅん……いいけど」



 わずかに口角を上げて、頷いた。



「お、おう……! 開演は夕方なんだけど、夜飯はどうする? 食ってから行くか? それとも終わってからにするか?」


「見終わってからにしましょう。先にたべると眠たくなってしまうから」


「わかった。……ちなみに、それまでどうする? 依頼でも受けに行くか……?」



 テーブルに皿を置きながら、いてみる。

 カティアは、数秒俺の目を見つめてから、鼻をふんと鳴らした。



「…………誘いなさいよ」


「え? な、なんて言った?」


「男の役目でしょ。そういうの」


「え? え、と……」



 ムスッとした様子で椅子につくカティア。

 困惑しながらもその向かいに座ると、カティアが唇を開いて、閉じて。また開いた。



「……で……」


「で……?」



「で、デートに……誘いなさいよ…………ばか」



「……ッ!?」


「……っ」



 徐々に首から肌色を赤くしていくカティア。

 俯き気味に瞳を潤わせて、再度、呟いた。



「ばか。あんた、ばか。ばかばか」


「……」



 あの無愛想で、口が悪くて、言いたいことはストレートに言ってくるあのカティアが、上目遣いで可愛らしい〝ばか〟を連発した。



 〝斬撃公ヘル・クォーツ〟だなんて物騒な異名で呼ばれるカティアの口から、そんな可愛らしい言葉が出てくるなんて。


 

 これは、夢か?

 いや、夢じゃない。

 この胸の高鳴りも、この心地いい息の詰まりも、今すぐにでも押し倒してしまいたいと駆られる情欲も、全て現実だ。



「……カティ。きょうは俺に付き合えよ」


「……ん」



 短く頷いて、カティアが俺から目線を外した。

 デートのプランや行くあてもなにもなかったが、それでいいとさえ思った。

 


 カティアと一緒にいられれば、たとえダンジョンの最奥でさえアミューズメントパークだ。

 行ったことないから知らんけど。



「……なによ。気持ち悪い顔しちゃって」


「とても楽しみだなって。カティとデート」


「……うるさいわね」




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