第2話 サキュバスと大泥棒

「う……」


 鈍い頭痛とともに男が目を覚ますと、そこは粗末ながら清潔なベッドの上だった。


 どうやらここは宿の一室らしい。枕元の小机に粗末なランプ。燃え尽きそうな蝋燭の火よりも、窓から差し込む月光のほうが明るいくらいだ。


そして裸の胸の上には、同じく裸の少女がこちらに胸をくっつけて眠っている。


「……?」


 男は首をかしげる。小柄でかわいい娘だ。子犬とかリスとかタヌキとか、そういった小動物に通じる愛らしさがある。ついでに山羊みたいな角も生えていた。


「角……?」


 思わず気になって触ってみた。象牙のように硬質で軽い感触。思ったほどつるつるとはしていないが、なんとなくクセになる触り心地だ。


 しばらく指先で撫でていると、少女は小さなくしゃみをしてから目を細く開けた。


「ふわ……あぁ。えへへ、やっと起きてくれましたね♪」


 すぐに意識が回復した様子を見るに、いましがた眠ったばかりらしい。


「……どちら様で?」


「ポミエっていいます。あなたの命の恩人のサキュバスです!」


 やけに『命の恩人』という部分を強調した言い方だった。

 とすると嵐で船から投げ出されたあと、自分はどこかに漂着したらしい。その後この少女――ポミエが助けてくれたということだろう。ついでに服を脱がせたのもコイツの仕業に違いない。


「サキュバスっつうと、たしか男の精を……」


「はい。それはもうジャンジャカ搾っちゃいます!」


「笑顔で凄いこと言うね」


「サキュバスですから。それよりあなたのお名前は?」


「名前か……」


 男は考える。


 過去のしがらみを捨て去るために、祖国を離れて海へ出た。

 ここはおそらく異国の地。いまさら古い縁にこだわる理由があろうか。


「そうだな……。どうやら持ってたものも全部なくしちまったみたいだし」


 二秒ほど考えてから、言った。


「『無一むいち 文次郎もんじろう』ってのはどうだ?」


「ムイチさん……ですか?」


「あぁ、それでいいや」


「無一さん。えへへ、素敵なお名前ですね」


「ありがとよ。ところで」


「はい?」


「おまえ、いったい裸で何してるんだ?」


 問われたポミエはびくっと反応し、頬を真っ赤に染めた。


「お……おっぱいを押し付けてますが⁉」


「いや、見りゃわかるけど……なんで?」


「――――――――――⁉」


 絶句。


「……いや、なにその顔? そんな意外か?」


「お、男の人は全員おっぱい大好きなのでは⁉」


「そりゃあ、大好きだけどさ……」


 さっきから押し付けられているポミエの胸は、柔らかさといい大きさといい申し分のないものだった。油を塗ってあるらしく、ヌルヌルと滑る柔肌の感触は確かに心地いいが……。


「じゃあ普通、女の子に生おっぱい押し付けられたら襲いたくなりますよね⁉」


「おまえ男を何だと思ってるんだ⁉」


「……性欲の奴隷では?」


「てめえ……」


 とにかくいったん離れようと、無一はベッドの上で身じろぎする。彼にも性欲はあるが、初対面のよく知らない相手をどうこうしようという気にはなれなかった。第一、この娘はまだ若すぎる。


「おっと、逃しませんよ!」


 無一が身を起こしかけたとき、ポミエは素早く彼を再びベッドに押し倒した。

馬乗りになって両腕を掴まれ、無一は身動きが取れなくなる。


「い、意外と力があるんだな」


「勝負パンツを履いてるので!」


 フーッ、フーッ……と鼻息を荒くしながら返す。


「わたし……もう限界なんです‼」


 まるで夜の猫のように、ポミエの瞳がギロリと光る。


「サキュバス族は女の子の赤ちゃんしか生まれません。子孫を残すためには他族の男性の精が必要なんです。けど子供を授かる確率が低いので、わたしたちサキュバスは子作りの機会をたくさん作らなくちゃいけないんです」


「そんな設定なんだ」


「ですからサキュバスは本能的に性欲が強いんです。妊娠適齢期ともなればそりゃーもう年中発情しちゃってるんですから」


「大変だな……」


「大変ですよ? 男性が性欲の奴隷なら、サキュバスは淫獣いんじゅうなんです」


 なかなかエグいことを言う。これがサキュバスの本性ということか。


「……で、どうするつもりだ?」


 無一は額に冷や汗を浮かべながらたずねる。

 ポミエは頬を赤らめてしばし逡巡しゅんじゅんしたのち、思い切って一大決心を告げた。


「わたしと、え……エッチしてください! あなたの子種が必要なんです!」


「……なんで俺なの?」


「チョロそうでエッチそうで身体が丈夫そうだからです! 元気な赤ちゃんをたくさん産ませてくれそうなので!」


 さすがの無一もやや引いた。とにかく、この娘は本気で自分と子作りしたがっているらしい。


「なら、そっちから襲ってきたら?」


「ほぇ?」


「俺より力あるみたいだしさ」


 どう見ても軟弱そうな細腕だが、さっきから自分の両腕はポミエに掴まれたままビクともしない。不思議なことに、単純な力比べなら自分よりも目の前の少女の方が上のようだ。


「そ、そこはほら、こういうことは合意がないとですね……。欲望のままに人を襲っちゃったら本物のケダモノに成り下がっちゃいますから。サキュバスにも一応、そのくらいの自制心はあるんです」


