第52話 証明

「匠に、証明してほしい事がある。透が来てからだと、反対されるかもしれないから、できれば透が来る前に」

「何をすれば良いの?」

「後継者として相応しいかどうかを確かめたい。匠の覚悟が決まったら、言って欲しい」

「いつでも良いけど……覚悟って……」

「ちょっと危険が伴うかもしれない」

匠は生唾を飲み込んだ。怖がっていると思われたくなかった為、声が上擦らないように気をつける。

「嫌なことは早く終わらせた方が良いから、今日でも良いよ。何をすれば良いの?」

「一晩、森の中で過ごして無事だったら、相応しいと認められる。森の中の危険な動物としては熊や、狼、オオヤマネコ、猪達がいる」

「えっ!? 武器か何か渡されるの?」

「武器はなし。昔は一人で森に行かされたが、昔は一人で森に行かされたが、匠の時は一人でと言うわけではなく、護衛が離れたところで、見ていてくれる様にする。ただ、完全に安全というわけではない。護衛が助けるより、獣が襲う方が早ければ、怪我をするだろう。一晩、運良くというか、運悪くというか動物に出会わないかも知れない」

「それじゃあ、MVを撮り終わったらにする。撮る前に怪我をしたくないし」

「わかった。匠は嫌だとは言わないんだね。良かった」

「だって、レイラもやったんでしょ?」

「私の時は、一人で森に行かされた。まぁ、大丈夫だろう、という事でだったけど。熊に遭遇してしまったが、その熊が朝までずっと守ってくれた」


 まるで文明化されていない部族の成人の儀式のようだと、匠は思った。透がいたら、絶対に止めるだろう。でも、匠はサファノバの、レイラの血を引いているからには、避けて通ることは許されない。ここで暮らすとなれば、後継者として相応しいと認めてもらわなくてはならない。

「大丈夫かどうか、今日、少しだけ一緒に行って様子を見てみる?」

「レイラが一緒なら、そんなに危険はないんだよね?」

匠はレイラが一緒であれば、護衛がしっかりついているだろうから、危なくないのだと思ったが、それは大きな間違いだった。


「行く前に見て欲しいものがある。匠は確か、目が悪いんだよね?」

部屋の中にある立派な女性の肖像画の下でレイラが手招きした。

「この人が、匠の祖母であり、私の母のアデリーナ女王」

匠が見上げると、実物代よりも大きな肖像画が掛かっている。

「俺のばあちゃん……。あ、おばあさま」

レイラとそれほど似てはいないが、また別のタイプの綺麗な人だった。不意に、レイラが匠の横の壁にドンと手を付いた。

「れ、レイラ、どうしたの?」

レイラの端正な顔が至近距離にある。匠は心臓の音が、部屋中に響き渡っているような気がしてしまった。レイラが耳元で囁いた。

「こう言う風にすると、女の子はドキドキするはず」

「お、女の子じゃなくても、驚くと思うけど……」

レイラは高校の時に、透に「壁ドン」をやってもらいたかったのだった。

「結衣にやってみたら?」


 レイラは匠と一緒に城の外へ出た。護衛達はついて来ない。匠が首を傾げていると、レイラがやめるかと聞いてきた。匠は勇敢なレイラから弱虫だと思われたくなくて、首を横に振った。さっきの壁ドンで、匠はただでさえドキドキが止まらないのに、真っ暗な森に護衛なしで入るとなると、いくらレイラが一緒であっても、今度は怖さがプラスしてドキドキが倍増した。


 レイラは最初から森に入るつもりだったようで、スーツではなく動き回れる格好をしていた。森の奥までは行かず、しかし、城の明かりが届かない、月明かりだけが頼りの森の中に、レイラは匠の手を引いて立った。レイラがいなかったら、相当心細いに違いないと、匠は思った。目を瞑って、その場で一回転させられたら、もう来た方角がわからないだろうと。


「レイラ?」

「静かに」

どのくらい時間が経ったのか、分からなくなった頃、匠は光る目がこちらを見ている事に気がついた。ゆっくり近づいてくる。

「動かないで、じっとしていて」

レイラに言われ、匠は後退りしたいのを我慢して、その場に立ち尽くした。否、怖くて動けなかった。月明かりに姿を現したのは、角まで真っ白なヘラジカだった。アルビノだ。レイラが匠から離れ、さっと木の上に身を潜めた。ヘラジカはレイラを探すように、キョロキョロしている。ヘラジカの肩の高さまででも優に2メートルはある。匠はヘラジカのあまりの大きさに、草食動物だとわかっていても、怖くなった。あの前足で叩きのめされたら、ひとたまりも無いに違いない。


