第68話 苦悩

「透、どうしたの? 甥っ子たちとクリスマスを楽しんでいるんじゃなかったの?」

 クリスマス時期を外すであろう透が切羽詰まったように、この時期に来たという事は、何かあったのか、たまたまこの時期にロンドンへ来る用事があったのだろうかと不思議に思ったハンナに、透は事情を簡単に説明した。レイラが王族である事は言わなかった。

 高校時代に気になっていた留学生が日本に来て、結婚まで考えたのだが、彼女は周りから子供を期待されている為、自分がインターセックスである事を告げ、別れて来たと。


「別れなくても……。でも、子供がどうしても欲しい、という人たちはいるよね。養子縁組はダメなの?」

「彼女の場合は、実子でなければ駄目なんだ」

「透の子供でなくて良ければ、精子を提供してもらえばいいと思うけれど……」

「インターセックスである事自体、受け入れられそうになくてね。精子提供はどうかなんて、とても言えない……」

「ねぇ、透、きちんと話した後に、彼女に時間をあげた? 聞いた瞬間はショックでも、ショックが治れば、受け入れてくれる人もいるわ」

透が黙っていたので、ハンナは話してすぐの反応を見て、別れて来てしまったのだろうと察した。

「透は今まで一度も、インターセックスだとカミングアウトした事がないんでしょう?」

透が微かに頷いた。


 ロンドンと違って、日本はまだそういうところは遅れているのだろう。透の相手がどこの国の人かはわからないが、きっと保守的な国なのだろう。でも、とハンナは思う。

「透は相手を受け入れようとするのに、自分をいまだに受け入れていないの?」

透が今まで自分がインターセックスだと伝えた相手は、ハンナとレイラだけだ。それ以外に伝える必要がなかった。レイラのように自分の子供が欲しい、と明確に言う人間がいなかったからだ。

「言う必要がなかったから」

「まぁ、そうかもしれないけれど……。私が言っているのは、インターセックス である自分を受け入れているか、と言う事」

「考えた事がないな」

「受け入れていれば、恥ずべき事でも何もないのだから、相手の反応を待てるのではないかしら?」

「ハンナは昔から、強いから……。相手の目に一瞬でも、嫌悪や恐怖を見てしまったら、待っても結果は同じじゃないかな」

ハンナは肩を竦めて溜息をついた。

「時間をかけても理解してもらえなければ、仕方ないけど。人の考え方は変わるものでしょ?」

「……怖かったのかもしれない。後も見ずに出て来てしまったのは、諦めが最初にあったから」

「本当にお互いを大事に思っていて一緒にいたいと思うなら、いつだって遅すぎる事はないわ、透」

「有難う、ハンナ。でも、もう……。彼女とは今度こそ、はっきりと終わったから、彼女はきっと次に進めるんじゃないかな……」

ハンナは溜息をついた。

「彼女は良くても、透は思いを断ち切れないんじゃないの?」

透は答えず、俯いた。


 透はインターセックス である自分を受け入れられずにいる。それまで、意識せずに済んでいたなどという事はあり得ない。ホルモン注射を打つたびに、自分がなんであるのかを思い出すはずだ。ハンナも好きになった人から、インターセックス である自分を、受け入れてもらえない辛さを何度か経験して来た。透は最初から諦めている。ハンナは透が、そんなに弱い人間ではないと思っていた。だが、本当に好きになってしまった相手だから、なのかもしれないと思い直した。


「透、今日はどうするの? きっと、夫も歓迎してくれると思うから、うちに泊まる?」

「いや、さすがに、今日はクリスマスだし、遠慮しておくよ。大英博物館でも見てくるよ」

「透、クリスマスと翌日は休館日よ」

「それは残念。そう言えば、ハンナはどこで、今の夫と知り合ったの?」

「彼はL G B T Iを支援している団体で働いているの」

「素晴らしく理解力がありそうだね」

「えぇ。透にも、インターセックス の人たちのコミュニティを紹介しましょうか? まだ、そんなに数は多くないけれど、日本より公にしている人が多いはずよ。色々と得る事があると思う」

「次にロンドンに来る際には是非」


 ふと、聞き覚えのある曲が微かに耳に入って、透はあたりを見回した。

「どうしたの?」

「音楽が聞こえる。何処かで聞いたことがある曲だ」

「あぁ、YouTubeね。付けっ放しだったわ」

透が覗き込むと、One smile for allのMVが流れていた。

「甥の匠が写っているんだ」

透が画面を指し、ハンナが目をむけた瞬間、レイラが飛び降りて、透が受け止める映像が目に入った。

「これ、透じゃない? 彼女って、この人?」

 透の目は釘付けになった。今朝、別れて来たばかりなのに、遠い昔の事のように思えた。それなのに、映像であってもレイラを見ると、今切ったばかりのように、胸が痛んで苦しくなる。

「一瞬しか見えなかったけど、綺麗な人ね。透もなかなか格好よく映っているじゃない。あら、再生回数、すごいことになっているわ。え? キーロヴィチ監督撮影って……。透、知り合いなの?!」

「あぁ、まぁ……」


「透、私に会いにくるまで、何をしていたの?」

透はハンナに彼女がサファノバの女王である事は伏せて、簡単に経緯を説明した。

「透の甥はプロのミュージシャンか何か?」

「高校のバンドコンテストで優勝したけれど、素人だよ」

「キーロヴィチ監督が、素人のバンドのMVを?! 透の彼女って、どう言う人なの? 普通、頼んだって撮ってくれないと思うけれど」

ハンナはにわかに透の彼女について興味を持ったようだ。

「キーロヴィチとは遠い親戚だと聞いたよ」

「なんでMVに透が映っているの?」

「偶然、彼女が階段から飛び降りて、受け止めたところをキーロヴィチが映していた。その映像を使用してもいいか、と聞かれたから許可したら、早速、M Vに使ったみたいだ……」

「今日、是非、うちに来て。彼もキーロヴィチ監督のファンなの。撮影の時の話をして!」

「あまり撮影されていないから、そんなに話せる事はないけど、それでいいなら、明日訪ねるよ。クリスマスなのに、時間をとってくれて有難う」

「駄目よ。クリスマスなのに、このまま何処かから飛び降りでもされたら、困るわ。透がしたように、誰も受け止めてくれないわよ」

「そんな物騒な顔してる?」

「してる、してる!」

そう言うとハンナは笑って、透の腕をとって連れて行き、ミニクーパーに押し込んだ。

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