第24話 ブロックコンクール

 10月10日大宮ソニックシティ。

 Nコンの関東甲信越のブロックコンクールの日が来た。アントンから透に連絡が入り、レイラが見に来ると言う。今回は、普通に飛行機を乗り継いでくる様だった為、透はレイラ一行を羽田まで迎えに行った。アントンともう一人護衛がついてくると聞いていた為、ワゴンで迎えに行く。


 合唱部であれば、匠には大勢の仲間がいる為、透は付いていなくても大丈夫だとわかっている。家族にはレイラが来る事を事前に知らせたが、匠に知らせると緊張してしまうといけないと思い、知らせなかった。しかし、レイラが来ると知らせると、和人以外はあまり良い顔をしなかった。だがそうは言っても、匠の事がある為、透はレイラと家族の顔合わせをしなければと考えた。


 透が空港で一行を出迎えると、レイラはシックなブルーグレーのスーツ姿で、透の知っているレイラとは別人かと思うほど、優雅さを漂わせていた。透は、自分といる時のレイラと高校時代のレイしか見た事がなかった為、気品を漂わせたレイラに一瞬、声をかける事を躊躇った。そもそもレイラは、公式に呼ばれて来日していれば国賓扱いされる人物だ。そうでなくても、レイラが通り過ぎると、殆どの人が振り向く。海外の女優だと思うらしい。透がエスコートするために腕を差し出すと、レイラはそっと腕をかけてきた。透はいつもと雰囲気の違うレイラに、戸惑いつつ、やはりドキドキしてしまった。


 ソニックシティに着くと、透は家族を呼んだ。始まり迄あまり時間もない為、イベント広場で簡単に紹介をする。さすがにレイラ本人を前にして、洋子も菊も嫌な顔はせず、普通に挨拶をした為、透はほっとした。三人ともレイラの華やかさと立ち居振る舞いの優雅さに、圧倒されてしまった様だった。女王であるレイラに会うと聞いた為、菊は着物、洋子はワンピースのアンサンブルを着て来た。和人も、透も、アントンとマルコヴィッチも、もちろんスーツだ。透が護衛も含めて全員を紹介し終わると、菊がレイラの顔を見据えて聞いた。

「レイラさん、今日はこの後、どうなさるの?」

「1泊くらいは、」

と言った瞬間に、菊の顔が引きつった。

「と思ったのですが、今日はそのまま帰国します」

洋子が絶句した。

(海外日帰り、しかもヨーロッパから……。それはあまりにもキツイのでは)

洋子はレイラに対して良い印象は持っていないが、つい、

「よろしければ、うちに」

と言ってしまっていた。レイラはパッと顔を輝かせた。

「いいのですか?!」

菊は、慌てて洋子を振り返ったが、もう遅い。嫌っている人物とはいえ、あんなに嬉しそうな笑顔を見てしまった後で、取り消すのは至難の業だ。

「泊めて頂けるなら屋根裏でも、物置でもいいです」

嬉しそうに言うレイラに、菊が慌てて言い繕った。

「ゲストルームが二部屋ありますから、そちらへ」

透がこっそり、洋子に耳打ちした。

「姉さん、よりによって、うちへなんて……。レイラは普段はお城に住んでいるんだよ?」

「そうなの?! そうだよね……。どうしよう……」

「もう、決まってしまったものは仕方ないけど……」

築地家は日本の住宅としては、お屋敷の部類には入るが、お城とは比べようがない。レイラには丸聞こえだったらしく、

「私の城はイギリスやヨーロッパのお城に比べれば、とても小さいんですよ。日本の住宅事情はわかっています。匠の家に泊めてもらえるだけで十分です。よろしければ、冬休みには皆さんで、遊びに来てください」


 いつもは気さくな和人は先ほどから、緊張していて何も話さない。透はレイラが高校の時から外交上手だった事を思い出し、安心して任せる事にした。先生たちには卒なく立ち回り、生徒からの人気も絶大だったのだ。

「後で、匠の小さかった頃の話を聞かせて下さい」

結局、透たち家族と、レイラ一行は並んで座る事となった。


 レイラは合唱を聞いたことが無かった。だから、どういうものかもあまりよくわかっていなかった事と、将来、後継者になるかもしれない匠の役に立つ事なのだろうかと、正直あまり興味がなかった。だが、匠から、透は欠かす事なく、育ての親と一緒に聞きに来てくれると聞き、行かれないとは言い出せなかった。アントンが合唱は素晴らしかったと絶賛していたせいもあるが、やっと再開したばかりの匠に強く頼まれたせいもある。そして、レイラにとって、それを口実として、堂々と透に逢う事が出来る。なんとかスケジュールの調整をして来たのだった。


 いつも家族がどこに座っているか探してしまう匠は、透たち家族の横にレイラとアントンが座っているのを見つけ、驚いた。慌てて控室に透を呼ぶ。控室の中に部外者が入ると注目されてしまう為、近くのトイレの中で待ち合わせる。合唱は女子が多い為、男子トイレは比較的空いている。

