第25話 刺客 後編 浪士恋唄

 京都の西に壬生寺の周辺に広がる田園地帯、壬生村がある。京都守護代を務める会津藩は、この村に浪士隊の宿舎として、寺院や屋敷を一時的に借り受けていた。

 清河八郎により結成された、”浪士隊”が京の壬生村に到着した次の日の朝。

 宿舎として借り受けている屋敷の一画に男たちが集まっていた。

 清河八郎は、座敷の中央上座に、腕を組んで静かに座る。

 その横に清河八郎と行動を共にする剣友が数名が座っている。

 

 清河八郎の目の前には、浪士隊”の各派閥の頭たちが集まっていた。

 

 清河八郎は、内に秘めていた奇策を集まった各派閥の頭に切り出した。


「上洛する将軍の護衛に集めた”浪士隊”二百名。尊王攘夷の志士隊として、京に上洛

して来る将軍一行を待ち伏せ、襲撃する」

「今こそ好機。将軍を討てば、江戸幕府の歴史が終わる」

「我と供に、歴史に名を残す傑物となろう」


 と・・・部屋は静まり返る・・・

 誰一人、声を発する者はいない・・・


「清河先生。儂らは、隊をける」

「あんたにゃあ、ついて行けん」


 赤ら顔のかっぷくの良い男が口火くちびを切った。


「何だと!」


 その言葉で、清河八郎の隣に座っていた男が刀を握り、片膝を立て、切り込む体制で怒鳴る。

 

 対峙する男たちも応戦の構えをとる。


「ふっ。くだらん。儂らは、京に残る」


 かっぷくの良い男、水戸藩士 ”芹沢鴨”がきっぱり答える。

 

 結成した浪士隊は、寄せ集め。江戸から京に着くまでに、既にいくつかの派閥が形成され、道中でも揉め事が絶えなかった。


――― 特に、この男はもめごとを起こす・・・


「貴様はっ!」

「水戸藩・天狗党の生き残りっ、尊王攘夷の志士だろうがっ!」


「命を賭けてってった同志の為に、たんのか!」


 清河八郎が、側らに置いていた刀を握り、片膝を立て、芹沢をにらむ。


「・・・・・・」

「清河っ。貴様、本当に幕府を倒せると思っとんのかっ」


 今まで酔いどれ口調でいつも話していた芹沢が、清河八郎をキッとにらみ返した。

 芹沢が側らに置いていた、大徳利をガッシッとつかむと、清河八郎にめがけ投げ放った。


「ドコンッ」


 投げられた大徳利が、清河八郎の手に持つ刀ではたかれ、壁にぶつかり、畳に落ちた。


「・・・・・・」


 並み剣士なら、飛んで来た大徳利をただはたいた様に見えただろうが・・・

 集まった剣士の中の数人が息を飲む。

 

 清河八郎は、飛んで来た大徳利を刀で受け止め、からめ捕り、壁に放った。

 

 畳に落ちて転がった大徳利から、中の酒がチョロチョロと流れ出る音だけが、静まりかえった部屋に聞こえた。


 芹沢の横に座る、目つきの鋭い細身の男が話に割って入る。


「我々は、少人数。浪士隊を抜けても戦局は変わらんでしょう」

「今、斬り合っても共倒れ。お互い利は無い」

「我らも清河先生の人柄を御慕いして、京に付いて来た身。この事は誰にも口外いたしませんぞ」

「清河先生の本懐ほんかいげられる事を、陰ながら御祈りいたします」


 また、部屋は静まり返る・・・

 緊迫した空気を断ち切る様に、清河八郎が声を発する。


「これは、国家の大事。心一つにせねば、成功は成しえん!」

「引き留めはせん。お集りの方々は、己の志に従って決めて頂きたい」

「・・・」


 話し合いの末、芹沢一派は京に残り、残りの浪士隊は、尊王攘夷志士として江戸に引き返す事で合意した。

 その日のうちに、浪士隊は、京を立ち、将軍を迎え討つ為に江戸に引き返した。


 ◆

「芹沢さん。我らも清河らに加わらなくて良かったのですか?」

 

