第110話 色打掛

 ある日、レイラに広田あきえと言う人物から電話がかかってきた。

「この番号は、透の婚約者だと聞いていますが……」

レイラはすぐに、透の引き出しの中にあった名刺に書かれていた名前だと気が付いた。透が行方不明のこんな時期に、なんの用だろうと訝った。しかも、相手は自分がコンタクトを取っている人物が「透の婚約者」である以外、何者だか分かっていない様子だ。

「そうですが、何か?」

「透から婚約者の方に届けて欲しいものがあると、頼まれているので、住所と名前を教えて下さい。この電話番号からすると、海外ですよね?」

一瞬、レイラは透が無事なのではないかと思った。驚かそうと、隠れていて、届け物を依頼したのではないかと思ったのだ。

「頼まれているとは?! 失礼ですが、どう言った関係の人ですか? 透は今、行方不明ではないのですか?! もしかして、そちらに居るのですか?!」

電話口の向こうで、息を呑む音が聞こえてきた。

「どう言う、事ですか?」

その声のトーンで、レイラは透が行方不明になる前に依頼したのだと悟った。

「……透はI国のS島にいて津波に呑まれて、現在行方不明、です」

「……知りませんでした。あのS島にいたのですね……。大変な事になってしまいましたね……。なんと言って良いのか……お気持ちお察しします。私は、高校時代の同級生で、今は着物のデザインを手がけている者です」

レイラは思い当たった。最初に勇気を持って、スカートを履いてきた男子だ。

「広田って、もしかして明秀?」

「戸籍上の名前を変更したので、今はあきえですが……。あなたは?」

「高校1年の時に副会長だったレイだ。覚えているだろうか?」

「あ、透はレイと婚約したのですね。レイはやっぱり、女性だったのですね。納得しました。透が銀糸をたくさん使って欲しいと言っていた訳が。あなたの髪の色に合わせたのですね……」

「本当の名前はレイラだ。今、全力で透を探してはいるが、まだ見つからない。透は何を依頼したのだろう?」

「こんな事になるなら、もっと急いで制作すれば良かった……。透から、色打掛を制作するよう頼まれていました。サプライズにしたいからと……。出来上がったら、この番号が婚約者のものだから、かけて欲しいと、頼まれました。婚約者の方が用心して出ない場合は、自分にかけるようにとも……。式は洋式だから、写真だけになるかもしれないけれど、絶対に着てもらいたいのだと。まだ私は無名で依頼も少ないのですが、『彼女にうんと言わせるから、モデルになってもらって宣伝すれば、きっと依頼が増えるだろう』と、言ってくれました。『彼女は着物も似合う美しい人だから』、と。珍しく惚気ているな、と少し、悔しくもありました」

レイラは瞳の奥が痛くなった。

「色、打掛とは……?」

「レイは知らないのですね。日本の花嫁が結婚式で着る着物の上に羽織るものです」

レイラは何も答えられなかった。婚礼衣装をプレゼントしてくれた、その本人が、いない。一番見たがっていて、見せたい相手であるのに……。

「悪いが……透がいないから、せっかく制作してもらった打掛をどうしたら良いのかわからない……」

「そうですよね。私の方で保管しておきますから、いつでも、どこに送れば良いのか、または着付けをしに伺えば良いのか、言って下さい。早く、透が無事に見つかる事を祈っています」

「その、色打掛の、写真を送ってもらえるだろうか?」


 すぐに送られて来た写真を見て、レイラはその美しさに胸が締め付けられた。シルクだろうと思われる漆黒の生地に、大輪の色鮮やかな花や縁起の良さそうな鳥が豪華な刺繍で描かれていた。広田が言った通り、銀糸がたくさん使われている。レイラはスマホを握り締めた。

(これを透の前で着たい。「心配し過ぎだよ」と目の前で笑ってほしい。いつものように少しはにかんで「綺麗だよ」と囁いて欲しい。婚礼衣装は一人で着るものではない……。助けてくれるのであれば、どこのどんな神でもいい、早く、透を無事に私の元へ返して下さい……お願いです……他には何も望みません……)

レイラは、窓の外に向かって、名も無い神に跪いて祈った。


 レイラの願いも虚しく、透は見つからなかった。

「死んだらゴーストになって見守ると、言った。ゴーストが現れないと言うことは、透はまだ生きている筈」

レイラはそう信じ続けた。匠がいる為、しっかりしなければと思うものの、信じていなければ、立っていることもままならなかった。精神が端から崩れ落ちてしまいそうだった。


 匠はレイラの隣の部屋で寝起きしていた。夜中にレイラの闇を切り裂くような悲鳴が、眠りの浅くなっている匠を起こした。

「そっちへ行っては駄目!!」

匠は、慌ててレイラの部屋へ飛び込んだ。起き上がったレイラは荒い息遣いをしている。

「お母さん、悪い夢を見たの?」

レイラは頷いた。

「……透が……」

「お母さんが、眠るまで側にいてあげようか? ホットミルク飲む?」

匠が心配そうに尋ねた。レイラは横に首をゆるゆると振った。

「有難う、大丈夫だ……おやすみ。ちゃんと眠らなくては」

レイラは自分に言い聞かせるように、呟いた。匠が部屋に戻って扉を閉める前に振り返ると、レイラの自分を抱き締めるようにした、その肩が震えていた。

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