「透ちゃん、どう言うこと? なんでレイラが来てるの? なんでみんな一緒にいるの?」

「急に来る事になってね。匠の事があるから、家族に紹介だけはしたよ」

先ほどの会話の内容を話して聞かせた。

「だって、ばあちゃんも母さんも、レイラにいい印象持っていなかったよね? 大丈夫かな。うちに泊まるなんて……」

「レイラは社交的だから、大丈夫だよ。きっと、姉さんたちとうまく話せる。さぁ、これで安心したろ? みんなで聞いているから、しっかり歌っておいで」


 静実学園の名前が呼ばれると、三十五人は整然と舞台に上がる。流石に三度目ともなると、生徒たちも程よい緊張を保っている。レイラは匠を見つけて、ハンカチを握り締めている。緊張している様だ。透は伸ばしかけた手を戻した。どこで誰が見ているかわからない。レイラは有名では無いとはいえ、女王で一般人では無いなのだ。ただでさえ目立つレイラに、スキャンダルで傷をつけてはいけない。透はそう思い、公の場では距離を保つ事にした。

 見ると、洋子の手の上に和人は手を重ねている。洋子もまた緊張しているのだ。透は立場の違う姉夫婦を、羨ましく思った。軽音の時と違い、舞台には三十四人の仲間と、木野田も指揮者としている。それだけで心強く感じる。


 課題曲が始まる。前回の講評を踏まえ、練習した甲斐があって、声がより遠くまで飛んでいる。言葉も前回より、よりはっきりと静音部まで聞こえる。声がホールの壁を伝って、天井に昇っていく。

 続いて自由曲。音の波が追いかけ、重なり被さり、先ほど昇って行った歌声が天井から光の如く降り注ぐ。曲の世界観に聴衆たちは引き込まれていく。数分の異世界旅行へ連れて行かれる。

 終わった瞬間の静寂とその後の割れる様な拍手。レイラが透を見る。その瞳は感動で潤んでいた。匠の声自体は聞こえなかったが、ハーモニーを構成する一部となり、どの声が大きすぎても、外れても美しい合唱は成り立たない。自分を抑えながら活かす、すごい事だと素直に感動したのだ。何よりも、合唱そのものが、レイラの心に沁み入った。レイラは歌でこんなに感動した事などなかった。今まで心が歌をじっくり聴く余裕など持てなかった。アントンとマルコヴィッチもハンカチで目元を拭っている。マルコヴィッチが立ち上がって「ブラボー!」と叫びそうになるのを、アントンが口を塞いで、押し留めた。

「来て良かった。素晴らしい……」

目の縁を涙で濡らしながら、レイラが呟いた。洋子がそれを見て、

「そうでしょう! そう思うよね! あ、ごめんなさい、そう思いますよね。」

嬉しそうにレイラに手を差し出した。自分の育てて来た自慢の息子を褒められて、嫌な気がする親はいない。その上、レイラが子供たちの歌声に感動している様子を見た洋子は、レイラを素直で真っ直ぐな人なのではないかと感じ始めた。だからこそ、弟も惹かれたのではないかと。よく考えてみれば、自慢の弟が変な女性に引っ掛かるはずがない。

「気にしないで下さい。洋子さんと和人さんは匠の育ての親ですから。私にとっては恩人です。合唱、初めて聞きましたが、感動しました」

レイラは洋子の手を握り返した。温かい手だった。


 洋子夫婦と菊はゲストルームを片付ける為、一足先に帰って行った。透とレイラたちは、結果まで聞いた。静実学園は残念ながら、銀賞で全国コンクールには進めなかったが、木野田の復帰の1年目で、ここまで来ることが出来たのだから、来年は全国コンクールを目指せるかもしれない。生徒たちはまとまって一緒に学校まで帰る為、帰宅が一番後になる。

 匠は全国コンクールに進めなかったのは残念だったが、この後、家で待っているレイラの事を考えると、気持ちが弾んでいた。美里が不思議そうに声をかけて来た。

「匠、トイレに行った後から、なんか嬉しそうだね」

「銀賞は残念だったけれど、また来年があるし……。今日はうちにお客さんが来ていて会うのが楽しみなんだ」

そう言ってから匠は、来年、自分はここにはいないかもしれない事に、ふと気づいた。思わず、空を見上げる。大宮の空も東京と同じく星が少なかった。サファノバの空はどうだろう。

「美里、来年は全国コンクールに進出してね」

「匠、何言ってるの? 匠も一緒に行くに決まってるじゃない。銀賞だったのは匠のせいじゃないからね。来年も一緒にがんばろうよ」

「そうだね」

「よっ、お疲れ!」

駅に向かう道すがら、大介が声をかけて来た。

「大介君、遠いのに来てくれたんだ」

美里は名前を覚えた様だ。

「銀賞で残念だったな。でも、合唱、すごく良かったよ。この間よりさらに進化したと思う」

「有難う!」

匠と美里の声がハモる。

「さすが合唱部」

サファノバへ行ってしまったら、自分が友人たちとふざけあう事などあるのだろうか。レイラが静実学園での学校生活を懐かしんだ気持ちが、匠にも少しわかった気がした。

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