第7話 不審者

「透ちゃん、不審者が病室に入ってきたんだって?」

 匠が重そうなリュックを床に置いて、椅子を透の横にずるずると引きずってきて座った。見るとメガネを外し、スカートを履いている。匠が高校でバンドをする際の格好である。透が何か言おうとした途端に、ノックに続いて、

「失礼しまーす!」

と元気な声と共にOne smile for all のバンドメンバーが入ってきた。

「理事長、不審者に襲われたんですか?」

「聞き違いですよ」

「透ちゃん、ごめんね急に、みんながお見舞いに行きたいって言うから……」

「関東でベスト3に入るケーキ屋さんの、焼き菓子を持ってきました。これ、みんなからです。後で食べてくださいね」

ギターの結衣が代表して言う。メンバーはベッドの足元の方に椅子を並べて行儀良く座っている。

「ここのお菓子は美味しいって評判だと聞いていますよ。買うのは大変だったでしょう。有難う」

「実は1時間並びました」

ベースの楓が胸を張って答える。

「私のお見舞い如きにそんな時間をかけてくれなくても……。もし、次回があったらですが、その時間は練習時間に当ててくださいね」

「理事長に喜んでもらえるなら、そうします。少しやつれている感じが、なんか大人の魅力って感じがしますね」

キーボードの波瑠の言葉に、透が困った顔をした。

「そんなに、やつれてますか?」

ドラムの紬が慌てて謝る。

「波瑠、何を言ってんの……。理事長は手術したばかりなんだから、多少はやつれていて当たり前でしょ。すみません、波瑠は理事長のファンなので……」

匠は波瑠の言葉で初めて、透の微妙な変化に気がついたのか、透をじっと見ている。その視線に気がついた透は、匠の視線から逃れるように、メンバーの方を向いた。楓が口を開いた。

「不審者といえば、今日、不審な外国人が門の周りをうろうろしていましたよ」

「校長に言って、警察に学校周辺をパトロールしてもらうよう、頼んでおきましょう」

結衣が決心したように、透を見る。

「理事長、コンテストに向けてまずは、校内選抜、絶対に通ります。私たち、見に来て頂いたライブの時よりも進化したと思います」

「それは良かった。くみも出場する気満々だから、構内選抜を通って、頑張ってコンテストで賞を取って来てください。期待していますよ」

「有難うございます。頑張ります。理事長、コンテストも見に来て下さい」

「もちろん行きますよ。楽しみにしています」

紬が声をかける。

「よし、長居すると悪いから、みんな帰るよ。理事長、早く退院して、またライブも見に来て下さい」

4人は匠の肩を軽く叩いて、病室を出て行った。結衣はこれが言いたくて、お見舞いに来たかったのか、と匠は嬉しく思った。メンバーが帰ると、病室は急に静かになった。

「透ちゃん、なんかあった? なんか、ここ数日で雰囲気が変わったみたい。不審者、本当に入って来たの?」

「初めて救急車に乗って、その上手術したからじゃないかな。それより、匠がスカートでお見舞いに来るとは、思っても見なかったな」

そう言って笑って見せたものの、見れば見るほど、女装した匠にはレイラの面影がある事に気がついてしまう。それと同時に見たことの無いアレクセイは、どういう容貌だったのだろうと、透は想像する事を止められない。透は無意識に匠の方へ手を伸ばしかけてハッと気づき、慌ててお菓子の箱を手に取った。

「今、食べる?」

「姉さんたちに持って行ってあげて」

「一つくらい食べないと、せっかくメンバーが並んで買って来てくれたんだから。どれか選んでよ」

匠が棚から紙皿を出して、手渡そうとした。受け取ろうとして透は紙皿を落としてしまった。匠の指は細く長いレイラの指にそっくりだった。

「……ごめん」

自分の指を見つめている透を不審に思った匠が言った。

「紙皿まだあるから、いいよ。透ちゃん、何か様子が変だよ」

「人生初の手術だし、傷口が開いて教え子に怒られるし、その傷も時々痛むからじゃないかな」

「そうなのかな……」

透はひとつ焼き菓子を選び、匠にラップをかけてもらった。

「病院内は乾燥していて喉に悪いから、早く帰った方が良いんじゃないか?」


 毎日お見舞いに来ていた匠だが、そんな事を言われたのは今日が初めてだった。しかも、常に真っ直ぐ顔を上げている透が、今は俯き加減だ。

(あまり目を合わせようとしない? 疲れているのかな。不審者が入って来たというのは本当なのかな。不審者に何か脅されたりしたとか?)

