第85話 決意
二人は慌てて洗面台へ駆け込み、身繕いし、ダイニングルームへ出た。レイラが日本式に腰を折って挨拶をした。
「お久しぶりです。どうぞお座り下さい」
アントンに日本茶を持ってくるよう言いつけた。菊は挨拶を返したが、表情が読めない。菊はまだ、レイラが記者たちに追われ始めた事に気がついていない。その上、レイラを見ないようにしているせいか、レイラが痛ましい程に痩せている事に気がつかないようであった。
「透、失礼の無いようにと言ったのに、途中で退席するなんて、失礼ですよ」
「すみません。でも、騙し打ちのようにお見合いをさせるのは、どうかと思いますよ。私は、お見合いはしないと言った筈です」
ダイニングルームは10人座れる椅子があったが、菊は二人の正面に座った。
「お見合いしないなら、しないで、これからどうするのか教えて頂戴」
透は決意を込めてレイラを見た。レイラは頷いた。
「私たちは結婚する事に決めました。これから、まだ色々準備があるので、すぐにではありませんが」
「お母様、どうか、透が我が国で、王配になる事をお許し下さい」
レイラが頭を下げた。透も一緒に頭を下げる。
「許さないと言ったら?」
レイラが心配そうな視線を透に向けた。
「母さんに反対されるのは悲しい事ですが、よく考えて決めた事ですから、反対されても、結婚します」
透は迷いもなく、キッパリと言い放った。
「学校はどうするの?」
「当分は仕事を続けるつもりです。でも、私には跡を継ぐ子供は出来ない。このままいけば、いずれにせよ、いつかは血の繋がりの無い人に、経営を任せなくてはならなくなる。それが早いか遅いかだけの違いです」
「私の目の黒いうちに、学校が他の人に渡るなんて……」
「もしかしたら、和兄さんと、姉さんの間に子供ができるかもしれません。私も当分は行ったり来たりしながら理事長を務めるつもりです。だから、そんなにすぐに学校が他の人に渡る事はないでしょう」
透がレイラを見る。レイラは頷いた。
「そこまでの決意があるのなら、止めても無駄ね。レイラさん、言っておきますが、透との間に子供が出来ない事は」
レイラは菊の言葉を遮った。
「わかっています。その事も話し合い済みです」
菊は諦めたように溜息をついた。二人は揃って頭を下げた。
「あの、よろしければ、こちらで夕食を一緒に」
「さっき、アフタヌーンティーを、衝撃と共にいただいたから、結構です。透、帰りますよ」
レイラの誘いは一蹴された。
「……荷物を取ってきます」
透がダイニングから移動すると、レイラがついて来た。
「ごめん、相当機嫌を損ねたようだから、今日はいったん帰る。反対されても、決心は変わらないけれど、あまり反対されるのも……匠のこともあるし」
「お母様には式に出てほしいしね……」
「レイラ、この後、ちゃんと食事を取ると約束して」
「もう、大丈夫。早速お腹が空いてきたから」
ホテルの入り口まで二人を見送って、レイラは部屋に戻った。透が帰ってしまった事にがっかりしたし、今日も泣いてしまったと、レイラは溜息をついた。透を引き止めるほどの魅力が自分にはないのだろうか、いう考えが一瞬、頭をよぎるが、今回は仕方がない。
(本当は透を帰したくなかった。でも、これ以上、透の母親を敵に回すのは良くない……)
本来、レイラはほとんど泣いた事など無かったのだが、透と再会してから感情が大きく動いてしまい、猛烈に悲しくなったり、悔しくなったり、腹が立ったりする。反面、ちょっとした事で、ジェットコースターに乗っている位の勢いで、昇天してしまうのではないかと言う気分の時もある。そんな気持ちは久しぶりであり、その気持ちを抱く相手が、今も昔も変わらぬ人物である事が嬉しかった。
やっとレイラは、お互いに結婚への意思を確認する事が出来た。これから、透を受け入れる体制を作らなければならない。透の母親にも認めてもらえるよう、諦めずに働きかけなければ、とレイラは決意を新たにした。
ノックの音がして、アントンが入って来た。
「透とのお話し合いは上手くいったようですね。後は透の母君と、大臣たちですね」
「大臣たちは後継者問題さえ解決すれば、問題ない。問題は透の母上だ。私は相当嫌われているようだ……。私の母と透の父上が恋仲だったことと関係しているのだろう」
「難しそうですね。私の父の方は、私も何かできるかもしれません。何にせよ、レイラ様がお元気になられて、良かったです。今日は何か召し上がりますか?」
「透たちが食べていた、アフタヌーンティーがまだ頼めるなら。それと、せっかく日本にいるのだから、お寿司を」
レイラはこれからやるべき事を考えると、猛烈に食欲が湧いてきた。まずは明日、こっそり透の職場を覗きに行こう、と思った。その後に、菊へのプレゼントと、匠の育ての親に渡す手土産を選び、匠と育ての親に会って、日本にいるうちに挨拶をしなければならない。
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