短編#01
蒔村 令佑
1
舗装された林道を、延々と曲がりくねる坂道を、僕は歩いていた。
雨は昨日で止んだきりだけれど、雲が空の
その切れ目から時折り、湿り気を帯びた日光が降り注ぐ。その度に僕は掌を
僕は、とある山道を歩いていた。息を切らせつつ、傍らの自転車を
やがて前方を直視する気力も尽き、ハンドルに
顔の輪郭に沿って流れた汗が一滴、コンクリートの地面に落ちて滲む。それもすぐに、昨日の雨と乾くのだろう。
短編#01
道中、寂れた神社の拝殿に腰掛けて休息を取る。ここまで来れば、目的地までは遠くない。
喉を潤そうと
参拝客どころか
息を潜めて何かを待っているような静けさが漂う中、また一筋の汗が閉じた
僕が目指しているのは、ここから更に奥へ進んだ先にある、一本の樹木が立つ場所だ。
それは昔、この山の麓にある小学校の生徒たちが植えた卒業記念樹らしいが、今は放置されていて何の手入れも施されていない。それどころか、誰かがそこに立ち寄っている形跡すら感じられない。
(……そもそも、地元の人でも近づかないような低山の奥深くに、どうして記念樹なんて植えたのだろう。)
唐突に途切れた木立の合間で、
その場所を見つけたのは、今から一年ほど前だった。
ちょっとした好奇心で進んでみると、まるで小学校の図画工作で作られたように不恰好なベンチが道の脇に置かれていた。より不思議に思いながらも更に茂みを掻き分けて歩く中で、ひどく甘い匂いが辺りに立ち込めている事に気づいた。それが梔子の花に
蜜の香りに
そして、梔子たちが取り囲む中心で何やら所在なさ気に立つ、どうにも不自然な樹を見つけたのだった。
僕がその場所へ
その情景を、それこそ神秘的に感じたのかも知れないし、どこか居心地の悪そうな記念樹の姿に、自分を重ねたのかも知れない。
僕は、何かあった事や何もなかった事をその樹に話すようになった。声に出して語る訳じゃないけれど、ただ幹に触れ木漏れ日を見上げているだけで、その樹は耳を傾けてくれているような気がした。
晴れの日は、根本に座って本を読んだ。落ちた葉が栞にもなった。
雨風の日は、揺れ踊る枝葉を見上げた。目を閉じると、雨粒が山へ嚥下され
そして今日もまた、その樹へ会う為にここまで登ってきた。例によって、何があった訳でもないのだけれど。
#
喉の渇きは癒えないが、だいぶ汗も引いたので立ち上がり、
当然未舗装である上に、昨日までの雨で土が湿っている。そんな悪路を自転車を押しながら歩く為、肩や腰にも一層の負担がかかる。先ほど落ち着かせた呼吸が再び乱れ、心臓の鼓動が高まる。
「うう……。」
情けなく喘ぎながら
やがて傾斜が終わる。草木は変わりなく立ち並んでいるが、平坦になっただけで随分と歩きやすい。
ざくざくと歩み、
「……?」
安堵と昂揚に笑みが零れたけれど、すぐに違和感を覚えた。幹の手前に、何か白く細長いものが見える。
訝しく注視して、それがヒトの脚であると気付いた。靴なども履かない素足のままで、樹の根元近くに置かれた椅子に乗っていた。それも座るのではなく
「っ。」
慌てて駆け寄り、樹陰に入ってその脚の持ち主を見上げる。
頭上の太い枝に掛けたロープで輪を結び、そこに首を突っ込もうとしている学生服姿の少女がいて、僕と目が合った。
「……。」
「……。」
強い風が吹き、周囲の木々や梔子たちが
太陽が、僕と少女以外のすべてを輝かせた。
#
「……。」
「……。」
困った。
この少女がどんな理由で首を吊ろうとしていたのかは勿論わからないが、いざその時になって、僕が居合わせてしまったのだ。
おそらく彼女も、ここに来る人間は自分だけなのだと思い込んでいたのだろう。
「……。」
