第71話 暗殺者集団

 かくして、アントンと匠はハンナの家にやって来た。アントンと匠は透から、ハンナと家族を紹介された。

 匠は、キーロヴィチについて質問責めにあった。それが一段落ついてから、やっとソファに座ることが出来た。匠とアントンはハンナに話を聞きたかったが、透のいる前では、聞きにくく、キョロキョロするばかりだ。

 そのうち、手持ち無沙汰の匠は、エミリーの部屋へ行き、エミリー相手に、いないないばぁをしたり、手足をバタバタさせて、笑わせたりと遊び始めた。

 アントンは透に話しかけるのも気まずく思ったのか、黙っている。透もアントンに話す言葉が見つからず、キッチンへ行って、ハンナの手伝いを始めた。アレクシスがスマホの翻訳機能を使って、アントンと会話を試みた。


 アントンはアレクシスに聞かれるまま、素直に透の彼女がサファノバという小国の女王であること、後継者が必要なため、子供のできない透が自分から身を引いてしまった事を話した。自分たち家臣も後継者を強く望んでいる事を、女王は承知していて苦しんでいる事も、話した。


 アレクシスから見れば、答えは単純だった。

「匠がいるなら、恋人同士を引き離してまで、後継者は必要ないじゃないか。自国の女王が不幸になって、国民は嬉しいのか?」

「じゃあ、自国の女王に後継者が一人しかいなくても?」

「もし、は必要ない。匠はあと5年もすれば成人。将来、匠が伴侶を得て後継者が出来れば問題ないと思えないのか? 恋人同士を引き離そうとするなんて、非情な人たちだ。アントンには、恋人はいないのか? 我が国の『王冠をかけた恋』の話を知らないのか? 女王がそうなってしまってから、後悔しても遅いと思うけれどな」

「王冠をかけた恋」とはイギリスのエドワード8世が離婚歴(当時女性は既婚者だった)のある平民のアメリカ人女性と結婚するため、王位を捨てて退位した話だ。アントンは黙った。

(透は既婚者ではないが、レイラ様に退位されては困る。こんな状態で、匠君が継いでくれるとは言い難い……)

アントンは、アレクシスに自分の立ち場を伝えた。

「これは、自分が決める事の出来る問題ではない」

アレクシスは溜息をついた。世の中の色々な事情が恋人たちを引き裂いている事に。


そして、アントンには気になる事があった。アレクシスはさっきの紹介でL G B T Iを支援している団体で働いていると言っていなかったか。

 アントンは、自分に関して疑問に思っている事があった。

「透の件とは別なのだが、質問しても良いか」

アレクシスは頷く。

「肉体と心が惹かれる性別が一致しない事はあるのか」

「もちろん、ある」

アントンはそれを聞くと、明らかにほっとした。

「それは、君の事か?」

アレクシスは聞いたが、アントンは曖昧に頷いただけだった。

「ちょっと七面鳥の具合を見てくる」

アレクシスは席を立ち、キッチンへ向かった。


「透、君の彼女はあのサファノバの女王で、匠は皇太子だって、本当か?」

アレクシスが声を潜めて聞いた。ハンナは目を見開いて驚いている。

「アントンに聞いたんだな?」

「何? うちに王子様がいるの?! どうしよう?」

「ハンナ落ち着いて。匠が後継者だとわかったのは、つい最近だし、日本で普通に育てられた中学生だから」

「サファノバってどこの国?」

「ハンナはアメリカ出身だから知らないかもしれないけれど、サファノバは小さいけれど、古い、東ヨーロッパにある国で、昔から大国や周りの国からの依頼があれば暗殺者を送り込んでいた、優秀な暗殺者集団を抱えていた国だ。国のトップが暗殺者集団のトップだったんだ。最近、ユーロに加盟したから、そんな事ないとは思うが……」

「え、暗殺者集団?!」

透とハンナの声が揃った。

「なんだ、透も知らなかったのか? 女王の護衛という事は、アントンは暗殺者だったりしないだろうな?」

「知るもなにも、彼女の出身国を知ったのは最近だし、サファノバは日本ではマイナーな国だから」

 透はアントンがそう言っていた事を思い出したが、口には出さなかった。暗殺に怯えるだけではなく、暗殺を請け負って来た国だったとは思いもよらなかった。しかも、レイラはその暗殺者集団の頂点にいる女王。強くて当然だ。

