第89話 生徒会室

 レイラはゆっくり紅茶を飲みながら、部屋の中を見回した。修が理事長だった留学中に、何回か訪れたことがあった。その時と、ほとんど変わっていないように思えたが、よく見ると、ソファや椅子は15年近く前のものには見えない為、新しいのだろう。棚や机はそのままのようだ。

 あと、もう少しで想いが叶う。レイラは夢見心地で、デスクの椅子に座ってみた。

(透はいつも、ここで書類仕事をしているのだろうか。机の上は割ときちんと片付いているな)

 レイラはこの学校に通っていた時に、友人の中に、好きな人の机に、自分のイニシャルを掘っていた子や、自分の机に好きな人のイニシャルを掘っていた子がいたのを思い出した。当時はその子たちの気持ちが分からなかったが、今はわかる気がした。想いを形に残しておきたい、と言う気持ちが。


 レイラはソファの前のコーヒーテーブルの上に、指輪が置いてある事に気がついた。先程まで透が嵌めていたものだろうか。透とお見合いをしていた女性は「女性除け」と言っていた。除けてほしい為、渡しに行かなくては、と思った。まだチャイムが鳴るまでに10分ある。レイラは名残惜しそうに理事長室を振り返ってから、そっと、廊下に出た。


 授業中の廊下は誰もいない。教室にはたくさんの生徒が黒板に向かっているとは俄かに信じ難い。授業中の廊下は別世界だ。

「レイラさん!」

不意に小さな声で名前を呼ばれた。驚いてレイラが振り返ると、楓が小走りに近寄ってきた。楓はMVと滞在中のお礼を丁寧に言って頭を下げた。

「授業中じゃないの?」

「職員室にプリントを取りに行くよう頼まれたんです。あと10分しないうちにチャイムが鳴ると、先生も生徒も出て来ます。高校であのMVが話題になっているから、みんなに囲まれてしまいますよ。階段降りてすぐの所にある生徒会室なら、10分休みに来る生徒はいないので、4時間目の授業が始まるまで隠れていた方が良いですよ。場所わかりますか?」

「もちろん。有難う」

楓はペコリと頭を下げると、職員室へ入って行った。レイラは楓の忠告に従って、階段を降りて生徒会室の前に立った。

 帰国してから、何度も夢にまで見た懐かしい場所。過去に同じことが何度もあったせいか、既視感なのか、扉が通れるくらい開いている事に、見覚えがあった。レイラはそっと中を覗く。


 授業中で人がいないはずなのに、扉に背を向けて、人が座っている。レイラは足音を忍ばせて、背後に近づいた。顔を同じ高さに合わせて近づけ、声をかけようとした途端に振り返られ、あっと思う間に、

「同じ手には乗らないよ」

そう言われ、逆に唇を奪われた。

 連写のシャッター音が響いた。取材に来ていたカメラマンの金田が扉の外から、写真を撮っていた。唖然としているレイラを残して、透は素早く立ち上がると、金田を中に入れて扉を閉めた。

「金田さん、帰ったのでは無かったのですか? 無断で写真を撮るのは失礼でではないですか」

「指輪を忘れた事に気がついて取りに戻ったら、その女性が中に入って行くのが見えたので、覗いてみたら、お二人が見えて……。理事長、先程はMVの女性は知らない女性だと言っていませんでしたか? どう見ても、知らない感じでは無さそうですよね」

「申し訳ないですが、撮った写真を消して下さい」

「残念ながら、このカメラはデジカメではなく、フィルムなので消すことができないのですよ。教育界でも有名な理事長が、昼間の授業中に校内で女性と密会。しかも二人とも話題のMVの出演者だ。本当は何処のどなたですか?」

透が止める前に、レイラが口を開いた。

「彼は私の婚約者だ。密会とは失礼な言い方ですね」


 金田はレイラの毅然とした言い方に気圧されて黙った。人を従わせる事に慣れている者特有の威厳のある態度。近くで見れば見るほど、息を呑む程の美貌。金田は後ろからしか撮れなかった事を悔やんだ。透の方はレイラが顔を離した後にバッチリ写っている。

「透、隠すのはやめよう。高校の頃にやった日本のカードゲームで、手札が悪過ぎる時に手札をオープンにしてやる、と言うルールがあった。それで良いのでは?」

「これはゲームじゃ無い」


 金田は寄り添って話し合っている二人を眺めた。まるで自分が映画を見ている観客の様な気分になった。同じ空気を吸って呼吸しているとは思えない、世界の違う二人に、一瞬見惚れてしまった自分に気づいた。