その少女は驚きを残しつつ、若干
「……。」
つい目を泳がせる。
樹陰の中で、彼女が着ている夏用のブラウスと、持ち上げたままの細い二の腕が、周囲の水溜りからの照り返しを受けて妙に眩しい。
その末端の指先はロープの輪をしっかりと掴んだままで、あとはそれに顎を
「……。」
どうすべきなのだろう。困り果てて俯いてしまう。学校でよく使われる木製の椅子と、律儀に並べられたローファーと、彼女の白い爪先が見えた。
「……こんにちは。」
少し
顔を上げ、彼女がこちらを見ていることで確信を得て、曖昧に頷く。
「あ、はい……どうも。」
死のうとしている人間と会話するのは初めてだ。下手に刺激すると、突発的に自殺を敢行するのではと不安になる。
「……ひょっとして、」
そう言って彼女は、樹の付近に突き刺さっている、学校名とクラス名と年度が記された立て札を指差した。
「あなたはそれの関係者?」
僕もそのカラフルなデザインの立て札を見ながら、首を振る。
「いや、じゃないけど。」
「……そう。」
「えっと、君こそ、そうなの?」
この樹と関わりのある人間……例えば当時の卒業生の娘では、などと得体の知れない期待をしたが、彼女は「いいえ。」と首を振った。
「じゃあ、どうしてこんなところに?」
「……あなたはどうして?」
「僕は、まあその……この場所が、好きというか。」
何と答えたものだろう。
「……そう。」
「それで、君は、どうしてこんなところに?」
彼女は黙って俯いた。それで漸く、顔を正面から視認する。
彫像のように丁寧なつくりで刻み込まれた目に対し、そこに収まっているのは光のない、ただ開いた
「……。」
応えがないので、問いを変えることにする。
「じゃあ、どうしてこんなところで?」
「……××小学校。知っている?」
「えっと、麓の……この樹を植えた人たちが
さっきの立て札にも書いてあったし、この山に入る時に
「そう。それで、××小学校って、ずっと休校してたの。過疎で生徒が足りないとかで。」
「は、い。」
「なのに6年前、いきなり再開校したの。今この町ってベッドタウンに開発されて人が増えたでしょう。その流れだと思うのね。」
「……そうなんだ。えっと、それと君と、どういう関係が?」
「私が卒業した所は、ここから西の方にある古い学校なの。ミッション系の私立なんだけど。」
「ああ……確か、小中高で一貫の所だよね。」
こくんと頷く。
「そのとき私には友達が何人もいたんだけど、ここの××学校が開校したせいで、みんなこっちに転校しちゃったの。校区とか、学費の問題もあったみたいで。」
「……そうなんだ。」
「そうなのよ……。」
「……。」
「……。」
「もしかして、終わりですか?」
「ええ。悲しい話だったでしょう……?」
「……つまり君は、子供時代の友達を奪った小学校に迷惑をかけてやろうと思って、敢えてここで首を吊ろうとしていたの?」
「まあ、そういう事になるかしらね。」
そういう事に、なるものだろうか。
淡々と語る彼女の表情には、一点の後ろめたさも感じられない。死に場所として選んだ破れかぶれの理由ならまだしも、それが死因だなんて。
確かに小学生なら、自分の友達を
驚愕のあまり呆然としていると、いきなり彼女が掌を伸ばした。
「それ、貸してくれない?」
「え、これ?」
僕が手元(と足元)の自転車を示すと、彼女は頷いた。
「どうして? 死ぬ前に自転車に乗りたくなったの?」
「違う……。」
どこか苛立ったように、彼女は首を振る。
「じゃあ、やり残した事を思い出したとか?」
「そうじゃなくて、足りないの。」
消え入りそうな声だ。
「足りないって、何が。」
「 ……たかさ。」
「タカサ?」
たかさ……高さ?
