第90話 報告 鱚?

 楓は、匠にレイラが高校の校舎に来ていた事を知らせた。匠が慌てて生徒会室に飛んで来て、勢いよく扉を開けると、高校の生徒会役員たちが一斉に振り向いた。

「失礼しました!」

動転して、扉を開けっ放しのまま、匠は理事長室へ階段を駆け上がった。


 理事長室は誰もいなかったが、控室に人の気配がした。匠はノックをして声をかけた。

「透ちゃん、いる?」

「匠? どうぞ。」

匠かドアを開けると透が長い足をジーンズに突っ込んでいるところだった。

「お母さんが来ていたって、楓から聞いたんだけど……。さっきまで……ここに一緒にいたの?」

匠の訝るような視線に気づいた透は、慌てて言った。

「何か勘違いしていないか? 取材を受けるのにスーツに着替えたから、また幼稚園に戻るのに、ジーンズに履き替えているんだよ」

匠が見ると透の前の椅子にスーツがかかっている。透はスーツをハンガーに掛けてロッカーにしまった。

「レイラが来日した」

「お母さんが来たって、どう言う事?」


 透は取材に来ていたインタビュアーたちに、ちょうど来ていたレイラと一緒にさっきまで写真を撮られていた事を説明した。

「もしかして、お見合いを阻止する為に、お母さんがきたの?! お見合いの事、言わない方が良かった? 余計な事だった?」

 匠はレイラがどのような行動に出るか予測がつかなかった為、恐る恐る聞いた。

「タイミング的に、お見合いだと聞いて来たんじゃないと思う。ちょうど来日するタイミングで、お見合いのことを知ったんじゃないかな。伝えてくれて、有難う」

透がにっこり笑って礼を言ったので、匠は大事にはならなかったのだと安心した。

「お母さんが来たって言うことは、問題は解決したの? これから、どうするの?」

「その為に来日したのだから、問題は解決した。まだ、周りの問題が残っているけれどね。……結婚する事に決めた」

「おめでとう! 仲直りしたなら、なんで早く言ってくれないんだよ? 凄く心配していたのに……」

「ごめん。匠は誰にも言わず、黙っていてくれたんだもんな。後で、レイラが家に来て、一緒に報告をするから、その時に言おうと思っていた。昨日から色々と……大変だったんだよ」

 透は困った口調で話しているが、少し赤くなっている。匠はレイラの事だから、そっとやって来て、穏便に話が進んだ訳ではないのだろうと想像がついた。


 その日の夕方、レイラは透から聞いたお菓子を持って、一人で築地家を訪ねた。レイラは結婚報告をするのに、護衛を連れて来ない方が良いと判断したからだ。透も早めに帰宅して待っていた。

 匠はレイラの痩せように驚いたが、口に出さなかった。問題が解決したのだから、きっと、レイラはまた元に戻ると、確信していたからだ。

 改めて透とレイラは、菊と洋子に結婚することを報告する。菊は表情を変えずに聞いていたが、洋子は祝福してくれた。透が朝早く家を出て、夜も遅くに帰宅していたのは、準備をしていたのだと思っていたようだった。匠はドアの外に耳をくっつけて聞いていた。家族の中で、二人の間に起こった事を知っていたのは匠だけだった為、やっと、ここまで辿り着いたと、自分の事のようにホッとした。


 和人は洋子から連絡を受け、早めに帰宅し、改めて二人から報告を受けた。みんなで夕食を共にする事になった。透は和人に結婚後はしばらく、行ったり来たりで、理事長を続けるつもりではあるが、和人に経営を手伝ってほしいと、改めて依頼した。もちろん、徐々に全権を移行して行く事になる事も、和人は快諾して二人を祝福した。

 夕食中に、うんともすんとも言わないでいる菊に、和人が言った。

「お義母さん、学校経営は私では及ばないかもしれませんが、出来る限り引き受けるつもりです。私はこの二人に幸せになってほしいと、思います。余計なことを言うようですが、認めてあげませんか」

