第73話 代わりに側に

 匠は透と話そうとキッチンに行くと、ハンナしかいなかった。

「匠、何か飲む?」

「いいえ、大丈夫」

匠は簡単な日常会話くらいであれば話せる。わからない言葉はスマホで調べれば何とかなる。

「透なら、さっきアントンと外に話に行ったけれど」

「叔父に子供が出来ないと聞いたけれど、彼には何か問題があるの? 病気なの?」

ハンナは話して良いものか、少し迷った。しかし、イギリスであれば匠の年であればL G B T Iについて学んで知っている。

「彼はインターセックス と言って、男性・女性の中間、またはどちらとも一致していない状態なの」

「本当は女性だって事?」

「違うの。透の場合、見た目と心は男性だけれど、精巣がなくて、代わりに卵巣があるの。私はその逆。見た目と心は女性だけど、卵巣の代わりに精巣がある。だから、透はあなたのお母さんと結婚しても、子供が出来ないと伝えたんじゃないかな」

「ハンナには子供がいるよね?」

「私の精子と第三者から提供された卵子を体外受精させて、代理母に産んでもらったの」

「そうなんだ……。透ちゃんはどうしたいんだろう?」

「透、ちゃん?」

「普段そう呼んでいるから、気にしないで」

「何も、言っていなかったけれど、初めてカミングアウトしたみたいだし、すごく気にしている。あなたは、どうするの? 彼女の息子なんでしょ? 日本に帰るの? サファノバに行くの?」

「わからない。いきなり、日本の両親に実の子供じゃなかったと言われ、本当の親は誰かわからない、と言われていたのに、急に本当の親はサファノバの女王だって言われて……。知っている人もいなくて、住み慣れた日本を離れて、全く言葉も習慣も違う国で、皇太子として生きていけるかなんて、わかるわけない。でも、透ちゃんが父親になって側にいてくれれば、心強かったのは確かなんだよね。透ちゃんからは、自分が行っても行かなくても、どうするか決めるよう言われたけれど……それは、自分がサファノバに行かない事を想定していたんだね」

「どこへ行っても、自分が自分でいられればいいと思うわ。自分が楽な場所ってあると思う。その人がいなければ、自分でいられないなら、その人と一緒にいればいい。今いる場所がダメなら、別の場所へ行けばいいし、そこが気に入っているなら、そこにいれば良いんじゃ無いかな。習慣が違う事が気になるみたいだけれど、同じ人間だから、わかりあえる部分の方が多いんじゃない? そう思わない? お母さんは異星人みたいだった? 透もあなたのお母さんもインターセックスか普通かではなくて、相手を好きかどうか、受け入れられるかどうかで判断すればいいと思うんだけど、彼らは考え過ぎてしまうみたいだよね」

ハンナはクリスマス・ティーと書いてある缶を開けて、匠に紅茶を淹れてくれた。外は雪が降り始めた。今夜はホワイトクリスマスだ。


 透はようやく、匠と話をしようと思ったらしく、キッチンに来た。日本語で話してしまえば分からないにもかかわらず、ハンナに席を外してくれる様頼んだ。匠はレイラからメッセージが来ているかチェックしたが、何も来ていなかった。


 匠が口を開く前に、透はサファノバが以前、優秀な暗殺者集団を抱えている事が、ヨーロッパでは有名な話だったと伝えた。石油が産出することがわかって、暗殺を請け負う必要がなくなり、今は違うと言うことも伝えた。

 ただ、透は自分の事は何も言わない。


「現在違うなら、別にいいんじゃないかな……。それよりも、透ちゃんはどうするの?」

「明日には公共機関も動くだろうから、ホテルに移って、せっかくのボクシングデーだからお土産でも買いに行こうかな」

「その後は?」

「予定通り30日に帰国する。それまで、大英博物館や自然史博物館を見て回るよ。匠は、アントンとサファノバに戻りなさい」

「も、戻りなさいって……。一緒に、博物館見学付き合うよ」

「お母さんが心配しているだろうし、きっと一人で寂しい思いをしているはずだから……」

「お母さんが心配って、何だよ……。知らない人みたいに……何で名前を言わないんだよ。寂しい思いをしているって思うなら、透ちゃんが戻ればいいじゃないか! お母さんに寂しい思いをさせているのは、透ちゃんだろ?!」

匠は透に掴みかからんばかりの勢いで、座っている透のそばに来た。

「戻れないから、言っている。匠と私には日本に家族がいるが、彼女には匠以外誰もいないんだ。お願いだから、予定通り30日まで一緒にいてあげてくれないか」

透はゆっくり顔を上げ、匠の目を見て静かに答えた。

「何で戻ってあげないんだよ! お母さんが待っているのは透ちゃんなのに!」

「待っていないよ……。彼女の戸惑いはわかる。自分がそうだったから。でも、これはどうしようもないんだよ、匠。彼女は女王で、自分が良ければいいわけじゃない。家臣たちの期待に応えなければならない。私ではその期待に応えられない」

「それで、いいの?!」

「自分の気持ちは、関係ない。私では彼女の家臣たちの期待に応える事が出来ない。それだけの話だ。明日、公共機関が通常通り動くから、アントンと一緒にサファノバに戻るんだ。いいね」

「そんなの指図されたくない。どこへ行くかは俺の自由だ」

透はそっと匠の腕を掴んで、諭した。

「指図じゃないんだ……。私には彼女の側にいる資格がない。だから、これはお願いだ。アントンと一緒にサファノバに戻って、彼女の側に……私の代わりにいて欲しい。匠は彼女のたった一人の家族だ」

透の悲しげな様子から、匠は、今は何を言っても無駄だと思った。こんなに哀しそうな透の顔を見た事がなかった。透から、何かを懇願された事もなかった。

「そんなに言うなら……。明日、サファノバに戻って、30日にはロンドンに戻ってくるから、絶対に待っていてよ」

「待っているよ、有難う」

透は匠の頭にそっと手を置いた。

「透ちゃんは……大丈夫?」

あぁ、と答えて、透はハンナにちょっと散歩してくると声をかけて、外に出て行こうとした。匠はその背に向かって、我慢出来ずに声を掛けた。

「俺は、今回はサファノバに戻る。でも透ちゃんはどうなんだ? すっかり諦めてしまっていいの?!」

透が顔だけで振り向く。

「匠くらい若ければ、諦めていないかもしれない。でも、私も彼女も社会的に責任ある行動を求められる歳だ」

「それでも、お母さんに結婚しないと、言われた訳じゃないんでしょ?! だったら、諦めないでほしい! そんな、なんでも解ったふりして諦める透ちゃんなんか見たくないんだよ!」

 透は答えず、外に出て行った。匠が慌てて上着を着て追いかけると、もう姿が見えなかった。探しに行こうとする匠を、ハンナが止めた。

「そっとしておいてあげましょ。透が戻って来たら、ディナーにするから」

匠は頷いて、エミリーを構いにアレクシスの所へ行った。


「アントン、透と匠の話を聞いていたでしょ?」

ハンナが翻訳機を使って問い詰めた。

「私は匠を守る様に言われているから、常に側にいるだけだ」

「何とかしてあげる事は出来ないの?」

「私はただの護衛だから、出来ない」

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