 しかし、今の様子からすれば透は、匠がその原因を聞いても答えないだろう。

「わかった、帰るよ。お大事にね」

「もう後数日で退院するし、匠も忙しいんだから、お見舞いに来なくていいよ」

それには答えず、匠は手を振って病室を出た。ドアを閉めた途端、透の切なそうな溜息が聞こえた。

(何かおかしい)

 匠は、透のそんな溜息を聞いたことがなかった。そういう素振りは微塵も見せなかったが、メンバーを連れて来たことがいけなかったのだろうか、と思った。見舞いに来て欲しくなさそうだった透に遠慮して、匠は透が退院するまで、お見舞いに行かなかった。


 数日後、透は無事退院し、翌日には仕事にも復帰した。

 その日、心配した匠が職員用の昇降口で透が出てくるのを待っていた。透が匠を見つけ驚いていると、

「学校の周りに不審者が出るっていうから、ちょっと心配で」

と上目遣いに見上げて来た。眼鏡越しに見えた目が、透を少し辛くさせる。匠にお見舞いに来なくていいと、透が言ってしまったせいで、余計な気遣いをさせてしまったのだろう。

「私の心配をするなんて、匠も成長したな」

「茶化さないでよ。俺だって、不審者くらい撃退出来るよ。今の透ちゃんじゃ、猫パンチくらいの威力しかないんじゃ無い?」

「匠、猫パンチだって、馬鹿に出来ないよ」

 匠は透と一緒にクラヴマガというイスラエルの護身術を習っていた。アルビノである匠がいじめられる事を心配した透が、習わせたのだ。匠に習わせたのは、相手を倒せという訳ではなく、気持ちに余裕があれば、変に怯える事がないだろうという程度の考えからだ。


 門を出た所で、透の目の端に見覚えある人物が映った。

「アントン?」

透は独り言のように呟いただけだった為、匠には聞こえなかったようだったが、視線に気づいたアントンが振り返った。透はしまった、と思った。

(アントンと匠を今、会わせてはいけない)

「匠、先に帰っていて」

「え? 急にどうしたの?」

「いいから、早く帰れ」

珍しく、きつく言われ、訳がわからないまま、匠は先に帰るしかなくなった。しゅんとした匠の顔を見て、透は何か声をかけようと思ったが、今は説明する時間がなかった。透は匠に背を向け、アントンから匠を隠すように、アントンがブラブラと近寄って来る方へ歩み寄った。

「透、もう退院したのか? 調子はどうだ? あの生徒、透に用があったみたいだ」

透は匠からアントンを離すために、匠とは反対方向へ歩き出した。アントンも付いて来る。

「有難う。だいぶいいよ。もう生徒は帰宅する時間だから、早く帰宅するように言い聞かせていただけだよ。なんで、アントンが日本にいるんだ? レイラに怪我は無かった?」

アントンはギロリと透を睨んだ。

「レイラ様に怪我を負わせていたら、透は今頃、東京湾に沈んでいるぞ。それより、透のせいで、俺は国についてすぐ、また日本に来る事になった」

「まぁ、夕飯でも一緒に食べながら話を聞こうじゃないか。食べたいものはあるかい?」

「中華料理。日本の中華料理は旨かったからな」

透は個室のある中華料理の店を選んで、アントンを連れていく。


 透にきつく言われた事など覚えている限り無かった匠は、驚きつつも足早にその場を去った。角を曲がってから、こっそり、元来た道を覗いてみると、校内の噂で不審者と思われていた、体格のいい外国人男性と、透が話しながら、匠とは反対方向へ向かっているのが目に入った。


 アントンは回転テーブルがある部屋へ通され、嬉しそうだ。

「美味しい中華料理のお店には、まわるテーブルがあった。あの時は高校生でお酒は飲めなかったが、中国の酒は旨いのか?」

「私は退院したばかりだから、飲まないが、紹興酒を頼んでおくよ。ここに写真付きのメニューがあるから、好きなものを頼むといい。アントンには迷惑をかけたみたいだからね」

