ハルキとキョウコのとりかへばや物語

長月瓦礫

小野崎京子の場合 その1


東京都渋谷区はハチ公前、小野崎京子は慌てて駆け込んだ。

すぐそばでスマホをいじっていた女性はぎょっとしていたが、気にしていられなかった。


「いない……!」


いつも利用している電車が遅延するだなんて誰が思うだろうか。

待ち合わせの時間を5分程度過ぎてしまっている。


巷ではマッチングアプリが流行っており、友人が趣味を通じて仲良くなった人と付き合い始めたというではないか。

二十代も半ばを過ぎ、結婚を視野に入れてもいい年齢だ。


しかし、職場には出会いがない。

同期にはタイプではないと遠回しに言われ、気になった人はすでに彼女がいた。


このままでは乗り遅れる。

そう思った京子は出会いを職場の外に求めた。


趣味を共有できる相手を探すことが目的なので、気楽に付き合える。

ブラックアウトカーテンという機能を使えば、身内にバレることもない。

いわゆる出会い系サイトとは違うらしい。


友人からの勧めもあり、早速アプリをインストールした。

そこで出会ったのが二階堂春樹だった。

村上春樹と同じ字を書くと、彼は最初に自己紹介をした。


春樹も友人からの勧めでアプリをインストールし、恋人を探していた。色恋沙汰のない自分のことを両親も心配している。

似たような境遇の相手と出会い、心の底からほっとしたのを覚えている。


名は体を表すというが、春樹はかなりの読書家だった。

特に歴史小説が好きらしく、大河ドラマもかかさず見ているとのことだ。


京子は恋愛小説を読んでおり、テレビドラマはあまり見ない。

好きなジャンルも違い、互いにおすすめの本を何度も紹介しあった。


あの楽しい時間が崩れいくようだった。

愛想を尽かして帰ったか、最初から冷やかしのつもりだったか。

冷たいものが体に流れ込む。

とにかく、連絡をしなければならない。


「あの、キョウコさんですか?」


アプリのチャット画面を開いたと同時に、背後から声をかけられた。

黒縁メガネに緩めのチェックのシャツ、カバンについている猫のストラップは昨日話していた通りの服装だ。


「はい、そうです! 遅れてごめんなさい!」


「大丈夫です、僕も今来たところなので。

今日に限って、あちこちで電車の遅延が発生してるみたいですね」


「そうみたいですね、本当に」


お互いに笑いあう。

よかった、怒っているわけではないらしい。

ほっと心をなでおろした。


「とりあえず、映画始まっちゃいますから急ぎましょうか」


「そうですね!」


気に入った作品が実写化されたそうで、一緒に見に行くことになった。

前評判も上々で、二人で楽しみにしていた。


彼女はまだ気づいていなかった。

彼の名前は坂下晴輝であり、本日の待ち合わせの相手ではないということに。


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