003 超越者

 ディゼルに連れてこられた場所は、なんと勇者とそのパーティしか入ることを許されていないダンジョン『剣の迷宮』だった。



 通称『勇者の試練』とも呼ばれるこのダンジョンに、なんの躊躇いもなく、硬く閉ざされた扉をこじ開けて入っていく。



「あ、あの……ここは」


「構わん。誰にも咎められはせンよ」


「は……はあ」



 仕方なく、俺はディゼルの後を追った。

 等間隔に埋め込まれた水晶が淡い光を放ち、それの続く方向へ階段を降っていく。



 その間、終始無言。

 話しかけてもいいものなのか……何とも言えない雰囲気に気圧されて、俺は黙ったまま歩く。

 しばらくして、ディゼルは行き止まりで足を止めた。



「……?」


「懐かしいなあ。数十年ぶりか」


「ちょ――」



 おもむろに壁に向かって話しかけたかと思うと、次の瞬間――拳を振り抜いた。



「ええ……」


「なんだ、知らンのか勇者パーティのくせに」



 壁の向こう側――さらに下層へ続く階段に足を置いたディゼルが手招きする。



「早くせンと、壁が修復されちまうぜ」


「あ、は、はい……!」



 慌てて粉砕された壁の向こう側に足を踏み入れる。

 瞬間、ゴゴゴ……と低い音を鳴らして新たな壁が道を塞いだ。



「これは……?」


「本当に知らんのか? 今の勇者パーティってのは、まさか入るたびに一階層からやり直してるンじゃあるまいな?」


「そ、そうですけど……」


「クァァァッ!! なンて時間の無駄。無駄無駄、ムダァッ!!」



 またもや禁句に触れたのか、叫び出すディゼル。

 率直に、筋肉が咆えている姿は怖い。

 


「そもそも、勇者の紋章があればここは自ずと開くはずなンだが……そのヘリィンとやら、本当に勇者か?」


「え? は、はい……確かに勇者ですけど」


「間抜けな勇者がいたもンだ。まあ、小僧を追放するぐらいだ。底なしの阿呆よ」


「あ……ありがとうございます……?」


「むしろ離れられて幸運だったかもな。なンせ、この儂と出会えたのだから」



 階段を下りながら、ディゼルは豪快に笑った。

 感覚的に、三階層ぐらいは下った気がする。

 階段を降りた先には、ボス部屋のような広い部屋が存在した。

 その中央……埃まみれの転移陣が、来客を待ち侘びるよう淡く発光していた。



「転移陣……この先はどこに繋がってるんですか?」


「これは、使用者が最後に到達した階層まで跳べる。確か、小僧は百層まで行ったンよな? なら百層までしか行けんが……」



 魔法陣の上に立ったディゼル。埃に塗れていた転移陣が、時計回りに回転をはじめ、眩く光を漏らす。



「儂なら二百層だ」


「に、二百!? それって最終階層じゃ――」


「いいから早く乗れ。置いてくぞい」


「は、はいッ!?」



 足を踏み入れる。すぐさま光に呑み込まれ——

 光が収まるとそこは、




『■■■■■ッ!!!!』




「ぅぁッ!?」



 突如、目の前に現れたのは巨大な黒山羊ゴートだった。

 二本足で地を踏み、引き締まった体躯は黒く不気味。

 両腕には二本の大剣を握り、天井スレスレまで伸びた巨体全身を使ってソイツは、えた。



 なんて、威圧感だ……ッッ!!



 百階層のボスなんかとは比べ物にならないほど恐ろしく凄まじい圧を身に受け、俺は動けず棒立ちとなる。

 そこへ——魔物の大剣が振り下ろされた。

 


 あ、死んだ――そう確信した矢先、



「久しいな、黒山羊の悪魔バフォメット。貴様も相変わらずだ」


『■■■ッ!!?』



 ディゼルの体が、紅の雷で覆われた。

 そこから発せられる圧が、暴風が、バフォメットと呼ばれた魔物の大剣を押し返す。



「——小僧」



 呼ばれ、俺は返事をするどころか息を吸うことすらままならなかった。



 何故なら、その姿を――俺はっているから。



「儂や小僧のような、強化魔術しか扱えない付与魔術師出来損ないの役割ってのは、味方の肉体を強化してやることじゃあねえ」


 

 これまで、伝説として語り継がれてきた英雄譚の一つに、こんなものがある。



 ――それは、小山のように巨大な肉体を持つ、赫炎カクエンの戦士だった。



 かの勇者アムルタートと肩を並べ、魔王に挑む〝列聖〟の一人。

 あらゆる魔物を、魔族を、時には己よりも巨大な竜種ドラゴンを、その稲妻纏う剛力だけで退かせ、数多の伝説と財を築いた武神。




 三人目の〝超越せし者エクストラ・ワン〟――〝赫炎列聖ダイ・ハード〟の名を冠す、最強の一角。




「己の肉体のみを付与強化するッ……!! それこそが真の付与魔術師というものよッ!!」




 刹那――音を置き去りにして、ディゼルがその場で拳を振るった。

 視認することもかなわない拳撃。

 颶風ぐふうのごとく駆け抜けた衝撃波はバフォメットの巨体を穿ち、たったの一撃で絶命させた。



「あ……あ」



 開いた口が塞がらないとは、このことだった。

 あの尋常ではない強さを内包した魔物を、たった一撃で屠ってみせた大漢。



 列聖——超越者。

 体の震えが、止まらない。



「サポートなど他の術者に任せておけ。はなから、儂らの役割ではないのだからな。——たった一つの魔術しか、扱えないと無能呼ばわりされた? くだらん、むしろ誇れ。他のことに費やす時間が減ってよかったな、小僧」



 紅雷を纏うディゼル。

 拳を突き放った勢いで弾け飛んだ服など見向きもせず、彼は、凝縮された筋肉の宇宙を俺に見せつけた。



「無能と呼ばれ、無才と言われ……詐欺師、糞溜め、ゴミクズなどと……好き勝手に、言い返すこともできず罵られたか」



 記憶が蘇る。

 ついさっきの、宿屋での出来事が反芻はんすうされる。



『はッ! 負け犬が吠えてやがるぜ!』



『惨めね』



『ふん……つくづく、つまらん男だ』



 冷め切った目。舌打ち。嘲笑。侮蔑。

 これまでの信頼関係がまるで嘘だったかのように、容易く見切られたあの瞬間。



 悲しくて、辛くて、死にたいとすら思って。



 でも、それと同時に、今は――




「悔しかっただろう。苦しかっただろう。だが、安心しろ。貴様は無能でも無才でもない。誇れ、その才を。小僧は真に、神から祝福された漢だ」




 涙が、溢れてきた。

 膝をついて、俺はみっともなく涙を垂らして、見上げた。



 ディゼル老人を。

 赫炎列聖ダイ・ハードを。

 一つの事柄を極め、星に認められ、名実ともに頂点に立った漢――超越せし者エクストラ・ワンを。



「儂がおまえを鍛えてやる。強く、強く……誰よりも強い付与魔術師に。その覚悟はあるか?」



「……ッッ!!」



 声の代わりに、俺は大きく頷いた。

 それを受けて、ディゼルは寛容に笑う。



「名乗れ、小僧。貴様の名をもう一度、この儂に聞かせてみせい」


「俺は……俺は、アルマ……ッ!!」



 ――これが、俺と師匠の出会い。



「いつか、最強の付与魔術師になる……アルマだ……ッ!!」



 そして、長い一年の幕開けだった。




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