第57話 真紅の天使
12月22日
キーロヴィチの前で、衣装を着て演奏する。サビを最初に持ってくるようにとキーロヴィチから注文があった為、結衣と波瑠で編曲もした。
キーロヴィチが動作をチェックし、何度か衣装の手直しが入った。合間にキーロヴィチがスタッフを連れて、抜けていなくなっているのは、どうやら、レイラを撮る為のようだと、匠は気づいた。
主塔の上での篝火に囲まれて歌うシーンと夜の森で歌うシーンと、森の中を彷徨うシーンを撮って、今日は終了。森の中を彷徨うシーンは陽が落ちる残光の中と星空の下で撮った。
慣れないカメラの前で緊張しつつの演奏と、明日が撮影はラストと言う事で、今日はメンバーは皆早く眠りについた。
12月23日
午前中に城の中で演奏するシーンを撮影する。まずは大広間と図書室を使っての撮影。
ドラムセットを移動したりしているうちに、最後の城の正面階段ホールでの撮影は午後になった。今日もキーロヴィチは合間にレイラを撮っている様で、お昼は撮影の合間に、メンバーだけで食べた。ふかしたじゃがいもに、バターやチーズを混ぜてその上にサーモンや野菜をトッピングしたものと、サラダが出た。それと喉に良さそうなハーブティー。どんなに美味しいものが出ても、メンバーは制服が着られなくなる事態を避ける為、おかわりをしなかった。匠は食べても食べても、お腹が空く年頃なので、メンバーの羨ましそうな視線を受け流して、モリモリ食べた。
午後は正面階段ホールの下に楽器をセットしての最後の撮影。レイラは撮影の為か、真紅のシルクタフタのマーメイドラインにトレーンを引くタイプのドレスを着て、階段の上から撮影を眺めていた。匠は階段の下から見上げ、レイラの美しさに見惚れた。
「匠、口開けてレイラさんに見惚れるのはいいけど、歌う時は、キリッとね」
紬が匠をからかった。匠は指摘されて、真っ赤になった。
メンバーと匠が髪型や制服を直し、これから撮影、と言うところに、透がスーツケースを引いて入って来た。階段の上にいたレイラが真っ先に透を見つけた。
「透!」
嬉しそうに呼ぶなり、レイラは二階の手摺から、ふわりと身を踊らせた。膝を折って、ドレスを押さえている。透はレイラが2階から飛び降りた事に気づき、受け止めようと走り寄った。二階とはいえ、天井の高い城なので、高さは優に三階分くらいある。
透が急に走り出したのを見て、匠とメンバーが振り返る。メンバーが息を呑んだ。匠は口を抑えて、悲鳴を飲み込んだ。スローモーションの様に、真紅のドレスのトレーンが鮮やかに宙を舞う。透は一瞬、レイラの背に真っ白な翼が開いたのを見た気がした。レイラは空中で姿勢を変え、ストンと透の腕に収まった。透は受け止めた瞬間、重さを感じなかった。
「……予定より、早く来てくれたんだね」
「天使が舞い降りてきたのかと思った。ハラハラするから、飛び降りるのはやめてほしいな……」
「受けとめてくれると思ってた」
透は小さい声で「羽が、」と言いかけてやめた。気のせいだと思ったからだ。天使という言葉に気を良くしたレイラは、満面の笑みを浮かべて透の首に腕を回し、おでこを透のおでこにくっつけた。
「小さい頃からよくやっているし、怪我した事ないから」
「その素敵なドレスの時は裾が、どこかに引っかかったりしたら、危ない」
メンバーと匠は、二人を見ていて良いものやら、その場を立ち去るべきなのか、困っている。キーロヴィチがハンディカメラを回している事に気がついた透は、すぐにレイラを降ろした。
レイラは残念そうに透から離れると、簡単に名前だけ紹介した。