「なるほど」


「というわけで、さっそくですが襲ってください♡」


 ポミエは無一に馬乗りになって腰をヘコヘコと動かしはじめた。

 彼女なりの求愛行動だろう。心を動かされないでもなかったが……。


「……断る」


「えええええええぇ――――――――――――――っ⁉」


 ポミエは落雷を受けたかのように大きく仰け反った。


「……そんなにか?」


「だって、普通断ります⁉」


 信じられない、とばかりに目を見開く。


ぜんも据え膳ですよ? なんならわたし、ヒナにエサをあげる親鳥の気分でしたよ? 言っちゃえばママですよ⁉」


「まぁ確かにそうなんだが……」


「それにわたし、こんなにかわいくておっぱいも大きいんですよ⁉」


「自分で言うか」


「それとも……魔族の女の子は嫌いですか?」


 悲しげに瞳を潤ませる。

 無一は溜息をつき、少女の頭にそっと手を乗せた。



「だっておまえ――処女じゃん」



「ななな、なに言ってるんですかーーー⁉」


 ビクッと身構えるような体勢をとり、ポミエは薄笑いを浮かべる。


「わ、わたしは淫魔サキュバスですよ? サキュバスが処女なわけないじゃないですかー。もちろん経験豊富ですよー? アハハー♪」


「だったら」


無一は少女の言葉を遮って言う。


「なんで下を履いたままなんだ?」


「…………」


 一瞬、ポミエの表情が凍りつく。

 その後、ぎこちない笑みを作って言った。


「……や、やだなーもう。無一さんのためですよー♡ 最初から全裸じゃエッチするとき盛り上がらないじゃないですかー。わたしのパンツ、脱がせたいでしょう?」


「要するに覚悟が決まってないんだろ?」


「……………………」


「だから襲ってくれなんて言うんだ。自分から一線を越える勇気がないから」


 一切の音と動きが部屋の中から消えた。


「だ……だったらどうだっていうんですか⁉」


 開き直ったように沈黙を割ると、ポミエは無一を再び押し倒した。


「仮にわたしが処女だったとして、そんなこと気にする必要あります? わたしが襲っていいって言ってるんですよ? 大の大人のくせに、小娘の処女散らすのがそんなに怖いんですか⁉」


 小さな両手が無一の手首を痛いほど強く掴む。もう逃がしませんよ、という意思表明なのだろう。


 だが、意外なことに無一は口元を不敵に歪めていた。


「悪いが俺は天下の大泥棒と言われた男でね」


「――っ⁉」


 ポミエは驚いて目を見開く。

 彼の両手が、万力のような力を込めていた自分の手からスルリと抜けていた。


「大泥棒には流儀があるんだ」


 いつの間にか無一は少女の腕を背中に回してひねり上げていた。

 抵抗をすれば腕が極まる――ポミエは無意識にそう理解する。


「『盗みはすれど非道はせず』ってのが俺の信条でね。女を無理やり犯すのは性に合わねぇんだ。悪いな」


 少女の頭をポンポンと優しく叩き、去ろうとしたそのとき。


「……ドーテーのくせに」


「は?」


 無一が振り向くと、ポミエは涙目で無一を睨んでいた。


「なにが天下の大泥棒ですか! こんな小娘の処女ひとつ奪えないくせに!」


「だから、それには理由が――」


「えー知ってますよ。バカにされるのが怖いんですよね? やり方知らないのに無理して襲おうとしたら、いい歳してドーテーなのがバレちゃいますもんね」


「ど、ドーテーじゃねーし! 経験豊富だし!」


「じゃあ見せてくださいよ、その経験っていうのを!」


「くっ……」


 この女、土壇場で煽り能力スキルを開花させやがった……⁉


 ベッドから降りたポミエに、無一はジリジリと壁際に追い詰められていく。


「ほーら、やっぱりできないんだ? 『天下の大泥棒』より『天下の大童貞』の方がお似合いなんじゃないですか? ご自慢の棒も役立たずみたいですしね(笑)」


「ちょ……調子乗ってんじゃねえぞ!」


 とうとう無一はキレた。ポミエの身体を引っ張り壁に両手をつかせ、尻を突き出させる。


「そんなに犯されたいなら、望み通りに犯してやる!」


 スカートの中に手を差し入れ、薄桃色の下着に手をかけた。


「は……はわわ~~~~~ッ⁉」


「いまさら泣き叫んだって遅えっつうの」


 太腿まで下着をおろしたときだった。



「そこまでよ!」



 凛とした声が部屋の外で響いた。


 思わず部屋の出入口を覆う扉がわりのカーテンを見る。


 その布地の上部に、突如として一筋の斜線が走った。

 切り落とされたカーテンの先から、ランタンの赤い光があふれる。


 その光の中から、剣を持った一人の少女が現れて言った。



「悪党め、覚悟しなさい!」


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