アントンは目を細めてメニューを眺め、ウェイターにあれこれ訊きながら、注文している。

「アントン、覚えているかどうかわからないけれど、中華料理は分け合って食べる料理だから、私も一緒につまませてもらうよ」

「大丈夫だ、わかっている。箸も上手に使える。日本にいる間、色々勉強した」

注文した料理が出揃い、ウェイターが扉を閉めてから、透が口を開いた。

「何で、日本にとんぼ返りして来たんだ?」

テーブルを回し、忙しなくテーブル一杯に乗った料理を次々に自分の取り皿に乗せながらアントンが答えた。とんぼ返りと言う言葉は聞いたことがなかったが、何となくわかった。

「レイラ様に最初の子供を探すように言われた。今まで、その子供について話が出たことはなかった。透が、捨てた子供の罪滅ぼしをするよう言ったから、探す羽目になった」

透は退院したばかりの為、なるべく脂が少なそうな料理を選んで、少しずつ取り皿に乗せる。

「そうか……」

 透からすれば、レイラがすぐに動くとは思わなかった。忘れ去っているなら、せめて思い出して欲しいと思っただけだった。どうしているか思いを馳せて欲しかっただけだった。しかし、よく考えてみれば、レイラは昔から思い立ったら即行動する人間だった……。しかも、行動力がある。

「で、それと学校の周りをうろつくのに、何の関係があるんだ?」

「子供を置いた時間と同じくらいの時間に、どんな人間が校門のあたりを通るか、数日観察していた」

「アントン、その行動のせいで、君はうちの学校では不審者になっている」

「え?」

「この暑いのに、黒いスーツを着込んでサングラス、しかも、校門の辺りをうろうろしていたら、不審者と思われても仕方ないと思わないか? そう言う時は短パンにTシャツで、犬でも連れていれば、うろうろしていても不審者には見えないと思うけど……。で? 成果はあった?」

上手に箸を使い、もりもり食べながら、アントンが答える。

「そうか……。今日はたまたま、早く行ってしまった。あの時間、校門から出て来るのは先生が多かった。生徒はほぼいない。透、当時の学校の先生のリストがあればほしい。もらえるか? 明日は警察に聞きに行って来るつもりだ。日本の警察は優秀だと聞いている」


 透はだんだん食欲が失せて来た。このままアントンが調べてまわれば、早々に匠にたどり着いてしまうかもしれない。

(それは良い事なのだろうか。誰にとって、何をもたらすだろう。結論次第では、アントンの邪魔をしなければならなくなる)

「ずいぶん前の話だから、すぐには用意できないが調べてみよう。もう退職してしまった先生もいる」

「助かる。私はレイラ様に早く結婚してお世継ぎを、と申し上げたのだが、一〜二年待ってくれと言われた。透が余計な事を言ったからだ。レイラ様は透に言われた事をやれば、透は考え直すと思っている。我々からみれば、一刻も争えない国の緊急事態であるのに……」

アントンの口調はまるで、全てが透のせいだと言わんばかりだ。

「レイラ様は連合や同盟に良い条件で加盟できるかも検討させている。それはご自分の安全のためにも良い事だが……」

透はそれを聞いて、少しほっとした。

「子供を見つけたら、レイラはどうすると言っていた?」

「お世継ぎになさるだろう。後からお世嗣が生まれたら話は変わるかもしれないが、優秀な方を皇太子にするのは我が国では普通のことだからな」

透がショックを受けている事に、もりもり食べ続けているアントンは気づかない。透は思いもよらない方向へ話が進み始めた事に戸惑った。

(匠は「いらない子供」ではなかったのか。それではあんまりだと思ったから、レイラの子として認めてあげて欲しかっただけなのに……)

 ところが、今では匠は、単純に実の母と再会でめでたし、めでたし、というわけにはいかなくなっている。匠は見つかったら、安全がまだ保障されない所へ、王位継承者として連れて行かれてしまう。状況によっては、暗殺に怯えて暮らさなければならないかもしれない。

 反面、王位継承者として産みの親に認めてもらうのは当然のことに思える。それが、きちんと親子としての正しい姿かもしれない。しかしこれは、透が勝手に決めていい事ではない。早く育ての親である姉夫婦と相談しなければ、と透は焦り始めた。