透が握手しようと手を差し出すと、キーロヴィチがガッチリと透をハグした。アントンが思い出した様に、「あ!」と叫んだ。キーロヴィチはさらに、透の両頬にキスをし、最後に唇に熱烈にキスをした。アントンが一瞬、しまった、と言う顔をしたが遅かった。ロシア式の同性にする熱烈な挨拶だ。キーロヴィチが透を離すと、透はその場に蹲み込んでしまった。レイラがキーロヴィチを後ろに突き飛ばして、透の前に膝をついた。キーロヴィチはレイラに突き飛ばされ、よろけて尻餅をついた。
「透、大丈夫?!」
「大丈夫……。ちょっと、立ちくらみがしただけだから……」
レイラが透を助け起こすのを見て、唖然としていたメンバーを尻目に、結衣が慌てて、キーロヴィチに手を貸して、助けおこした。匠も慌てて透に駆け寄ってきた。
「撮影の邪魔をしてしまって、ごめん」
「大丈夫だよ。それより、具合悪いの?」
「大丈夫。ちょっと休ませてもらえれば……」
そう言った透の顔は真っ青だった。レイラがロシア語でキーロヴィチを問い詰めた。
「初対面の透に、なんで親しい人同士の挨拶を?」
「気に入ったからです」
悪いかと言わんばかりの答えに、レイラは動揺してしまった。
「彼は私の婚約者だから。透にそういう挨拶をしないで!」
「それは失礼した。具合が悪い様ですが、運ぶのを手伝いましょうか?」
「結構。アントン、手を貸して。あぁ、アントンが抜けると通訳がいなくなってしまうから、マルコヴィッチ、手を貸して」
アントンが抜けなくても、匠が心配のあまり、透について行ってしまった為、暫く撮影が止まってしまった。
「匠、大丈夫だから、撮影に戻った方がいい。今日は撮影の最終日でしょ? M Vの出来も、メンバーとの撮影も後悔しない様にね」
透をベッドに横たえ、侍医を呼んでいる間に、レイラは匠に言い聞かせた。
「前にも同じ様な事があったよ。あれは、お母さんを空港まで送った日だった」
匠はそう告げると、走って正面階段ホールまで戻って行った。レイラは記憶を辿ってみたが、空港で別れるまでは、どこも悪くなさそうに見えた。ただ、嫌な予感がして電話をした時、すぐに出なかったのを思い出したが、移動中であったのかもしれないと思い直した。その後の電話でも、相変わらず素っ気なかったが、具合が悪そうではなかった。偶然なのかもしれない。それとも、どこか悪いのだろうか。死臭はしない。レイラは昔からそう言う勘が良かったからわかる。
透は大きな体をできる限り小さくしたいかの様に縮こまって、誰からも見られないように毛布を頭からかぶっている。レイラはなんとかしてあげたくて、様子を見ようとそっと毛布をめくって肩に触れようとしたが、手を振り払われてしまった。
「……ごめん、しばらくそっとしておいて欲しい。……そのうち治るから」
侍医が来たが、透は診察を拒んだ。レイラは透を置いて行くのも心配だが、かと言って触れているわけにもいかず、少し離れて椅子に座って様子を見守ろうとした。だが、透に一人にして欲しいと言われ、気持ちを残したまま、止む無く部屋の外にでた。侍医には、離れた場所で見守っていて欲しいと頼んでおいた。
匠が撮影現場に戻ると、メンバーが集まって来た。
「理事長、大丈夫?」
「どうしたのかな? 具合悪いのかな?」
匠にもわからないが、安心して撮影を続ける為に嘘をつくしかない。
「立ちくらみらしいよ。きっと、こっちに少しでも早く来る為に、頑張りすぎて、無理して寝不足になったのかもしれないね。1日早く来られたくらいだから」
メンバーは先程の光景を思い出した。
「そうだよね、早くレイラさんに逢いたかったんだね……」
「早く良くなるといいね」
「夕食は一緒に取れるのかな?」
「みんなでクリスマスマーケットに行かれるかな?」
匠は答えようが無いので、楽観的な希望を口にした。
「まだ昼間だし、夕方には良くなるんじゃないかな」
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