第3話 サクヤとナコ

 俺が初めてナコと出会ったのは、猫の国をこっそり抜け出して、ヒトの国を覗きに行った時だった。


 好奇心に負けて、まだ小さな子猫だった俺は、右も左もヒトの国の決まり事も知らないのにウロウロしてしまい、気付いた時には馬車を引く馬にはね飛ばされていた。


 痛い。


 体中が痛い。


 誰か、助けて。


 霞む視界には、道端に転がる俺には見向きもしないヒトばかり。


 期待する方が間違っているんだ。


 勝手に国を抜け出すんじゃなかった。


 俺はここで死ぬのか。


 そんな事を思っている時だった。


 俺の上に、不意に影がさした。


 視線を上に向けると、ヒトの子供が俺を見下ろしていた。


 驚いたような茶色の瞳が、俺を見つめている。


 死にかけている俺で遊ぶ気かと思ったら、不意にソイツに抱き上げられていた。


 正直に言えば、痛かった。


 体を触られたら、それだけでも激痛が走った。


 ソイツは、俺を胸に抱いて何処かへ走っていく。


 馬小屋が見えて、そこには1人の男がいた。


「先生!」


 その男に、ソイツが声をかけた。


「ああ、これはこれは。どうされました?」


 子供に対して、やたら丁寧な言葉をかけている。


「猫が、道に倒れていたの。助けてもらえませんか?」


 先生と呼ばれた男に、俺が差し出される。


「これは……、私には手の施しようがありません。あとはこの子の生きる気力にかけるしか……」


 俺の目の前でそんな事を言い放った。


「そんな……」


 絶望感を滲ませた表情でソイツは俺を見る始末だし。


 勝手に、俺を、殺そうとするな。


 俺は、生きたいんだ。


 こんなところで死んでたまるか。


 息も絶え絶えな状態ながらも、そんな事を思っていた。


 俺を抱いたソイツは、今度は別の場所に向かって走り出した。


 しばらく走ると、それなりに大きな家に着いた。


 コイツの家らしい。


「アナタが元気になるまで、ここにいるから。私はナコ」


 ナコと名乗ったソイツは、俺を自分のベッドに寝かせた。


 それからナコに見守られて、随分と長くそこで休んでいた。


 あのヤブ医者の見込みに反して、俺は元気になった。


 いや、あの医者が言った通りに俺が生きたいと思ったからだ。


 あとは、ナコが世話をしてくれたからだ。


 ナコは、俺の事をサクヤと呼んだ。


 俺には猫の国での名前があったが、サクヤも嫌いじゃなかったから、そう呼ばれることにした。


 元気になっても、ナコと過ごした。


 ナコはやたら俺を甘やかそうとした。


 俺の方が年上だから子供扱いするなと言うのに、俺を甘やかす。


 まぁ、でも悪くない。


 能天気なナコの顔を見るのは悪くない。


 そう思って、毎日楽しく過ごしていた。


 けど、その日は突然やってきた。


 ある日の夜。


 ナコが寝ている寝室に、ナコの両親がやってきた。


 そして、そっとナコを抱き上げると幌のついた荷馬車に乗せた。


“ジギョウニシッパイシタ”


“ハヤクニゲナイト”


 意味は分からなかったが、そんな事を話していた。


 俺もナコについて行こうとしたのに、ナコの両親に邪魔された。


 ヨニゲに俺は連れて行けないと言った。


 走り去って行く荷馬車に、俺は必死になって追い縋った。


 馬の足に、俺の足が追いつけるはずがないのに。


 ナコ


 ナコ!!


 ナコの名前を一生懸命呼んだ。


 小さくなって行く荷馬車に、一生懸命叫んだ。


 けど、それが止まる事はなかった。


 これが、ナコとの別れになった。


 俺はナコが向かった先に足を進めた。


 いつかナコに会えるかもしれないと、それだけを信じて。


 ずっとずっと、ナコを探した。


 その途中で、あの子犬、ナオと出会った。


 死に別れたとしても、俺はナオが羨ましかった。


 この広い世界を、俺はずっとナコを探して彷徨うことになったのだから。


 俺の命が尽きるその時まで、ずっと、ナコを探し続けた。


 足を動かせば、いつか出会えると。


 それだけを信じて。




















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