 透は考え込んでしまった。匠はどう思うだろう。口では産みの親なんてどうでもいい、育ての親、祖母、叔父がいればいいと言っていたが、果たしていつまでもそれでいいのだろうか。情報を遮断して壁を築いて保護したとしても、いずれ、その壁は仮初の肉親たちがいなくなった時になくなり、真実という外の世界が一気に見える。そうなった時に、何の心構えもなく見えた世界が豊かな世界であれば良いが、荒廃し襲い掛かろうとする者たちで溢れていたら、あっという間に食い尽くされてしまうだろう。そうであれば、最初から自分で出て外を覗ける情報という扉をいくつか用意しておく方が、良いのではないか。チラッと外をのぞいて、心が決まったら外に出るもよし、準備する期間、壁の中に籠ることも出来る。

 姉夫婦は、匠に真実を告げて選択させる事に賛成するだろうかと、透は迷ったが、結局、自分一人で決めて良い事ではないと考えた。


(レイラは一〜二年待ってほしいとアントンに告げているから、匠を国に連れて帰る事を待ってくれる可能性はあるが、アントンは国の緊急事態だと捉えている為、捨てられた子供が見つかり次第、連れて行こうとするだろう。いずれにせよ、匠が見つけられてしまうのは、時間の問題だ。匠が王位継承者としてレイラの元へ連れて行かれる。そうなると、たぶん、レイラに返事をしなければならないだろう。もし、イエスと答えれば、匠が義理の息子になる……。叔父という気楽な立場から、自分の子供になるとはいえ、今とあまり変わらないような気はするが、匠はどう思うだろう。問題は、レイラもアントンも世継ぎの話ばかりしている事だ……)

「透? 食欲が無いのか? 具合でも悪いのか?」

アントンに聞かれ、透は我に返った。

「手術したばかりで、あまり食欲がなくてね」

遠慮しないで食べて、と言おうと思ったが、アントンの辞書には「遠慮」という言葉が存在しないようで、次々と皿が空になっていく。

「そんなに見つめられたら、食べにくいではないか」

透は見つめているつもりはなかったが、アントンの方を向いて考え事をしていたせいか、見つめていたように思われたようだ。


「あぁ、ごめん。アントン、余計なことかもしれないが、子供が見つかったら、拐って行ったりせずに、その家の両親とちゃんと話をするんだろうな?」

「さぁ、どうするかはレイラ様が決める」

「国際問題になるから、しっかり相手の両親に確認を取るよう、ちゃんと、レイラに忠告しておいた方がいいよ」

「そうだな。忙しくなりそうだな。透が相談相手になってくれて嬉しいよ」

アントンの返答のあまりの意外さに、透はスープでむせてしまった。アントンは親切にも、立ち上がって、透の背中をトントンと叩いてくれる。

(本当のことを知ったら、アントンは激怒しそうだな)

透は小さく溜息をついた。


「レイラの治める国の名前を教えて」

「サファノバと言う。大国と隣り合わせの小さな国だ。緑豊かで平和な国だ。そうだ、透に頼みがある」

国自体は平和な国なのか、と透は少しホッとした。

「出来る事と出来ない事があるけど」

「ホテルを出る。学校の近くに家を借りるまでの間、透の家に泊めて欲しい」

アントンは、透が一人暮らしだと思って、頼んだのだろう。

(もし、アントンを家に泊め、匠と毎日顔を合わせたら、アントンだって気がつくだろう。いや、毎日レイラを見ていたアントンなら、匠を一度見たら気がついてしまうかもしれない。まだ、親族会議も開いていないのに、それは困る)

「それは、ちょっと困るな。私は一人暮らしではなく、家族と一緒に住んでいるから、うちには泊められない。家を借りたいんだな? 一、二日待てるか?」

「二日位なら、待てる。日本では、外国人に家を貸さないと聞いている」

「確かに借りるのは難しいかもしれないけれど、アントンくらい日本語が話せれば、ウィークリーマンションは借りられると思うよ」

「透、問題が一つあった」

アントンは、メニューを引き寄せてから言う。

「メニューくらいなら読めるが、契約書は、難しいんだ。不動産屋に行って見てわかった」

 透は亡き父が使っていた書庫兼仕事場を思い出した。

まだ、売っていないはずだ。修が心置きなく友人と飲む場合や、仕事に没頭したい時など、その家は使われていた。家から学校を挟んで反対方向にある。二日以内に連絡をする約束をして、透はアントンと別れた。

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