 会合の後、先ほど芹沢の横に居た、目つきの鋭い男、”新見錦”が芹沢に問う。


「・・・」

「清河の奇弁じゃ。所詮は学者の策」


 そう言うと、芹沢は愛用の鉄扇を怒りあらわに壁に打ちつける。


――― 変革の為に散っていった刺客の末路を知りもせず

――― バカ者どもが・・・


 芹沢は、心臓辺りの胸に爪を立てると引き裂く様に胸をかきむしった。

 

 ◆

 浪士隊が京を発った同日の夕刻、数人の男が密に集まる。


「鉄太郎殿。頼むぞ」

「奴らは知りすぎた。芹沢と新見を斬ってくれ」

「・・・」

「承知した」


 清河八郎の正面で旅仕度を済ませ、タスキで着物の両袖を束ねた、屈強な侍。

 刀を握る左手に力が入り、緊張した声で返答する。

 そして、集まっていた数人の侍を引き連れ部屋を出て行く。

 残った清河八郎は、頭を両手で抱えると、畳にうずくまった。


◇◆◇◆会津の刺客

 会津藩士・佐々木只三郎に、京の会津藩邸より急な呼び出しがかかった。

 数日前、江戸から清河八郎が結成した”浪士隊”と共に京にやって来た男である。

 浪士隊は、会津藩の管轄下。会津藩で古参こさんの藩士・佐々木只三郎ら剣術に優れた会津藩士数名が浪士隊の監視役として、江戸から浪士隊に同行した。

 佐々木只三郎らは、無事、京に到着した浪士隊の江戸から入京までの監視役が終わり、そのまま、京の町の治安を護る為に”京都見廻り組”に配属となっていた。

 旅に同行する中で、役目柄、清河八郎の人品じんぴんを観察したが、見識が広く、文武ともに実力に見合う威風堂々とした風格は、まだ若い佐々木只三郎にとって、見習うべきものであった。

 そんな清河八郎に謀反むほんの疑いである。

 既に京を立った清河八郎を追う為、数人の追手組おってぐみが編成された。

 

 ◆

 清河八郎を追う佐々木只三郎は、江戸に入る直前、清河八郎らしき人物の居場所をつかんだと、江戸に放った会津藩の探索方より連絡を受けていた。


――― 清河八郎は、既に江戸に戻り、名を変え、要人らしき人物と密会を重ねている。

――― この事は、会津藩内、それも極一部の間で処理しなければならない。

――― 幕府機関に知られては会津藩が責めを負い、混乱を招く可能性がある。


 佐々木只三郎は宿場外れ宿に泊まり、情報を待った。


――― 北辰一刀流・免許皆伝の清河八郎を斬れるのか?


 部屋にロウソクを灯し、使い込まれた愛刀を抜き、丹念に手入れをする。

 一度だけ、清河八郎の剣の太刀筋を見たことがある。

 あの山岡鉄太郎が感服するほどの清河八郎の剣の腕前。

 剣客として興味を持たずにはいられない佐々木只三郎は、京へ向かう道中、清河八郎に戦いを挑んだ。

 佐々木只三郎は得意とする小太刀こだちで戦いに挑む。

 勝負は互角であったが、得物は木枝、お互い実力は出し切っていない。


――― 一太刀ひとたちで斬る。


 抜刀ばっとうの早抜きには自信があったが、念の為、篭手こてと着物の下に鎖帷子くさびかたびらを着込む。


――― 会津藩の為、自分に相討あいうちちで死ぬ覚悟はあるか


自分自身に問う。


――― 刃に映る自分の顔が少し緊張?・・・か。

――― 気分は悪くはない・・・むしろ高揚。


 佐々木只三郎は、手入れが終わった愛刀を静かに鞘にもどした。


 ◆散る

 江戸に舞い戻った清河八郎は、朝早くから、妻”おれん”の墓参りに出かけていた。今日は、妻の月命日つきめいにちと決めている。

 粗末な墓石に手を合わせ、花をたむける。

 妻が好きだった”金平糖こんぺいとう”を墓前に供えた。

 そして、長く静かに手を合わせた。

 

