猫様ゲシュタルト崩壊

兎角@電子回遊魚

第1話

 この世界は猫様の見る夢である。

 創造主たる猫様が夜な夜な想像に耽る世界が、この世界の真実。

 猫様を讃えよ。猫様はいつでも貴方を見ている。

―――

―――

―――

 曇り時々雨、今夜も世界は灰色一色。月明りも届かぬ部屋の中、ただ虚空を眺め、ため息一つ。

 傍らには愛猫の猫様。私の相方。手で触れていなければ、そこに「在る」ことすら認識できないほど静かに、ただそこに「在る」。

 猫様を見習った生活を始めて一週間。今日も何もせず、明けから暮れまで、時間の流れに身を任せた。これでまた一歩、猫様に近づけただろうか。成果の程は定かじゃない。

 猫様の静かな呼吸だけが部屋を満たし、猫様より一層静かに、私の呼気が部屋に漏れ出す。

 猫様は喋らない。猫様が何を考えているのかわからない。いつからそこに居て、いつまでそこに居るのかもわからない。ただただ、猫様の隣に身を寄せることのみを良しとする私。

 そんな時間ばかりを過ごしていたいというのに、現世(うつしよ)の煩わしさは、私を捕まえて離そうとしない。嗚呼、今もほら。

 猫様の存在を邪魔するかのように、ソレから音が流れる。着信音だ。暗い部屋に灯るソレのディスプレイには、私の知っている人物の名前が映し出されている。「相方」と、そこには書かれていた。億劫なことこの上ないけれども、無視すれば無視したで余計に面倒なことになるから、渋々手に取る。

 通話ボタンをタップし、スピーカーに切り替えた。嗚呼、本当に煩わしい。猫様の顔が暗闇に浮かび上がり、胡乱気な眼で私を見ている。

「何してる?」

「寝てた」

 実際、寝ているのと大差ない。猫様だって寝てる。

「夜眠れなくなるよ」

 余計な心配だ。私に夜も昼も朝もない。

「眠い」

「寝足りないの?」

「うん」

 本当のところは、早く通話を切り上げたいだけ。

「また寝るから、切るね」

 でも。

「声、聴きたくないの?」

 ほら、でた。私の相方。猫様との時間を邪魔する相方。現世(うつしよ)の煩わしい相方。

「そんなことないよ。眠いだけ」

「じゃあもう少し話そうよ」

 猫様ではない方の相方。少し前までは私の大切な相方だった人。

「……明日、学校だから」

「明日は土曜日だよ。今週ずっと休んでたじゃん」

 土曜日?今週?あれ、今日は何曜日?学校ってなんだっけ。自分の口から出た単語にまで、疑問符。ガッコウッテナンダッケ。

「ごめん。疲れてるみたい」

「ずっと寝てたの?」

「多分」

 多分、きっと、おそらく、maybe。

「月曜日は、学校来られそう?」

「わかんない……」

 猫様が居るから行けない。この部屋から出られない。

「……本当に大丈夫なの?」

 猫様と居るだけなのに、凄く心配されてる。心配されるようなことなんて何一つないはずなのに。

「大丈夫。ずっと『××』と居るだけだよ」

「え、今何て言った?」

「だから、××と居るって」

「……ねぇ、本当に大丈夫?××って何?」

「××は××だよ」

「本当にどうしたの、蛍」

 蛍。誰それ。

「ねぇ蛍、今からそっち行こうか?」

「蛍って誰」

 蛍って誰?

「待ってて、すぐ行くから。やっぱ、蛍なんか変だよ」

「××が嫌がる」

 ××が嫌がる。××って何?

「すぐ行くから。出かけないで待ってて」

 私が何か言う前に電話が切れた。そういえば私、誰と話していたの?

 手に持っていた、掌サイズの四角い何かを放り投げて。また壁に頭を預ける。傍らでは変わらず、猫様がすぅすぅと寝息を立てている。そういえば、私の家に来るとかなんとか。誰だろう。誰が来るんだろう。

―――

―――

―――

 猫様の存在を公にしてはならない。

 猫様の存在は隠匿しなければならない。

 この世界は猫様の見る夢である。

 創造主たる猫様が夜な夜な想像に耽る世界が、この世界の真実。

 猫様を讃えよ。猫様はいつでも貴方を見ている。

―――

―――

―――

 部屋の外から音が聞こえる。何かを強く叩く音が聞こえる。この部屋まで聞こえる。

 でも私には関係のない話。だって猫様はこの部屋に居るんだから。この部屋だけが私の世界。そして猫様の世界。世界の外からの来訪者なんて、私には何も関係がない。

 ドンドン。ドンドン。ドンドン。重なる音。鈍い音。煩わしい音。その音は近づいてくる。少し離れたところから、少し近いところに。段々と、ダンダンと、近づいてくる。

 でも、猫様は此処に居る。私の隣に、猫様は居る。この部屋の外には何も無いはずなんだから。

「×××……?!」

 聞き覚えのある声が、誰かを呼ぶ。でも上手く聞き取れない。

「×××、此処を開けて……!」

 この部屋に、音が響き渡る。その音は部屋の中で反響して、幾重にも幾重にも重なって。そんなことをしたら猫様がお怒りになる。

「にゃーお」

 ほら、猫様がお怒りだ。猫様が声を上げた。猫様を起こしてしまった。

 不意に音が止む。代わりに、大きな何かを引き摺るような音が聞こえてくる。傍らに居たはずの猫様の気配もない。

 それだけで。

 部屋の輪郭が崩れて。

 崩れて、崩れて、そのまま溶けていく。

 流れるように溶けて、そのまま何処かへ向かっていく。何処へ行くのだろう。猫様が居なくなったこの部屋は、何処へ向かうのだろう。

―――

―――

―――

 猫様の怒りに触れてはならない。

 猫様を起こしてはならない。

 猫様の世界。

 猫様の夢。

 猫様。

 ××。

―――

―――

―――

 曇り時々雨、今夜も世界は灰色一色。月明りも届かぬ部屋の中、ただ虚空を眺め、ため息一つ。

 傍らには愛猫の猫様。私の相方。手で触れていなければ、そこに「在る」ことすら認識できないほど静かに、ただそこに「在る」。

 猫様以外の存在は、許されない。故に、私は此処に「存在しない」

 存在しないモノは、在ることを許されない。ただ猫様の傍らに置かれるのみ。

 繰り返し繰り返し、音が鳴る。掌サイズの四角いソレから、音が発せられているけど。

 猫様は起きない。猫様を起こしてはならない。だからソレは、すぐさまに消えてなくなる。

 猫様の怒りに触れたモノは、猫様の傍らに置いてすらもらえない。

 猫様を起こしてはならない。ならない。起こしては。起こし、起こし、起こし、て、は、な、ら、な、い。

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