第48話 刺される

 微かに、部屋の奥の扉が開いた音がした。透は、今度こそ大急ぎでレイラを膝から下ろし、ソファに横たわらせた。レイラの家臣に見られれば、レイラの威信に関わるのではないかと思ったのだ。ついでにレイラのブラウスのボウタイも結び直した。

 透は、目の端に鋭く光るものを捉えた。その瞬間、眠っていたかに見えたレイラが、透をソファに押し倒し、上に覆い被さった。その勢いで、振り下ろされたナイフが滑り、レイラの背中に刺さることは免れた。ただし、レイラが着ていたジャケットの背中が裂けた。ソファの前に立ちはだかっていたのは、昨夜、透を部屋へ案内しようとしてくれた女性だった。

「外したか……女王が庇うとは、やはりこっちが本物か。女王に当たってしまったが、まぁこの際どちらでもいい」

 家令の女性が、レイラに向けてナイフを振りかざした。透は咄嗟に、レイラと位置を入れ替わって起き上がり、かろうじて、クッションでナイフを受け止めた。ナイフの刺さったクッションを、そのまま横に投げる。続け様に、紅茶の入ったポットを、家令に向かって叩きつけた。家令が避け、体勢を崩した隙に、鳩尾に拳を叩き込んだ。家令が腹を押さえて蹲る寸前に、顎の下に一撃を喰らわせた。透が容赦しなかった為、家令の顎の骨が砕ける音がした。家令はその場に、崩れ落ちた。


 透がソファを振り返ると、レイラの背中は血塗れだった。レイラは透が声をかけても、そっと揺すってもピクリとも動かない。

「レイラ? レイラ?!」

透は傷の深さを見ようと、レイラをうつ伏せにしたまま、ジャケットを脱がせ、ブラウスを捲り上げた。アントンが、ポットの割れる音と、透の切羽詰まった声に驚いて、駆け込んで来た。

「透、どうしたのだ?!」

「アントン……レイラが私を庇って刺された……」

「刺客は?!」

「そこに倒れている。昨夜、迎えに出て来た女性だ」

「透がついていながら……なんて事だ……」

「すまない……」

アントンは、透を責めても仕方がないと思ったのか、溜息をついた。

「レイラ様は自分が傷つくよりも、透が傷つく事の方を恐れているのだから、仕方がない……」

アントンは近くの護衛に声をかけ、刺客を確保させた。ブラウスを捲り上げた透が首を捻っている。

「どうした?! レイラ様の傷はどうだ?」

アントンは見てはいけないと思ったようで、横を向いている。

「ブラウスの下に2枚もベストを着ているんだが、下のベストには血がついていない……」


 ブラウスの下に2枚もベストを着ている事も不思議だったが、上のベストは血塗れにも関わらず、下に着ているベストには血がついていない。よく見ると、血の色がおかしい。それを聞いて、アントンがニヤリとした。

「流石レイラ様! こんな事もあるだろうと見越して、防刃ベストの上に血糊を仕込んだベストを着込んでいたのだな」

透は力が抜けた。

「少し太ったのかと思ったら、ベストを二枚も着ていたせいだったのか……」

「おい、透、失礼だぞ。レイラ様が聞いたら、怒るぞ。もう、向いてもいいか?」

透は着ていた自分のジャケットをレイラにかけた。

「透、レイラ様を抱えてお部屋まで運べるか? 体育祭の時よりも距離は長いぞ?」


 アントンは侍医に連絡をしながら歩き出した。透はレイラを抱きあげて後を追った。

「なんで防刃ベストなんて着込んでいたんだ?」

「レイラ様は、最近、情報が近いところから漏れている事に気づいたのだ。あの家令の女性は、まだ働き始めて間もない。他にも新しい家令は二人いた。他の家令たちは、長年働いて来た者ばかりだから、その三人の誰かだと目星をつけていたのだ」


 だから、レイラは部屋を案内した時に、全ての扉と、引き出しまで開けてみたのか、とやっと、透は気がついた。ミハイルがアントンのところに来て、何かを告げた。

「やっぱり、アレクセイの元部下たちにレイラ様が、「透」に執心だと教えたのは彼女だったらしい。きっと、大国の大統領にも、日本から「彼」が来たと情報を流したのも、彼女だ。ただ、もう、レイラ様の弱みを必要とする国も、人もいなくなった。どれも失敗して、お金が入ってこなかった様だから、逆恨みしたのだろう。レイラ様の前で透をあわよくば殺し、たとえ殺せなくても、傷つけようと思っていたのだろう。本人が怪我をするよりも何よりも、それが一番レイラ様には応えるからな」

「そんな……」

「大村は『彼』ではなかった事が分かったから、透が来てからの、レイラ様の様子を観察し、今度こそ間違いないと、思ったのだろうな。レイラ様は、彼女が動くなら、透との関係を確かめた後だと考えていたのだろう。だから、レイラ様は、この部屋に健斗と彼女を誘い込んだのだ。レイラ様は狙われるなら、自分だと思っていたのだろう。でも、狙われたのは透だったのだ。透、無事で良かったな」

「レイラが、庇ってくれていなければ、怪我をしていたよ……それに、ベストを着ていて無事なのに、何故、目を覚まさないんだ? レイラなら、ナイフを躱せば、即反撃出来ただろうに、何故、刺されてしまったんだ?」