 脳裏に江戸に戻る途中の剣友である浪士隊・隊長との会話が浮かぶ。


「清河先生。儂は、迷っております」

「江戸幕府が、本当に倒れるのでしょうか」

「儂らは、代々江戸の地に住み、恩恵おんけいを受け、平穏へいおんな日々を送って来ました」

「将軍様に刃を向けるなど・・・」

「確かに、剣術で身を立てたいとは思っておりますが・・・」


 清河八郎は、その剣友に淡々と幕府の役割りを説いた。


 遠くの空を見つめる。埋められない心の隙は、日々増して行く。

 目を閉じ、首を小さく振る。

 己の信念が、薄く消えかかるのを否定する様に・・・


――― 将軍襲撃の日が近い。

――― おれんの仇は、必ず儂がとる。


――― そして・・・

――― おれんが生まれた意味を、儂が必ず探すと約束したじゃろ・・・


 その時、二人で約束したおれんうれしそうな、ちょっと心配そうな顔がまぶたに浮かんだ。


 ◆

 墓参りの帰り道。この時分、通りには人気がまだ無い。

 清河八郎は、橋のたもとにさしかかる。

 人に顔を見られない様に深くかさをかぶり歩いて行く。

 

 前から、旅仕度をした深くかさをかぶった、侍が近づいた。

 

 旅仕度の侍は、清河八郎の前で止まり、深くお辞儀じぎをすると声をかけた。


「清河先生」

「お久しぶりでございます。佐々木只三郎でございます」


 清河八郎は、緊張した肩の力を抜き、肩を落とした。


「佐々木殿か・・・」


――― そなたが来たか・・・


「お久さしゅうござる」


 清河八郎は、軽く頭を下げる。

 かぶっている笠を脱ぐ為、あご紐に手をかけ紐を解く。

 

 佐々木只三郎の体が一瞬、しずんだ。


「カチャッ」

「ヒュン」

「ザバッ!」


 刃が空気を斬る音と共に清河八郎の笠が跳ね上がり、血しぶきが舞う。

 

 佐々木只三郎が、腰の刀を下から斜め上に斬り放った。

 

 清河八郎の足がよろけ、後ろに数歩下がる。

 

 佐々木只三郎が跳躍する様に、胸元に剣先を突き立てた。


「があっああああっ」


 小さい声と共に清河八郎が地面に崩れ落ちた。

 

 只三郎が止めを刺す為、刀を引き急所に狙いを定める。


「モゾッ・・・」


 清河八郎が、佐々木只三郎の足元に力無く手を伸ばす。

 

 あわてて、佐々木只三郎が後ろに飛び去る。


「・・・・・・」


 清河八郎が地面の砂をかき集める様に自分の顔の前に集めた。

 

 地面に、赤色や青色、黄色の金平糖が散らばる。

 そして、震える指で散らばった金平糖を一つ・・・二つ拾った。

 

 地面に流れる出る血。

 清河八郎は、ゆっくりと目を閉じ、力尽き地面に顔をつけた。


――――――

 旗頭の清河八郎を失い、江戸に戻った”浪士隊”は、”新徴組”と名を改め、幕府機関として江戸の町の治安警護に就いた。京都で決別した、芹沢鴨らは”浪士隊”を”新選組”と名を改め、京都守護職・会津藩の機関として京の町の治安警護に就いた。

 清河八郎の奇策で生まれた”浪士隊”は、幕末において最後まで町の庶民を護る為に活躍する事となった。


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