「あ、」
漸く気付く。
彼女が握っているロープは、明らかにその頭上にあった。あれじゃあいくら背伸びしても、自分の首に届かないだろう。まるで電車の吊革を掴んでいるみたいだ。
「……。」
「だってロープなんて扱い慣れてなくて。
彼女は僕から目を逸らし、言い訳めいた何かをボソボソと呟いている。
「
「いろいろ
天は、もっと早い段階で彼女を救っておくべきだったと思う。
「ね、いいでしょう? その自転車を使わせて。スタンドだけじゃ不安定だから、支えてくれると嬉しいな。」
「……。」
口を閉ざす僕を見て、彼女は合点が行ったようだ。
「……ああ、あなたそういうの、気になる人?」
「当たり前だと思う。」
誰が、自分の自転車を首吊り自殺の踏み台として使われたいものか。これから暗い道を通る度に後ろを振り返る事になりそうだ。
「まあ、それもひとつの記念じゃないの。」
「僕の自転車に念を残さないで欲しい。」
「あ。じゃあ、あなたもここで死ねばいいんじゃない?」
一向に頷こうとしない僕に、彼女は明朗な発音でそう言った。
「心中しましょうよ。だってそうすれば、自転車だってもう気にせずに済むし。何より、この場所が好きなんでしょう?」
思わず顔を上げると、彼女の相変わらず光の無い、けれど弾んだ瞳が浮かんでいた。
#
漸く止まりかけていた汗が、先とは違う用途で流れ始める。
「……あの、初対面で
椅子から降り、傍に揃えていたローファーを履き直した少女は、意外そうな表情で顔を上げた。
「あなたは、生に執着しているようには見えないわ。」
「だからといって、死に寛容でもないよ。」
彼女は目を細め、改めて僕に視線を絡める。何を考えているか解らない間が、空恐ろしい。
「……すごい汗。そんなになってでも来るほど、この場所が好きなの?」
不意に人と会い声を使ったせいか、一層喉が渇いてきた。それを抑えながら、なるべく丁寧に言い聞かせてみる。
「そうだよ。だから君には悪いけど、ここでの自殺は遠慮願う。君がここで死んでも、僕はずっとここに来るんだ。もし他の人間に知られたら、僕が君を殺したと思われるかも知れない。そうでなくても、ここへ来にくくなるのは確かだ。」
「つまり、あなたも今ここで死ぬべきなんだって思わない?」
「いや……、」
彼女は幹の裏側に置いていたらしい学生鞄を引き寄せ、中をごそごそと探って水筒を取り出した。
「……?」
行動を分かり兼ねていると、彼女はコップを持つ腕をさらに突き出した。
「あげる。そんなに汗かいたんだから、喉渇いてるでしょう?」
「まあ、そうなんだけれど。」
こちらへ差し向けられている、
「それさ、毒とかじゃないよね。強引に僕を道連れにする気だったりして。」
「失礼ね。これは自家製の果実酒よ。」
「……。」
「いらないならいいわよ。あげない。」
「あ、待って。疑心暗鬼だったよ。喉が渇いてるのは本当なんだ。」
つい
若干怪しいけれど、ここで水分を補給できるのは本当にありがたい。まだ今年は熱中症のニュースを見ていないけれど、密やかに筆頭を飾るところだった。
「頂きます。」
「どうぞ。」
受け取ったコップに口をつける寸前、ちらりと彼女を見た。一瞬前まで笑顔だったような表情をしていた。
「……。」
「……。」
膨らむ疑心を抑え、とりあえず一口ぶん、
氷でも入れていたのかそれなりに冷たくて、果実酒というわりにアルコールも感じられない(未成年用に飛ばしたか、極端に割ってあるのだろう)。薄めた果実シロップのような蜜甘さで、心地よく喉を潤してくれる。
「口に合うかしら。」
彼女の言葉に、コップを傾けたまま頷く。少し苦いけれど美味しい。
「ひとくちで致死量に届く毒酒の味は。」
「くぶふっ。」
続く言葉に動揺し、思いきり
漸く収まって顔を上げると、彼女は横を向いてクスクスと笑っていた。
「冗談よ。」
「……君は冗談を言いそうにない。」
口元を拭い、彼女の様子を窺う。特に言及しない辺り、本当に冗談だったのだろうか。だが影の浮かぶ、そのひっそりとした笑顔を見ていると、毒殺くらいやりかねないとも思えてしまう。
「毒なんて入っていないんだよね?」
「だといいわね。」
「殆ど一杯飲み干してしまったんだ。どっちなのか教えてくれ。」
「どっちでも構わないじゃない。これから私と死ぬんだから。」
