第59話 森の中

 アントンから匠に連絡が入った。

「結衣が城の外に出たようだ。森に行ったのかもしれない」


「お母さん、どうしよう。結衣が森に入ったかもしれない」

「少し怖い思いをした方がいいんじゃない?」

レイラが冷たく言い放ったので、匠は切り札を出す事にした。

「自分の学校の生徒が危険ない目にあったら、透ちゃんはどう思うかな」

レイラは屹として立ち上がった。

「透の様子を見てから、私が森へ行く。匠は落ち着くまで自分の部屋にいるように。アントンに連絡して、メンバーを城の中へ引き上げさせておいて。」

「待って! 透ちゃんの様子なら、一緒に見に行くよ。ねぇ、もしかして、透ちゃんも、キーロヴィチにあんな挨拶されて、驚いて具合が悪くなったんじゃない?」

「そうだとしても、症状が重すぎる。夕食にも起きてこなかった。普段の透なら、みんなに心配をかけないように、具合が悪くても起きてくるだろう」

「……そうだね」


 二人が透の様子を見に行くと、透はやっと目を開けた。

途端に先ほどまで、キリッとしていたレイラは別人のように、とろけるような優しい声を出した。

「透、大丈夫? お腹空かない? 何かして欲しいことはない?」

匠はその違いに、たじろいだ。

(憧れのヒーローだったのに……。透ちゃんはどっちのお母さんが好きなのかな)

その落差が良いのかどうかは、匠にはよくわからなかった。

 透が咳払いして、レイラに注意を促した。レイラはハッとした。危うく透の頬に手を伸ばそうとする所だった。

「心配かけてしまったね。悪いけど何か飲みもの、ある?」 

「ちょっと待ってて、今何か持ってくる」


匠はちらっとレイラの後ろ姿を見た。

「匠、レイラは日本に留学して来るまで、暗殺の危機に晒されながら王女として振る舞い、若くして女王を継いだ後も、誰からも侮られない様に毅然と振る舞っていたんだと思う。でも、静実高校にいた時だけ、周りを気にせずにただの学生として自由に振る舞う事が出来たんじゃないかな。だから、つい、私といる時は、高校の時の様に振る舞ってしまうんだろうね」

「そうなのかもね」

匠は、レイラのとろける様な優しい声は、透にだけかけるものではないかと思ったが、口には出さなかった。

「匠、撮影は上手くいった?」

「上手くいったと思うよ。俺たちは編集されたものはまだ全部は見てないから。キーロヴィチが、お母さんが飛び降りて透ちゃんが受け止めるシーンを使いたいって言ってるけど、いいかな?」

「それって、曲と関係あるのか?」

「それが入ると、格好良くなるみたい。いい?」

匠が熱心に頼むので、透は頷いた。

「ついでに、透の事も撮影したいって」

戻ってきたレイラが透を起こし、ホットチョコレートのマグを持たせながら聞いた。

「それは、ちょっと……」

「私と一緒に、記念に。駄目?」

「……考えておく」

「ホットチョコを飲み終わったら、無理しないで横になって休んだ方がいい。私はちょっと、用事があるから、また明日。おやすみ」

レイラが透のおでこにキスをして、部屋から出て行った。


「いつの間にか、『レイラ』から『お母さん』になったんだな」

透が匠に微笑んだ。

「あんまりいつも一生懸命だから……。意地をはってもしょうがないし」

匠は言い訳するように言った。

「いい事だと思うよ。レイラも喜んでいると思う。ただ……」

「わかってるよ。家に帰ったら、言わないよ」

「そうだね。姉さんが少し寂しく思うかもしれない。正式にこっちへ来る事が決まったら、いいと思うけどね」


 アントンがレイラを見つけて報告しに来た。

「メンバーは全員城の中へ戻りました。城内を探しましたが、結衣は見当たらないので、城の外かと。私たちで城の外を探しましたが、見当たりませんでした」

「森に入るから、後の事をフォローして」

「承知しました」

 レイラは頷いて外に出た。結衣はこの間見た、白いヘラジカを見たいのかもしれないと思ったのだ。森の中にいるのであれば、森の生き物に問えば、すぐに見つかる。

レイラが意識を集中させると、結衣はすぐに見つかった。大型犬ほどの大きさのオオヤマネコを前にして、立ち竦んでいたのだ。後数分遅れたら、結衣は噛まれて怪我をしていたかも知れない。匠の言った通り、そんな事になってしまったら、透がどう思うかと考えると、助けに出て正解だとレイラは思った。レイラが現れると、オオヤマネコはレイラにすり寄って来た。レイラが手を振ると、身を翻して森の奥に駆け戻って行った。


「レイラさん……」

結衣は怖いものを目の前にしたような顔で、レイラを見ている。今のはなんだったのだろうと、疑問に思っている表情。親切に疑問に答えるつもりはなく、レイラはそれを無視した。何故、匠はこんな子が好きなのだろう、とイライラしながら結衣を問い詰めた。

「ここは東京じゃない。森には野生動物がたくさんいるし、野生動物は時に人を襲うから、慣れない人間が森に入って行くのは危険なの。何故、一人で森に入った?」

「すみません。大きな白い鹿を見たかったから……」

「あれは滅多に見る事ができるものじゃないから。とにかく危ないから、城に戻ろう」

「レイラさんは、危なくないんですか? さっきもこの間も動物がすり寄って来ましたよね?」

「ここは我が家の裏庭だから」

素っ気なく言って、質問を断ち切った。

「探しに来てくれたんですか?」

「匠に頼まれたから、探しに来た」


 レイラの突き放すような態度に、結衣は素直に怖かったとも、お礼を言うことも出来なかった。もしかしたら、さっきの大きい猫科の動物は、レイラが餌付けしていたものなのかも知れない、と結衣は思った。他にすり寄ってくる理由を思いつかなかった。そうでなければレイラは、野生動物を操り、人の心を操る魔女なのかも知れない。

 レイラは結衣を部屋まで送ると、自室に戻り、深い眠りに落ちた。匠がお休みの挨拶をしに来たが、それにも目を覚まさなかった。


 アントンはレイラに後の事を託されていたので、レイラの部屋の前で匠に説明した。

「レイラ様は結衣を探すために力を使ったから、今、スイッチが切れたように眠っている。明日の朝には元どおり、元気になるだろう。透が目を覚ましたから、側にいたかったに違いないのに、結衣を探す為に力を使ってしまったんだ。匠君が結衣を心配していたからだ。その位、レイラ様は匠君を大事に思っているし、サファノバに戻って来て欲しいと、心から願っている事を忘れないでいて欲しい」

匠はアントンに礼を言って、自室に戻った。透は匠と一緒に大晦日には日本に戻る予定だから、サファノバに滞在できるのは1週間位しかないのだった。

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