オレがヒトになりたいと願ったワケは

奏千歌

第1話 ナオとミオ

 オレの名前はナオ。


 白い、小さな犬だ。


 あんまりハッキリとは覚えていないけど、生まれて半年も経っていないと思う。


 オレのご主人様は、ミオ。


 高い塔の上に、一人だけ閉じ込められている。


 何故かは分からない。


 ヒトの事情は分からない。


 ミオは、何処かの国のお姫様だったらしい。


 そのお姫様を慰めるために、生まれてすぐのオレがこの塔に連れてこられた。


 ミオとオレ。


 薄暗い塔の中で1人と1匹。


 いつも一緒だ。


 ミオの手は優しい。


 オレの頭をいつも撫でてくれて、優しく抱きしめてくれる。


 でも、時々悲しそうにオレに言うんだ。



“ごめんね”


“私のせいで、アナタまでこんな塔に閉じ込められてしまって、ごめんね”



 それが嫌だとは思った事はないけど、それをミオに伝える手段はない。


 ミオに言葉が通じたらいいのに。


 オレは、ミオと一緒に居られる事が、ミオの傍に居られる事が嬉しい。


 優しいミオが大好きだ。


 いつまでも一緒にいたいと思っている。


 オレはミオと過ごせて幸せだ。


 この思いをたくさん伝えたいのに、犬のオレには伝える言葉がない。


 せめて、ミオが寒くないようにフトンの中でミオに寄り添う。


 小さな体ではミオを温めてあげられる範囲はちょっとしかない。


 風が吹き付ける塔の上は、寒い。



“ナオ、寒くない?”



 オレが温めてあげたいのに、逆にミオが抱きしめて温かい腕の中に包んでくれる。


 オレの体は小さい。


 ミオの腕の中におさまるくらい、小さい。


 身を切るような寒い日は続く。


 ある日、とうとうミオが熱を出した。


 ベッドの上で横になるミオは、辛そうだ。


 具合が悪くても、塔の上には食事を運んで来る時以外は誰もこない。


 ミオは声が出せない。


 何でかは知らないけど、ミオは声を出して喋れないんだ。


 だから、誰もミオの訴えを聞いてはくれない。


 ミオは起き上がれない。


 熱があるから、起きてご飯を食べる元気もない。


 ミオのほっぺを舐めて、ご飯を食べるように促しても、うっすらと目を開けてオレを見るだけだ。


 オレが、ミオに食べさせてあげられたらいいのに。


 オレの体は小さいし、ヒトの手みたいに器用に物を持てるわけじゃない。


 初めて、ヒトになりたいと願った瞬間だった。


 シンっと静まり返った部屋。



“みず”



 高い熱が続くミオが、うわごとのように呟いた。


 テーブルの上に置かれた水に、小さなオレは届かない。



“みず”



 また、ミオがうわごとで呟いた。


 ミオの声は、オレにしか届かないのに。


 ミオに飲ませてあげたい。


 ミオににお水を飲ませてあげたいのに、何でオレの体はこんなに小さいのだろう。


 扉に向かって吠えた。


 誰か来てと。


 ミオを助けて、と。


 でも、誰も来ない。


 誰も助けてなんかくれない。


 1人と1匹。


 ミオのそばにはオレしかいない。


 ミオの枕元に置いてあったハンカチを咥えて、本を動かして、椅子に飛び乗って、テーブルの上にあがる。


 ハンカチに水を染み込ませて、床に飛び降りた。


 今度は、ミオの寝ているベッドに飛び上がる。


 一度はシーツで滑って落ちたけど、もう一度ベッドに飛び上がった。


 湿ったハンカチをミオの口に押し当てる。


 カサカサに乾いた唇に、ほんの少しだけ水が染み込んでいった。


 ミオがうっすらと目を開けた。



“ナオ”



“ありがとう”



“ごめんなさい”



 わずかにそう唇が動くと、目を閉じたミオはもう二度と、目を開けてはくれなかった。


 燃えるように熱かったミオの体は、次第に体温が失われて、朝日が昇る頃にはどこを触っても氷のように冷たかった。


 ミオ


 ミオ


 一生懸命呼びかけるのに、ミオはピクリとも動いてくれなかった。


 ミオの冷たくなった体に寄り添う。


 オレの小さな体では、やっぱり温めてあげることは出来なかった。


 階段に足音を響かせて、誰かが食事を運んで来た。


 その人はテーブルにご飯を置くと、ミオの方を見て、


「ひっ」


 小さく悲鳴を漏らした。


 そして、バタバタと階段を降りていった。


 それからしばらくして、たくさんの人が来た。


 みな、怖い顔をしてミオとオレを見ていた。


 不意にオレがその中の1人に無造作に抱き上げられた。


 そして、ミオが板に載せられて運ばれて行かれそうになる。


“つれていかないで!!”