 透は教育界では有名人とはいえ、それ以外の所では多分知られていない。この女性はサファノバと言う、聞いたことのない国の女王だと、何かに載っていた。もしそれが本当であれば、許可をとって二人並んでいる写真とMVのシーンを並べて、出演者としてコメントをもらって出す方が、読まれるのではないか、それに、黙って掲載して後々、肖像権云々で訴えられても困る。

 オンラインニュースが本当であれば、相手は王族だ。きちんと確認したほうがいいに違いない。

「こう言うのはどうでしょう。今二人で並んでいる所を写して掲載する代わりに、先程の写真は掲載しない、と言う事で。お二人が婚約しているのであれば、並んで写る事に問題はないでしょう」

二人は顔を見合わせて、小さく頷く。

「One smile for allの写真をたくさん載せて下さい。私たちはおまけで映っただけですので、出来れば載せて欲しくないくらいですから」

「なるべくそうしますが、確約は出来ません」

「透、スーツは置いてある? どうせ載るならきちんとした格好をした方がいいと思う。私はスーツだし。もし置いてあるなら、着替えてきたら?」

透は渋々、着替えに行った。


 レイラは理事長室に置いてあった指輪を金田に返した。

「なぜ、貴方がこれを持っているのですか?」

「透が女性避けで指輪をしていると聞いたので、それかと思って持ってきた」

「確かに、彼は指輪をしていた方が良さそうですね。日本語、お上手ですね。ところで、貴方のお名前と出身国を教えて頂けますか? ボーカルの佐方匠君と似ていますね」

「日本人は髪の色が似ていると、皆同じに見えるんですね」

レイラは慎重に答えた。金田はじっくり吟味するようにレイラを見ている。

「記事に載せるのに、お名前と出身国を教えて下さい」

レイラは答えない。

「聞こえませんか、お名前と出身国を教えて下さい」

金田が近づいて来た。

「やめ、」


 レイラが声を上げた時にはもう遅かった。後ろからアントンが金田の腕を捻り上げていた。金田が堪りかねてしゃがみこんだ。レイラはサファノバ語で声をかけた。

「アントン、大丈夫だ。離して上げていい。随分早かったな」

「近くにいたので。レイラ様をこんな男と二人きりにさせて、透は何処に行ったのですか」

「アントン、そのままサファノバ語で話して。この男はカメラマンだ」

アントンは、ピンと来なかったが、レイラの命令は絶対だ。透が戻ってきた。

「アントン?」

解放された金田がぜいぜいしながら聞いた。

「一体何なんだ? この男は?」

「彼女のボディーガードです。金田さんの事を不審者だと思ったのでしょう。失礼しました。待たせておいてすみませんが、時間がないので写真を撮るなら5分くらいでお願いします」

金田は腕をさすりながら、不承不承、二人の写真を数枚撮った。時間切れで撮れないよりはマシだと考えたのだ。金田は二人から、女性がサファノバ国の女王であると、確認を取った。透は、2週間はこの記事を出さない事を交換条件とした。金田は渋ったが、条件を飲まずにすぐに、記事を出すのであれば、サファノバ国として日本に抗議すると、レイラから言われ仕方なく承諾した。

「アントン、この人を正門まで送って。私も後からすぐに正門に行くから」

レイラがサファノバ語で付け加える。


 金田を送って戻って来たアントンが、透に文句をつけた。

「何で、レイラ様とさっきの男を二人きりにした。万が一レイラ様に何かあったら、どうするのだ?」

「レイラの強さは、アントンが一番よくわかっているじゃないか」

「透、それは褒めているの?」

レイラが不審の目で見る。

「もちろん、褒めているんだよ。レイラは匠のヒーローじゃないか」

透は笑顔をで答えた。レイラは複雑そうな顔をした。アントンが溜息をつきながら透を嗜めた。

「そうじゃない。万が一、透や匠君を盾にされて、無理な要求をされてしまうと、困るから言っているのだ。レイラ様は二人に何かあったら、どう言う行動に出られるかわからない」

「アントン、それは褒めているのか?」

「褒めておりません。もう少し女王としての自覚をお持ちになって、自重して下さいと言っているのです」

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