「レイラ様は昨日、ヘラジカたちと交流したと言っていた」

「それが何か関係あるのか?」

「レイラ様と動物たちは触れることでエネルギーの交換をすると思われる。だから動物たちはレイラ様の所に集まってくる。ただ、奪われるエネルギーの方が多い時があるようで、そう言う時は数時間後に意識を失ってしまうのだ。だから、昨日、ヘラジカと交流したと言われた。行きに森を抜けるときに、ヘラジカに守らせていたのかもしれない。だから、帰りにヘラジカたちにお返しをしたのかもしれない。多分、翌日あたりに倒れるのを予想していたのだろう。だから、二枚ベストを着込んで、気力だけで、なんとか保っていたのだろう。透の危険を察知して、頑張って目を覚ましたのだろう……なんて健気なのだ……」

「なんて無茶をするんだ……ちゃんと目を覚ますのだろうか?」

「大丈夫だ。だが、意識のない間に、帰国しないでくれ、頼む。そんな事をされたら、泣いてしまわれるかもしれない」

「今日の便で帰国するつもりだったんだが、レイラがこんな様子では、心配で帰れないな」

「目を覚ますまで、ついていて差し上げて欲しい。我々はレイラ様が、透といる時は邪魔をしない」

「どう言う事だ?」

「レイラ様は暗殺される可能性があった為、いつも護衛がついている。だが、透と二人の時、我々は、部屋の中に入らないだろ? 健斗が来た時は、必ず部屋の中に我々がいて見張っていた。健斗の場合は暗殺の心配ではなくて、健斗がレイラ様に手を出す心配があったからだ」

「じゃあ、私が手を出す心配はないと思っているのか?」

先ほど危うく、そうなりかかった事は棚に上げて、透は聞いてみた。

「透は、レイラ様が選んだ相手だ。だから、我々は、二人でいる時は邪魔をしない。後継者として匠君もいるが、万が一を考えて、一刻も早く、二人の間にお世継ぎ誕生となって欲しいのだ。結婚式と、ご懐妊の順番が違っても、誰も文句は言わないだろう。レイラ様に言われていなければ、大村が部屋に入っていくのを止めていたのだが……。止められず、悪かったな……」

アントンが赤くなっている。透はどこまで何を見られているのだろうと、恥ずかしくなり、赤くなった。もしかしたら、城中にカメラが設置されているのでは無いかとさえ思った。

「もしかして、城中に監視カメラがあったりするのか?」

「無い。透、見ていたわけじゃ無いからな。大村が言った言葉が聞こえたから……」


 透はレイラの積極的さの一因が、世継ぎを産めという相当なプレッシャーがかかっている為なのだと、理解した。アントンは、透の様子を見て、慌てて言い添えた。

「透との結婚を反対する家臣もいる。先に、結婚、といえば反対されて終わってしまうかもしれない可能性もある。だからこそ、レイラ様は、後継者が出来てしまえば、彼らだって反対出来ないと考えている」

「その後継者に関するプレッシャーが、レイラを苦しめているのでは無いかな……。それに、私は後継者を誕生させるための道具ではないし、そんなつもりなら……」

「透を道具だなんて、レイラ様は思っていない。レイラ様がここまで、立ち直られたのは、透の存在があったからだ。去年のレイラ様は見ていられなかった……。表情が一切なくなってしまわれて、やらなければならない事を、なんとか気力だけでこなしている感じだった。後継者の事だって、今までの王配ならともかく、透となら……」

一瞬、透が傷ついたような表情に見えた為、アントンは慌てて言葉を飲み込んだ。透が知っているとはいえ、レイラの過去を強調する事は、あまり良くないかもしれないと、アントンは思った。いくらモテるとはいえ、透は未婚だ。以前の夫と比べられるのは嫌に違いない。しかも、二人の夫との間に子供もいる。一人は匠で、一人は去年亡くなった。


「カテリーナ の件があってから、我々護衛は透を高く評価している。私は、元から透を知っていたから、高く評価しているのだが、他の護衛たちは、あまりよく思っていなかったのだ。でも今回、透がレイラ様を救い出してくれたし、救い出す時に我々のことも考えてくれたから、今や評価が変わった」


 透は気付いていなかったが、アントンは高校の時も常にレイラのそばに影の如く控えていた為、透をよく見ていた。レイラが透、透と後を追いかけ回していた為、余計に目を光らせていた。透は男であるアントンから見ても、人目を引く美形だったし、カリスマ性もあった。本人は裏方に徹しようとしているようだったが、あまり成功していなかった。目立つレイラが、しょっちゅう付き纏っていたせいもあるかもしれないが、それを差し引いても目立つ存在だった。


 そして、跡継ぎが亡くなってから、生きる屍の様になってしまったレイラを立ち直らせることが出来るのは、透だけだと知っていた上、透の性格を良く分かっていたからこそ、日本行きを推し進めた。だから、護衛たちの透への見方が変わった事はアントンにとって、嬉しい事だった。


「レイラが高校生の私を攫った時に、アントン達はレイラが何をしようとしていたか知っていたのか?」

アントンは気不味そうな顔をしたが、頷いた。

「なんで、レイラの母親の考えに背くような事をしたんだ?」

「レイラ様は私と数人の護衛に、泣いて頼まれた。責任は自分が取るから、と。あまりにも可愛そうで見ていられなかったから、手をお貸ししたのだ。我らも若かったのだ」


 やっと駆けつけた侍医はレイラを診察すると、にっこり笑った。

「いつものことだから、心配無用です」

透はほっとした。レイラは、「透に何かあったら」というが、透の方こそ、「レイラに何かあったら」、どうしたら良いのかわからなかった。

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