 咄嗟にそう叫んで、ミオに追い縋ろうと腕の中から飛び降りた。


 でも、犬のオレの声は届かない。


 ミオは長い長い階段を運ばれて、外に連れて行かれた。


 ヒトの足元を俺は走った。


 ミオを追いかけて、走った。


 ミオは、塔の外、裏手に連れていかれていた。


 何をされるのか分からなかった。


「厄介なナイシンノウがやっと死んだな」


 そんな事を話しているヒトは、深い深い穴を掘っていた。


 穴を掘り終わると、その穴に、ミオは乱暴に投げ入れられた。


“ヤメテ!!”


 オレが叫んでその穴に飛び込もうとしたら、首を掴まれて、後ろに放り投げられた。


 背中から地面に落ちた衝撃で、ぎゃんっと、声が漏れる。


 その間に、あっと言う間にミオの上に土が被されていた。


 ミオの姿が見えなくなった。


 あとには、茶色い土のこんもりとした膨らみが見えるだけだ。


 何もない。


 茶色の土しか見えない。


 周りにも、何もない。


 ミオが、冷たい土の中に連れていかれた。


 オレは、ずっとそこにいた。


 どうしたらいいか分からないし、ミオのそばにいたいから、ずっとそこにいた。


 どれだけの時間が過ぎたのか、


「そこで飢え死にする気か?」


 ミオがその下にいる土を眺めていたら、オレの頭の上からそんな声がかけられた。


 上を向く。


 高い塀の上に、灰色の猫がいた。


 所々、黒色の縞模様がある。


「オレの大好きなヒトが、この下にいるんだ。ここから離れたくない」


 鋭い視線でオレを見るその猫に、そう答えた。


「ふーん。ヒトねー。墓守にでもなる気か」


「ハカモリ?」


「ヒトの墓を守って死んだ動物は、その人とまた巡り逢えるらしいぜ」


「ミオに会えるの?」


「20年。お前はその年月を生きていられるか?」


「にじゅうねん?それだけ生きて、ミオのハカモリをしたら、またミオに会える?」


「イヌの寿命を知ってるのか?」


「じゅみょう?」


「あー、お前は何にも知らないガキみたいだな」


 猫は、呆れた声をオレにかける。


「こっちに来い。まずはエサだ。それから、墓には花だろ。俺達動物には分からないけど、ヒトは墓に花を添えたり植えたりする」


 何故だが分からないけど、この猫はオレに親切にしてくれようとしている。


 猫について行く。


「どうして、親切にしてくれるの?」


 猫に聞いた。


「しょげているガキをほっとけなかっただけだ。俺はサクヤ」


「オレは、ナオ」


 サクヤは、何も知らないオレにたくさんの事を教えてくれた。


 墓守の事もだし、寿命や死について、餌の取り方や、水場について、たくさんの事を教えてくれた。


 ミオの死を理解するのは、とても辛かった。


 その意味を知って、初めてミオの墓の前で泣いた。


 ボタボタと堰を切ったように流れる涙は止まらなくて、ミオの名前をたくさん呼んだ。


 泣いている間、サクヤはそばに黙っていてくれた。


 ミオにまた会いたいと、たくさん願った。


 今度はミオにお水を飲ませてあげられるように、ヒトの姿になりたいと願った。


「20年。頑張って生きろ。本当に会いたいのならな」


 サクヤは、泣き続けるオレに言った。


「サクヤは、誰か、会いたい人がいるの?」


「探している途中だ」


 ミオの墓を見て寂しそうにそう呟いて、


「お前が、羨ましいよ」


 どこから持ってきたのか、白いお花をそこに置いてくれた。


「明日からは、お前が花を持ってきてあげろよ」


「うん。ありがとう、サクヤ」


 サクヤは、オレが色んな事に慣れるまでは一緒にいてくれて、そしてしばらくして、何処かへ誰かを探しに旅立っていった。


 オレは、ミオの墓守をして過ごす。


 長い月日を、そこで過ごした。


 ミオに会いたい。


 ヒトの姿になりたいと願って。




















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