　一方、レイラは匠まで出て行ってしまった為、惚けたように、母アデリーナが生きていたならば、どうするだろうと考えていた。女王として、後継者を残すのが義務である事は、わかりすぎるくらい分かっている。

　アデリーナならば、家臣たちを心配させずに、次の後継者の為の相手をすぐに選ぶのでは無いだろうか。だが、今でも、ヨーロッパの大概の王室はサファノバと縁を結ぶ事を嫌う。受け入れてくれる人を探しては、縁を結んできた。

　昔から暗殺者集団を王家が抱えている国だから、それが必要で婚姻関係を結んだ国もあったと聞く。今、そんな事を表立ってする国は無い。だとすれば、相手は家臣の中から選ぶ事になるのだろうか。

　無理矢理、高校生の時に結婚を決められてから、結婚の話は別として、レイラは迷いが生じた時は、アデリーナではなく、透を思い浮かべた。初めての集団生活の中で、一緒に生徒会を纏め上げ、時には意見をぶつけ合い、仲直りし、笑い合った。その生徒会で、レイラは初めて、選ばれて人の上に立ち、選んでくれた者たちの声をまとめあげ、期待に応えるという事がどういう事なのか、分かった気がした。国に比べると、小さい集団だからこそ、分かりやすかったのかもしれない。

　透はいつも、期待の圧力を跳ね除け、淡々と結果を出して行った。淡々として見えたが、その裏で、悩み、迷っている事が多い事も、近くにいたから知っていた。だからこそ、レイラは無意識に将来の自分の姿に重ね合わせて、惹かれ、忘れられずにいたのかもしれなかった。

　欧州連合に加盟した今、暗殺とはかけ離れ、かつてなく、退屈なくらい平和な時が始まる。平和で退屈な時間は、どうでもいい相手と一緒に暮らしていくには長すぎる。この平和な時期に、アデリーナの時よりも、国を更に先に進めるのが、自分の役目だと、レイラは考えていた。

（だが、もし共通の敵から身を守っていくのであれば、どうでもいい相手でも、ある程度は行動を共に出来るだろうか。いや、背中合わせで敵に向かい、共に戦わなければいけない相手であれば、尚更どうでもいい相手とは一緒にいられない。信頼のおける、共に串刺しになっても良いと思える相手でなければ）

とレイラは思った。匠の言葉が蘇って来た。

「後継者の為に好きでもない人と結婚して、この先ずっと暮らしていくの？　後継者さえできれば良いの？」

　後継者を残す為に、好きでもない男に身を任せると考えただけで、レイラは慄然とした。透と再会する前なら、我慢できたかもしれないが、焦がれていた透と再開して結ばれた。透以外にはもう触れられたくない。

　透から話を聞いた時は、パニックに陥ってしまったが、今は透が完全な男性でなくても、そばにいたい、離れたくないという事に気がついた。透は言っていた。「レイラがどちらであろうと好きだった」と。

　たとえ母が生きていて、母から決めた相手との結婚を命じられても、もう応じられない。透以外の人間と添うくらいなら、死んだ方がマシだと思った。レイラは今更ながら、自分の眼差しが、透を傷つけてしまった事を激しく後悔した。眼差しは嘘をつけない分、言葉よりもタチが悪かった。言葉であれば、「気が動転していて」と言い訳ができたかもしれない。

（どうしたら、戻って来てくれるのだろうか。匠に、戻って来て欲しいと、連絡すれば、連れて戻って来てくれるのだろうか。でも、まずは家臣たちに、後継者について納得してもらわなければならない。透に戻ってきてもらうのは、それからだ）

　すでに、透と匠が出て行った事は家臣たちに伝わっており、心配し始めた者もいる。何か習慣の違いから、誤解があったのでは無いかと言っている者たちもいた。そう言う者たちは、極東の国と、東欧のこの国では、何もかもが違いすぎる事が原因ではないか、と言う者もいた。急に用事ができて戻ったのではないかと言う、のんびりした者もいた。真相を知る者がいないのであれば、透が急に戻ってきても、差し支えないだろう、とレイラは思い至った。

　アントンから、匠が無事に透に会えたと、レイラに連絡が来た。

　ただし、透はサファノバが暗殺者集団を抱えている事を知ってしまったと言う。レイラはサファノバ王家が、暗殺者集団のトップだと知られたくなかった。多くの国が集まる場で、国名を言った途端に、青ざめ離れていく人がいた。

　暗殺は、透が大事に考えている民主主義とは、最もかけ離れているものだ。

　今は活動していないから、話さなくても差し支えないと思って、話さなかった。後継者は必要ないと思い、インターセックスの話をしなかった透と同じだった。

　しかし、アントンが話してしまった。透はレイラを軽蔑するだろうか。レイラが驚きの目で、透を見たように、透も異質なものを見るような目で見るのだろうか。レイラの気持ちはやっと、家臣たちを説得しようと、前向きになり始めたばかりだった。しかし、透から異質なものを見るような目で見られたら、と考えると、レイラは、どうしたら良いのか、わからなくなってしまった。そんな目で見られてしまったら、消えて無くなってしまいたいと思うだろう。透がサファノバからすぐに、いなくなってしまったように。

　本当なら、今頃3人でクリスマスディナーを囲んで過ごしていたはずなのに、レイラは一人でテーブルについている。赤いリボンのついた七面鳥の丸焼き、魚と野菜を白ワインで煮込んだもの等、テーブル一杯に料理が並んでいた。クリスマスケーキも並んでいる。レイラはほんの少しだけ残して、あとは家臣たちに持って帰ってもらう様に伝えた。

　家臣たちは二人の間に何が起こったのか、正確な事は誰も知らなかった。ただ喧嘩しただけなのか、もう戻ってもこないのか、敬愛する女王にどう声をかけて良いか分からず、話しかける者もいなかった。ただ、去年と同様にポツンと一人で座っている女王の様子を見ているのが忍びなかった。

　家臣たちは正面階段に大きなツリーを飾り付けたものの、女王の沈んだ様子から、点灯して良いものかどうか、迷っていた。去年までと違って、家臣たちは、今年は賑やかなクリスマスを予想して色々と用意していたが、女王に気づかれない様に、装飾品はそっとしまわれた。

　レイラは家臣たち全員に、今日は家族と過ごす日だから、早く帰る様伝えた。主塔の中にいるのはレイラ一人となった。外はいつしか一面の銀世界になり、全ての音を飲み込んでいく。レイラは改装した自分の部屋に戻ると、ジャグジーに浸かった後、透が着ていたバスローブにくるまった。一晩しか使われなかった、一人で眠るには広すぎるベッドで、大きすぎるバスローブを握りしめるように横になった。しんと静まり返った中、眠りはレイラを訪れず、朝を迎えてしまった。