「匠、怖がらないで。気持ちで引き寄せるの」

レイラのアドバイスが聞こえた。匠は近づいてくるヘラジカを前に、怖くない、怖くないと必死で言い聞かせた。自分と同じアルビノじゃないか、仲間じゃないかと言い聞かせた。美しい母親を前に、怖気付いて逃げるのは絶対に嫌だった。匠の気持ちにお構いなしで、どんどん近づいて来たヘラジカが、目の前で角を振り上げた。レイラが、あっと声をあげたのが聞こえた。


 レイラは少し離れた木の上に上がってしまった事を悔やんだ。匠に何かあったら、後継者がいなくなる上、透に合わせる顔がない。匠とはまだ大して話もしていない。

 匠はとっさに手で頭を庇い、目を閉じた。時間の流れがやけに遅く感じた。いつまで経っても、ヘラジカの角が匠に当たることはなかった。


 匠が目をそっと開けると、ヘラジカが膝を折って目の前に座っていた。

「匠、近づいてみて」

匠が恐る恐る近づくと、ヘラジカが匠の方をじろっと見た。思わず引き下がりそうになるのを我慢して、近づく。匠がゆっくりと手を差し出すと、顔を寄せてきた。匠が触っても嫌がらない。ヘラジカに触れると、不思議な感覚が湧き上がった。お互いのエネルギーが行き来するような、不思議な感覚だ。レイラが音もなく、近寄ってきた。ヘラジカはすぐに立ち上がり、レイラの体に首を回した。匠よりもレイラの方が良いらしい。


「匠は後継者として相応しいようだね。この時期のヘラジカは発情期で、オスは縄張りを犯す何に対しても攻撃的になるの。でも、匠は攻撃されなかった」

「でも、レイラにするみたいに擦り寄ってもこなかったし、レイラが近くにいたからじゃない?」

「私が近くにいても、ヘラジカ達は透を近づけなかった。擦り寄ってこなかったのは、匠が男の子だからかも。でもリラックスして、近くに座ったでしょう? 我が一族は、野生の動物が認めたものを後継者とする。人間の目よりも確かなものらしいから。これで、MVを撮り終わったら、匠は森デビューできそうだね」


 匠はハッとした。コンタクトが入っていても、遠くのものは見えないはずなのに、はっきりと木の枝にフクロウが止まっているのを見つけたのだ。

「レイラ、目がよく見えるようになったみたい……」

「匠は本当にサファノバの子ね。この森と動物達からエネルギーをもらっているんじゃないかな。人や生き物は無意識下で木の根っこのように繋がっている。ただ、それに気づいて、その根っこにアクセスできる人は少ない。我が一族はその数少ない人間。気づいてアクセス出来れば、そこからエレルギーをもらう事がある。すべての病気や怪我が治るわけではないけれど。今まで、気がつかなかったのかもしれないけれど、匠は生まれ故郷のこの地で、その根っこにアクセスできるようになったんだと思う。ここにいる間はコンタクトレンズも眼鏡も不要かもしれないね。遠い日本では、どうなるかわからないけれど、上手く繋がれれば、眼鏡も不要かもしれない」

「凄い! 日傘も入らなくなるかな?」

「それは、私にはわからないな……。匠の森デビューの時には、きっとこの子がついていてくれるだろう。私は今まで、この森で白いヘラジカを見たことがない。気が付かなかっただけかもしれないけれど。今回は遭遇しただけだから、大丈夫だけど、力を使って働きかけると、こちらも消耗する事は忘れないで」


 匠はつい最近までサファノバという国名すら知らず、自分の出生についても知らなかった。到着した時も観光気分だったが、ここが自分と関わりのある所だと、じわじわと感じ始めた。自分が唯一の後継者であるという事も、実感し始めた。ここにいる事が正解だと、全身が匠に訴えている。

「匠、結衣が近くにいる。私は後から帰るから、一緒に城へ戻ったら?」

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