「死なないよ僕は。君ひとり列車にでも轢かれたらいい。」
ひどいこと言うわね、と彼女は呆れる。
「心配しなくても大丈夫よ。さっき私もそれ飲んだし、だいたい毒なんて持ち歩いてる訳ないでしょう?」
「普通は、そうだけれど……。」
毒物を嚥下してしまった場合、喉に指を突っ込んで吐き出す方法があると聞く。試した事は無いけれど、今こそその時なのだろうか。
「それより、首を吊るときは〝せーの〟でタイミングを合わせましょうね。」
そして、彼女との心中は決定事項なのだろうか。
「何度も言うけれど、僕に死ぬつもりは無いから。」
「往生際が悪いのね。」
「君にだけは言われたくないよ。」
「何よ。だったらさっさと自転車を貸しなさいよね。」
「……とにかく僕は死なないし、君もここでは死んじゃ駄目だよ。他の場所を探してもらえるかな。」
彼女は細い眉をきつく寄せ、手の甲を腰に当てて、
「あなたね、身勝手も
と、叱る口調でそう言った。
「いい? あなたはここで私と首を吊るの。この椅子、使わせてあげるから。あなたなら届くでしょう? ロープは無いけど、そのベルトで代用すればいいじゃない。」
「よかないよ。」
「一本の樹で二人が首を吊るなんて、クリスマス・ツリーの飾りみたいで素敵じゃない?」
「……本当にミッション系の学校に通っているの?」
「ああもう、いちいち水差して。あなた友達いないでしょう。」
「君じゃないんだから。」
「……。」
もともと鋭さのある彼女の目元が、一層険しくなる。
「どうしても、死ぬ気は無いの?」
「……。」
むしろ、どうしても生かして帰す気は無いのかと訊きたいけれど。
「ああ、死ぬ気は無いよ。」
「そう。」
ふう、と息を吐く少女に対し、僕は身構えた。
ここまでの言動から、彼女がすんなり聞き入れてくれるとは思えない。おそらく無理心中を
「止むを得ないわね。だったらこうしましょう。お互いに
「……と言うと?」
「私は、あなたとの心中を諦める。」
彼女は記念樹の幹に手を触れ、僕へ振り返った。
「ただし、この樹で死ぬ事は許可してもらうわ。」
「……。」
「ねえ、さっきからどうしてカラテみたいなポーズをしているの。」
「いや、何でもないよ。」
「そう。とにかく、それでどう?」
「……。」
死因も含め、ここまで執念深く屈折した人間を説得できるとは、もう思えない。それに今回追い払えたとしても、次来た時には間違いなく死体がぶら下がっている事だろうし。
肩を落とし、頷く。
「……ああ、分かった。もう止めない。自転車も、買い換える事にするよ……。」
今まで〝にやり〟か〝にたり〟としか笑わなかった彼女が初めて、にこりと笑った。
「何だか、悪いわね。せめて新しい自転車の費用くらいは渡したいけど……今日、バス代くらいしか持って来てなくって。だって、ねえ。まさかこんな事になるなんて思わないでしょう?」
「全くだよ。」
「あら、初めて意見が合ったわ。それじゃあ、せっかくだからカゴに乗せてくれる? 少しでも高い方が確実だし。」
「はいはい……。」
最期のわがままくらい聞いてやろう。彼女の手招きに従って、僕は自転車を押した。ロープの真下にカゴを合わせる位置で、スタンドを立てる。
「……では、さっそく。」
再び靴を脱いだ彼女はまず脇の椅子に乗り、そして僕の自転車のカゴに片脚を乗せた。その際眼前でスカートが大きく開いて、無駄に白く美しい脚が覗いたが、何か嫌なトラウマを負いそうなので僕は目を伏せた。
「う、揺れ、る……。」
「今さら怖がる事も無い気がするよ。これから死ぬんだから。」
「それでも、
「……はいはい。」
ハンドルをブレーキごと握って、彼女の足元が揺れないように安定させる。
記念樹の幹に縋りつきながら、彼女は片脚ずつ椅子から自転車へ乗り移る。当然、結構な負担が僕の肩へとかかる。
ここへ来るまでに十分味わったのでどこか慣れつつあるとはいえ、やはり人間一人を支えるとなるとかなり重い。
「ちゃんと掴んでてよ……まだ離さないでよ……まだだからね……ちゃんと持ってる? 絶対まだ離しちゃだめだからね?」
「ちゃんと持ってるよ。補助輪を外す練習中の子供か君は。」
ぼやきつつ、慎重に傾きを修正する。カゴが小刻みに揺れる度、「ひっ。」とか彼女が息を呑むのが聞こえてくる。そして、