透は本音を隠して笑ってみせた。

「そんな、暗殺者集団なんていつの時代の話だ?」

ハンナも笑った。

「嫌だ、映画じゃないんだから、そんな事あるわけないでしょ」

「ヨーロッパでは常識だよ、ハンナ。サファノバが依頼を受けていたのはそんなに昔の話ではない。サファノバの皇太子がここにいて、大丈夫なんだろうか? 彼らが取り戻しに来たりしないだろうか?」

アレクシスが、にわかに心配し出した。

「危ない目に遭わないように、彼女が護衛としてつけて来たんだから、そんな事は無いと思うよ。アレクシスは心配し過ぎだよ。アントンはいい奴だから、そんな心配は無用だ。話したなら、わかるのでは?」

アレクシスは、すっかり恐怖に支配されてしまったようだった。


「透は彼女と結婚しなくて良かったのかもしれないな。何かあったら、寝ている間に、首と胴体が生き別れになっていたかもしれない」

アレクシスは冗談とも本気とも取れる調子で言った。

「アレクシスはアクション映画とサスペンス映画の見過ぎじゃないの?」

ハンナはケラケラと笑った。透は笑えなかった。自分に向けられていなかったとはいえ、レイラが健斗に向けて放った言葉そのままだったからだ。


 サファノバが暗殺者集団を抱えていた国だったとしても、そして、レイラがその頂点として立つ女王だと分かった今も、透の気持ちは、今はまだレイラから離れられない。

 高校の時のように気持ちに蓋をすれば、忘れる事が出来るのだろうか。体の中に昨夜の記憶が刻まれてしまっている分、高校の時より忘れる事は困難だろう、と透は思った。レイラから異質なものを見るような眼差しが一瞬であれ、向けられた事は耐え難かった。中学の時に、大勢から向けられた蔑むような視線よりも、レイラからの視線だからこそ、透には耐えられなかった。

(距離と時間をおいて忘れるしかない。忘れる事が出来ないのであれば、思い出す瞬間を作らなければいい)

透はそう思うしかなかった。

 ハンナの言うとおり、透は自分の身体を未だに受け入れられないでいた。そうであるから、もちろん自分以外の人も、自分を受け入れる事が出来ないと、思っていた。透の場合は幸か不幸か、子孫を残す事が出来ない、という以外、思い出す必要が無い為、注射の日以外は忘れている事が出来た。


 透は自分の事ではなく、匠の事を考えなければならないと思った。そう言い訳して、自分の悩みを棚上げしようとしているのだと、自分でもわかっている。サファノバ王家が暗殺者集団を抱えている話は、匠には黙っていていいはずが無い。アレクシスの話が正しいのか、アントンに確認しておかなければならない。


「アントン、ちょっと外に出て話そう」

透が持ちかけると、アントンは無言で頷き、透について外に出た。吐く息が白い。

「サファノバ王家が、暗殺者集団を抱えていると言うのは本当か?」

言葉が冷たく、白く空に上がっていく。アントンはてっきり、透が聞いてくるのはレイラか匠の話だと思っていた。

「それを聞いてどうする?」

「匠はサファノバに行くかもしれないのだから、サファノバについて、きちんと知る必要がある。匠はうちの家族にとって、大事な子供だ」

「先々代の頃までは、暗殺集団を抱えていると言うより、王家が暗殺集団のトップだった。先代の頃から、石油や天然ガスが取れることがわかり、ほとんど、暗殺集団が活躍しなくても済むようになった。資源で国が潤ったからだ。ただ、昔からサファノバと言えば『暗殺集団』というイメージが強いから、今もヨーロッパの王家の中にはサファノバと距離を置いている国もある。それも、この先しばらくしたら、忘れられていく事だと思う。だから、匠君が暗殺者集団のトップに君臨するという事は無いだろう」

透は「レイラは?」と聞こうとして、やめた。気持ちが言葉になる前に、白く吐き出されて消えていった。

「話してくれて有難う。今の話を匠に話してもいいか?」

「もちろんだ。ただ、今は違うというところは、強調しておいて欲しい」

わかった、と言ってハンナの家の中に入っていく透の背中に、アントンが問いかけた。

「……透はサファノバに戻らないのか?」

「ボールはもう投げた。キャッチボールを続けるかどうかは、彼女と周りの家臣たち次第だ。家臣たちの多くが、後継者を望んでいるのであれば、私ではなく、別の人が必要だろう?」

アントンは、自分に突きつけられた言葉を、返すことが出来なかった。レイラ個人の気持ちを考えれば、透に戻ってきてもらうのが一番良いとはわかっているが、後継者の事となると、透の言う通りだった。

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