「誰が認めないって言いましたか?」

切り口上の返答だが、反対はしていないようだ。

「じゃあ、お義母さん、認めてあげるんですね?」

「反対しても、決意は変わらないって言っているのだから、仕方ありませんよ」

菊はふんと言った感じで、言い捨てた。和人は驚いて透を見た。透は苦笑いして頷いた。レイラは素直に喜んで良いのか分からず、困ったような表情を浮かべていた。


 匠はハラハラしながら、黙々と箸を運んでいたが、今のやりとりを聞いて、やっと自分が何を食べているのか味がわかった。口内にサーモンの味が広がる。せっかく大好きなお寿司だったのに、何を食べたのか、あまり覚えていなかった為、いくらに手を伸ばした。

「匠はいくらとサーモンが好きなんだね。さっきから、いくらとサーモンばかり食べているね」

レイラが言った。今日のレイラは緊張しているのか、口数が少ない。洋子が話題を振るように、レイラにお寿司のネタは何が好きかと尋ねた。

「大トロと、キスです。」

 透はそそくさと、お茶をついでくると言いながら席を立った。菊の険しい視線と、レイラの熱い視線を感じたからだ。レイラは醤油で喉が渇いたのか、湯呑みを持ってキッチンの方に透を追いかけて行った。


 洋子は菊の険しい表情に気づいて、何があったのか尋ねた。

「昨日、ホテルのラウンジに、透を千代さんの娘の果穂さんとお見合いさせようと、連れて行ったのよ。いい感じに二人が熱心に話し始めた所へ、急に彼女が現れて、公衆の面前で透にキスをして……自分の宿泊している部屋へ来るように言ったのよ。全く失礼な……。いつも礼儀正しい透が、お見合いを途中で放り出して、果穂さんを置いて行ってしまって……。私は驚いている千代さんに謝って、彼女の泊まっている部屋へ行ったの。そうしたら、二人して、結婚を決めたって、急に……」

洋子は呆れた。

「あのね、お母さん。お母さんが、いくら気に入らなくたって、二人は付き合っているのよ。なんで、透ちゃんにお見合いなんてさせるの? 透ちゃんは何度も、お見合いはしないって言っていたでしょ? 大方、透ちゃんに、お見合いだと言わずに騙して連れて行ったんでしょ。レイラさんが母さんに対して怒ったとしても、不思議はないのよ? それを怒りもせずに、きちんと挨拶をしに来たのに……。母さんの方が謝るべきよ。失礼なのはお母さんの方よ」

「透は誑かされているんだわ。目を覚まさせなきゃと思って、お見合いをさせたのに……。あなたは、彼女がどうやって、透のところに来てキスをしたのか見ていないから、そう言うのよ」

菊はムキになって言った。

「レイラさんは、きちんと筋を通す人よ。何かあれば、欧州から飛んできて、命懸けで透ちゃんを助けに来る様な人なのよ。そんな相手は、いないと思うわ。まぁ、海外の人だから、人前でキスくらいはするかも知れないけれど。あの二人はずっと相思相愛なのよ。引き離しては駄目よ」


 菊は味方になると思っていた娘が、レイラの肩を持った事に驚き、がっかりした。和人は顔には出さなかったが内心、義母のやったことに対して呆れていた。 

 匠は赤くなったのを自覚して俯いた。キスをするのは、レイラからばかりではない事は、MVを見てもわかる。キーロヴィチが撮った映像での透のキスは、王子様が眠り姫にするような美しい接吻だった。匠はいつか自分も、あんな風に好きな相手にキスをする事が出来たらいいなと思っていた。

 そんな話が出ているとは知らず、キッチンで、二人はそっとキスをしていた。

 

 和人が、匠がでているMVを見たようで、二人を心配した。コメントの中に透が静実学園の理事長である事と、レイラがサファノバの女王であることが書いてあったと、キッチンからお茶を手に戻ってきた二人に、気をつけるように忠告した。

 キーロヴィチは、まだ依頼したMVの映像を削除していない。せっかく高評価を得ている新たにアップした方を、いくらレイラの依頼とはいえ、削除する気はないのかもしれなかった。

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