第60話 イブの幸せ

 12月24日

 透とは一緒に朝食を摂る事が出来たが、今度はレイラが現れなかった。メンバーも匠も、透が回復した事を喜んだ。


 透は匠から話を聞き、レイラの部屋へ向かった。アントンが開けてくれたレイラの部屋の扉を通り抜け、寝室へと向かう。天蓋付きのベッドにかかっている薄布をめくり、眠り続けるレイラに向かって、透は囁いた。

「レイラ、生徒を助けてくれて有難う。匠の気持ちを思い遣ってくれて、有難う」

気持ちを込めて、そっと口付けたが、今度は目を覚さなかった。視線を感じて振り向くと、キーロヴィチがハンディカメラを持って立っていた。


 透は部屋の外に出て声をかけた。

「アントン、通訳して」

アントンは透が入ったので安心して、トイレに行っている間に、キーロヴィチがレイラの部屋へ入った事に気づき、愕然とした。

「勝手に撮影しないで欲しい、と伝えて」

キーロヴィチは平然と答えた。

「許可を貰えるまでは使わないと約束する。貴方とレイラ女王のシーンは絵になるので、つい撮りたくなってしまうのだ。許して欲しい。出来れば、貴方も撮影したい。レイラ女王は先日撮影させて貰った」

「考えておく」

「いや、私は今日ここを発つので、出来れば、今日、今すぐにでも」

今にも持っているハンディカメラを回しそうなキーロヴィチに、透は尋常で無いものを感じた。じりじりとにじり寄ってくる。透は思わず後退りした。

 アントンが慌てて、間に入る。いくらキーロヴィチでも、次に同じ事をしたら、レイラはきっと許さない。アントンは急いでロシア語で嗜めた。

「あまり透に近づくと、出入り禁止どころか、首が飛ぶぞ。その位、レイラ様は透にご執心だ」

キーロヴィチは首が飛んだら撮影どころではないと思ったのか、諦めたようだった。それでも、名残惜しそうに暫く透の側から離れない。

「気が向いたら、いつでも言って下さい。あなたの為ならどこへでも駆けつける」

キーロヴィチはそう言い、透に名刺を渡すと、やっと背を向けた。アントンが訳している所へ、匠が来た。

「アントン、随分と熱烈なセリフを透ちゃんに言うね」

「ち、違う! これは今、キーロヴィチが透に言ったことを訳して伝えただけだ!」

「そうなんだ……。透ちゃん、男性からもモテるね」

透は微かに眉間に皺を寄せ、自室に戻って行った。昨日、来て早々倒れてしまった為、荷物を整理していない。お土産すらも渡せていない事を思い出したのだ。とはいえ、そんなに長く滞在するとは透も考えていなかった。


 昨日は部屋の中を見る余裕もなかったが、透が滞在する部屋は、暖炉とアールヌーボー調のテーブルと椅子とクローゼットと本棚と布張りのソファがある。部屋奥の扉は寝室につながっていて、物語の中の王様の部屋にある様な、天蓋付きのキングサイズのベッドがあるベッドルーム。随分広いゲストルームを貸してくれたのは、他のゲストルームがメンバーで埋まってしまっているせいだろうかと、透はぼんやり思った。さらに寝室の奥にある部屋には、シャワーと大きめの猫足バスタブとジェットバスまである。透一人が使うにしては広すぎる部屋だった。

 透は持って来た日本酒を護衛たちにお土産として渡した。アントンが同僚たちに、日本酒の美味しさを説いた。透はレイラの部屋の机の上に、リクエストされていたチョコレートを置いておいた。


 レイラは昼前には回復し、メンバーとキーロヴィチが帰国するのを跳ね橋まで見送った。匠と透は空港まで見送りに行った。アントンが用心の為、匠と透の近くにいて目を光らせていた為か、レイラに釘を刺されていた為か、キーロヴィチは手を振るだけの挨拶をして、ゲートの中へ消えていった。


 戻って来た匠と透は、レイラと一緒にクリスマスマーケットを見に行った。レイラは透に褒められてから、髪をなるべくアップにしている。伊達眼鏡をかけ、前髪が顔にかかるようにして、なるべく顔が見えないようにしていたせいと、日が落ちるのが早く、あたりが薄闇に包まれていたせいか、レイラは国民に気付かれずにマーケットを見て回ることが出来た。


 匠はホットチョコレート、レイラと透はホットワインを飲みながら、シュトレンや肉料理を食べ、お店を見て回った。匠は両親へのお土産にホットチョコレートを、透はワインを買った。


「透と匠と一緒に過ごせるクリスマスが来るなんて、夢みたい」

レイラはワインのせいか、ほんのり頬を染め嬉しそうにしている。匠にしても、育ててくれた親が実の両親ではないと聞かされてから、今こうして自分が生まれた国で実の親と一緒に楽しく過ごしている事など、春の時点では想像もしていなかった。

「俺だってお母さんと透ちゃんと一緒に、自分の生まれた国で過ごしているなんて、凄く不思議だよ」

透は二人の嬉しそうな様子を微笑んで見ているが何も言わない。匠は焦ったくなって透に言う。

「透ちゃんだって、昔の初恋が叶うなんて、きっと思っても見なかったんじゃない?」

透は微かに首を傾けた。頷いたのか、首を傾げたのか微妙なところだ。

「透、具合が悪かったのに、ホットワイン飲んで大丈夫だったの?」

「大丈夫だよ。一杯しか飲んでない。レイラの方こそ、回復したばかりでホットワインなんか飲んで大丈夫?」

「二人とも、ホットチョコレートにすれば良かったのに……」

すっかりホットチョコレート好きになった匠が口を挟む。

「ホットチョコは私には甘すぎる。回復するには栄養を取らなくてはね。ワインは体に良いし。透も一杯と言わず、もう少し飲めば」

レイラに勧められたが、透は大事な話をしようと考えていた為、ホットワインは一杯でやめておいた。


「そう言えば、レイラが髪に挿しているのは、お箸じゃないか?」

透がレイラの髪に刺してあるお箸をつついた。

「え、そうだけど何? 色が綺麗だし、しかも日本製だし、欧米の女性は、こうやってお箸を使う事もある」

レイラが自慢げに言う。

「なんか、お箸を頭に挿すのって、私としてはいただけないな。今度、簪でも買ってこようか?」

「じゃあ、お箸を取れば頂いてくれるの?」

レイラが透の耳元に、やたらと甘い声で囁いた。

「な……」

透が絶句しているのを見て、匠が興味津々で聞いた。

「何、何の話?」

「なんでもない……レイラ、そう言う話は匠の前ではしないように」

「なんだよ、俺だけ仲間はずれ?」

匠は少しだけ、疎外感を感じた。だが、よくよく考えれば、二人は恋人同士。三人が親子になったとしても、匠が間に入って行かれない事もあるのだろう、きっと……。

「レイラ、戻ったら話がある」

レイラと匠は、「返事」だと思った。

「良い話?」

「さぁ、どうかな。時間があったら、後で来て欲しい」

そう言って、透は期待で一杯の目をしたレイラから目を背けた。三日月の綺麗な夜だった。

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