「……ふう。」
玉乗りの練習をする新入りピエロのような風情で、やっと彼女は自転車のカゴに立った。その体重が垂直に伝わり、前輪が柔らかな土に食い込む。代わりに僕は少し楽になった。
「乗れたね。」
「乗れた。あは、ちゃんと届く。」
雨上がりの陽射しは、それこそ祝福の雨のように枝葉の隙間から零れ、彼女の地味な制服に模様を与えていた。
木漏れ日が、満足そうな少女と、その手が愛おしげに
#
「そういえば、まだお互いに名前も知らなかったわ。」
不安定な足場で落ち着かないのか、それとも漸くありつけた死に高揚しているのか、若干震えた声が頭上から聞こえた。
「別にいいんじゃないかな。死ぬ人の名前を覚えたくないし、あまり覚えられたくもないよ。」
腕に力を込めつつ返答すると、それもそうか、と彼女は笑った。
「とはいえ、協力ありがとう。あなたの事は、たぶん忘れない。あと少しだけれど。」
「……どういたしまして。」
彼女は両手で輪を掴み、細い顎を持ち上げた。
そして突然、思い出したように、「あ、果実酒。残りもあげるから。」
「え? ああ……ありがとう。」
「帰り道、気をつけて。下りだからスピード出し過ぎないようにね。ちゃんと水分も摂るのよ。」
「……まあ、はい。」
「うん……。」
「……。」
「……。」
「……あの、
「あ、そうだよね……。」
「……えっと、」
「……じゃあ、」
「さようなら。」
「うん。さよなら。」
腕にかかっていた重みが、消えた。
枝に体重が伝わり、葉が騒めいた。ざあっ、と樹下にだけ
「……っ。」
ロープが伸びきって、がくん、と少女の体が跳ねた。伴って長い髪がしなやかに波打つ。
彼女はその一瞬だけ苦しそうに顔を
「……。」
自転車をスタンドで立たせ、僕は自分の心臓を押さえた。脈動。一定のリズム。この一拍一拍が過ぎるごとに、彼女は生から遠ざかっていく。
そういえば、人間は死んでも暫く生きていると聞く。つまり死生の境界は曖昧で、即死という即死はよっぽどの場合でしか無いらしいという事だ。首を
となると彼女もまた、喋らずとも何らかの意思を死に際に抱くかも知れない。それくらいは見届けてあげるべきかと思って彼女と目を合わせようと思った時。
いきなり頭上で、ばぎ、と鈍い音がした。反射的に顔を上げようとしたが、地面に落下して倒れ込む少女を目で追ってしまい、
「……え。」
そして上に向けようとした視界が、真っ暗になった。
#
いつ意識を失って、いつ取り戻したのかが解らない。あるいは失っていなかったのかも知れない。
やがて、視界の左半分を占めているのが地面だと気づいた。湿り気のある土の感触が頬にあって、どうやら自分が倒れているらしい事は把握できた。
起き上がろうとしたが、うまく手足が動かない。不思議に思い視線を向けると、慣れ親しんだ自分の身体だけれど、今まで見た事のないアングルだった。
怖ろしくなって、再び視点を持ち上げる。樹の麓でうつ伏せに倒れていて、漸く身体を起こした少女が見えた。背中を
どうも、ロープを掛けていた枝が折れたらしい。彼女が這いずって
ひょっとすると、折れた枝は彼女の体重で向こうから落下して
倒れている理由は分かったけれど、体が動かない理由が分からない。こうして意識がある以上、頭が割れるような衝撃だったとも思えないのだけれど。ひょっとすると、首の問題だろうか。
やがて彼女は僕に気づいた。
やはり土で汚れた彼女の脚と顔が、視界を間近で行き来した。呼びかけようとしたが、声すら出せなかった。
それから彼女は樹を振り返る。
困ったな。一人じゃカゴに立てないし、ちょうどいい枝も折れちゃった。と、そう聞こえた。
咳が出そうになったが、出なかった。ただ呼吸が苦しく、妙に喉の渇きを感じていた。
心臓の音が聴こえる。一定のリズムで、どくどくと。自転車を押して山を登る時のように。
「今回は仕方ないか。……久々だけど、ちゃんと乗れるかなぁ。」
吐きたくなるほど甘い香りの中、そんな言葉が聞こえた。
ブツブツと呟きながら自転車のスタンドを蹴って外す少女の脚と、その向こうで囁き合うように騒めく、梔子の花たちが見えた。
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