第70話 イレギュラーなクリスマス

 透は去年まで、姉と一緒にクリスマスディナーとして、ローストチキンを焼き、オニオングラタンスープを作り、野菜でツリーを模し、ケーキは匠も好きなケーキ屋で予約して、家族で食卓を囲んでいた。たまに、参加しない時もあったものの、大体、同じようなクリスマスを迎えていた。メニューは少しずつ変わったが、毎年繰り返される光景だった。

 

 今年は、思いもよらない事の連続で、今なぜか、ロンドンにいる。

 突然断ち切られた日常は、日本に戻れば、今年の事などなかったかのように、続いていくのだろう。

 帰国したら今年あった事は忘れて、早く日常に戻ろう、そう透は思った。今年見た、長く色鮮やかな夢から、早く目を覚まそうと。


 それにしても、赤ちゃんが一人いるだけで、空気がふわりと暖かくなる。

(レイラが欲しがっている子供。自分には手に入らないもの。だから、匠を拾って来たのかもしれない)

手に入らないものであっても、透は小さい子供のミルク臭い匂いや、抱っこした時の暖かく湿った感じが好きだった。それは匠を自分が拾って来た責任もあり、面倒を見て来たせいもあるだろう。

 透は赤ん坊を抱かせてもらった。赤ん坊が一人いるというだけで、こんなにも空気が違う。そのせいか透も、ハンナ家族の間で息をつく事が出来た。笑うことすら出来た。ただ、話題に興じて笑っている自分を、別人のように思っている自分がいた。


「透、是非キーロヴィチ監督に撮影許可を出して欲しいな。知り合いが撮影されるなんて、嬉しいし、サインももらって欲しいね。その時は、是非、ロンドンで撮影を、と言ってよ。仕事を休んで見にいくし、とっておきの撮影スポットを探しておくよ。ついでに、エキストラに混ぜてもらえれば、いい記念になる」

アレクシスはキーロヴィチの話になると熱がこもる。

「ロンドンはよく映画に出てくるし、素敵な場所が多いよね。写真も映像も見るのはいいけれど、映されるのは苦手だから、気が向いたらね。それに、ロシア語は全くわからない上に、何を注文されるかわからないし、いつ撮られているか判らないのも怖い。振り向いたら、いつの間にか、黙ってカメラを回してるような人だから、何処までついてくるか分からない」

「それもそうだな」


 3人と赤ん坊エミリーでソファに座り、エリザベス女王のクリスマススピーチをテレビで見ていた。

「透、甥の名前はTAKUMI?」

「そうだけど、どうしたの?」

さっきから、スピーチを聴きながら、手元のスマホを見ていたハンナが顔を上げた。

「透を探しているって……。私に話があるって」


 透は匠が自分を追いかけて来るとは、思っても見なかった。慌てて、電話をかける。

「匠、今どこにいる?」

「ロンドン。透ちゃんこそ、どこにいるの? 交通機関がほとんど動いていなくて、困ったよ……」

「一人で来たのか?」

「アントンがついて来てくれたよ」

「ハンナ、匠がロンドンに来ている」

アレクシスが答えた。

「ここに来ればいい。迎えに行くよ」

「彼女の護衛が一緒なんだけど……」

ハンナとアレクシスが同時に口を開いた。

「護衛って、彼女は大統領か女王なの?!」

「とにかく、護衛は帰すから、匠を連れて来ていいかな?」

「もう、この時間じゃ、タクシーだって捕まらないよ。狭いけど、二人ともうちに来ればいいよ。さぁ、迎えに行こう」

気のいいアレクシスが、立ち上がった。

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