誰かがそう言ったんだ

野口マッハ剛(ごう)

懐かしい声

 淀川に沿って歩く。整備された道をゆく。すれ違う人々は色々。初めに走っている男を見た。何をそんなに一生懸命に頑張るのだろう。わからない、ただどこかカッコいいと思える。次に見たのは親子三人組。若そうな両親と幼い子供。なぜか、いいなあと感じる。何も不自由さを思わせない所に憧れを抱く。それから、デートをしている若い男女。どこか胸にチクリと刺さるものを俺は覚える。

 二十五にもなってフリーター。何も考えもせずに生きてきた。仕事以外は何もせずに生きてきた。その結果、俺は山も谷もない人生を辿っている。満足もなければ、不満もなくて、喜びもなければ、悲しみもなかった。

「そのままでいいの?」どこからともなく女性の声がした。懐かしい声だった。

 周りには人がいない。人気のない淀川の辺りまで来てしまったようだ。草木がぼうぼうと生い茂る。スマホを取り出して現在の位置を確認する。ああ、自宅からはそう遠くはない。

 そして、聞こえた女性の声が誰なのかを思い出そうとする。しばらくは立ち止まって考える。ひとつひとつ思い出がよみがえってくる。

 ひとつ目は中学生の時で初恋の相手。地味だけどどこか可愛かった。しかし、先ほどの声のぬしではなかった。

 ふたつ目は高校生で部活の女マネージャー、当時はサッカーをやっていた俺。少し考えてやはり違うなと思う。でも、二番目に好きになった相手だ。今になって思い出した。元気にしているかな?

 とうとう思い出せないかと俺は諦めた。歩き始める。自宅の方向へ。

 その時だ。ああ、思い出せた。その声のぬしの正体は、俺が最初にアルバイトした時に知り合った女の子だ。三つ年上の可愛い人。そういえば付き合った相手だっけ? それも人生最初のデートの相手。なんで別れたんだっけ? 思い出せない、気付けばスマホの電話帳を開いていた。

 今はどうしているんだろう?

 いろんな考えが浮かんでくる。ひょっとしたら、その子は他の男と一緒になっているかもしれない。いやいや、遠いところへ引っ越しているかもしれない。あるいは、まだ俺のことを思っているかもしれない。

 歩きながら不意に走りたくなる。足がいつの間にか駆けていた。何かに向かって。息が上がり始める。ゼイハアと肩で息をしながら立ち止まる。大した距離も走れなくなっている。

 淀川を見た。

 緩やかな流れを俺は見た。

 もう遅いのだろうか。やり直すには。


 次の仕事が済んで休みの日に、俺はスマホを自宅で見つめている。画面には懐かしい元カノの連絡先。三つ年上の女の子。どうして胸が高鳴るのだろう。電話をするかしないかで悩んでいる。ああ、なんでだろう? 緊張する。

 プルルルル。

 なかなか出てこない。やはり数年は経っているからかな。

 プルルルル。

 お願いだ。出てくれ。

 プルル。

「もしもし?」聞き覚えのある懐かしい声。女の子の声。

 俺はなぜか言葉が一瞬つまった。

「もしもし? 元気?」ヤバい、声がちゃんと出たかな?

「うん。どうしたの?」

 ちょっと言葉にしづらかった。数年間は連絡をろくにとっていないのに、やはりやり直そうは言いづらかった。

「話があるんだ」俺は勇気を振り絞った。

「待って、会って話さない?」元カノはそう言った。

「え? うん、わかった」

「また私から電話するね」

 通話は終わる。

 えっと、どういう意味だろう? また電話するって?

 俺は布団にもぐり込んだ。

 期待していいのだろうか? そしてスマホを見る。いつ電話がかかって来るのだろう。俺は諦めている。多分、着信は鳴らない。

 けれども、期待をしてしまう。

 数年前に終わったのに。

 どうしてだろう? 淀川を歩いていたあの日にあの子の声が聞こえたのは。

「そのままでいいの?」そういえば、元カノから言われたことがあるような。

 気付かぬうちに俺は眠りに入ったようだ。


 今日は休みの日。

 元カノとカフェで待ち合わせ。ひとりでコーヒーを飲んでいる。まさか会えるとは思っていなかった。でも、まだ女の子は現れない。

 この数年間の間にあの子は変わったのだろうか。

 俺は何も変わっていない。

「お久しぶりだね」背後から聞こえた声に振り返る俺。

 ああ、何も変わっていないな。

「うん、お久しぶり」

 お互いに笑顔になる。

「さて、話とは何でしょうか?」元カノはイスに座りニコニコしている。

 俺は自然な感じでこう言う。

「また、やり直さないか?」

 元カノは口に手で覆う。目は笑っている。

 えっと、答えは?

「はい、いいですよ?」

 え、いいの?

 俺はガッツポーズをした。

「また、よろしくね」彼女は満面の笑みを浮かべている。

 俺たちは手をつないでカフェを出る。街は優しく俺に微笑みかけるようだ。なんだ、数年間の空白がうそのようだ。

「今から、どこに行こうか?」彼女の質問。

「とりあえず、歩こう」

 俺と彼女の手は固く握りあっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰かがそう言ったんだ 野口マッハ剛(ごう) @nogutigo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る