失踪
Jack Torrance
第1話 失踪
ロンドンの駅でスコット フィッツは列車の待ち時間に新聞を読んでいた。目に留まった記事は大学に通っているロニー ジェラルドが1ヶ月前に失踪してロンドンからコッツウォルズ地方までの足取りは掴めているのだがその後の消息が掌のコインを一瞬で消し去るマジシャンのようにパッと消えて音信不通になっているという記事だった。このニュースは全英に伝えられ行方を暗ましてから暫しの間はBBCでも大々的に報道されていた。その新聞の記事は有力な情報提供者には1万ポンドの報奨金を支払うというものであった。スコットはカーペットのセールスマンで見本の生地を持ち歩いて一軒一軒の民家に出向いて売り歩いていた。この記事を見てから1週間後にロンドンから約130km離れているコッツウォルズの丘陵地帯にあるバイブリーと言う村まで出向いていた。この日は商談が2軒纏まり時刻は既に18時を回っていた。手頃な宿泊施設を探そうと数少ない施設を当たってみたがこの日は何処の施設も満員御礼状態でスコットは閉め出されてしまっていた。スコットは困ったもんだなと路頭に迷い何処かに泊まれるところはないものかと歩いていたら牧草地に包まれた石灰岩で建てられた一軒だけ他の民家からポツンと離れた古民家を目にした。玄関には《1泊、夕食、朝食付き25ポンドで民泊承っております》という貼り紙が貼ってあった。他の宿泊施設もあんな状態だったからここも見込みは薄いだろうなと思案しつつドアをノックした。中から50を過ぎたくらいの恰幅の良いいかにも陽気そうな女将が現れた。「こんばんは、1泊宿おお願いしたいのですが」女将はピョンと跳ね上がるようにして来客を喜び「あら、ようこそお越しくださいましたわ。この家はポツンと離れているものですから最近はとんとお客さんがお見えにならなかったんでございますわよ。オホホ…」そう言ってスコットを家内に招き入れた。「お名前は何ておっしゃるんですか?」「フィッツです。私の名はフィッツと申します」スコットはしゃっちょこばって言った。「私の名はサッチャーと申します。女将さんとでもミセス サッチャーとでも何とでもお好きなようにお呼びくださいな」こう言ってサッチャーの女将さんは2階の小窓が一つだけあるこじんまりとした清潔に保たれた部屋に案内した。シーツも奇麗に整えられ何とも居心地の良い部屋だった。これで2食付きなら25ポンドは安上がりだなとスコットは思った。それに、礼儀をわきまえていて、それでいて気さくな女将さんにスコットの緊張の糸はすっかりほぐれていた。1時間半くらい経った時だった。「フィッツさーん、お夕食の準備が出来ましたわよ」サッチャーの女将さんの明るい声が階下から響いた。スコットは腹が減っていたので階段を一目散に駆け下りて食堂に入った。サッチャーの女将さんがパンチェッタを焼いた肉の塊に人参とほうれん草のソテーを色取りに合わせて皿に盛り、そのパンチェッタと空豆をコンソメで煮込んだスープをよそいながら配膳の最中にスコットに尋ねる。「フィッツさんはお仕事は何をやっておられるのかしら?香ばしい匂いに思わず舌舐めずりしながら抑えきれない食欲を悟られないようにスコットは答えた。」「何、たわい無い仕事ですよ。カーペットのセールスマンです。私が所見したところこの部屋のカーペットは見たところまだ新しいようですな」サッチャーの女将さんは嬉しそうに言う。「そうなんでございますのよ。まだ新調したばかりでございますのよ。オホホ…」そんなたわい無い話をしていたら男が食堂に入って来た。身長は195cmと見上げるばかりの大男で筋肉でがっしりと覆われた見るからに丈夫そうな熊のような男だった。「どうも」とスコットは会釈をして愛想を振り撒くが男は無愛そうで無言で頭を下げただけだった。サッチャーの女将さんが言う。「主人でございますの。あんたったら、もうちょっとお客さんに愛想良く出来ないもんかね」男はサッチャーの女将さんよりも10ばかし若く見えた。スコットに出された食事と同じ物を皿に盛り盆に載せ男は出て行った。サッチャーの女将さんは言う。「もし、お酒を嗜みたいのでしたらグラス一杯に付き2ポンドでお出ししても構いませんわよ」「それでしたら是非お願いします」こうしてスコットの前に料理とワインが並べられた。スコットの対面にサッチャーの女将さんが腰を掛けた。まずワインに口を付けたが上等なものではなかった。グラス一杯が2ポンドだからこれは仕方なかろう。だが、料理の方は格別に美味かった。これも空腹のせいもあるだろうが肉は上等な肉だなと思った。これで25ポンドならば格安だとスコットは悦に入った。「女将さん、先日新聞で目にしたのですがこちらのコッツウォルズで行方不明になったっていう大学生の青年。名前は何て言いましたかな?何でも有力な情報には1万ポンドの報奨金が出るとか」「ああ、その記事でしたら私も見ましたわよ。確かお名前はロニー ジェラルドじゃなかったかしら?」「ああ、そうです。その名前でした」スコットは忘却の彼方に葬られていたその名を思い出してすっきりした気分になった。空腹だったスコットは出された料理を完食していた。「まだ、おかわりはありますわよ、フィッツさん」「それは追加料金は発生するのでしょうか?」「いいえ、今日は久しぶりのお客さんですから。私、嬉しくって。サービスさせていただきますわ」「それはかたじけない。是非、馳走になります」サッチャーの女将さんはパンチェッタとスープをよそってスコットの前に置いた。「さあ、お召し上がりくださって」そして、また対面に腰を掛けると肘を立て拳固の上に頬を乗せスコットの食いっぷりを惚れ惚れしながら見入っていた。「それにしても、女将さん。私は今日一日中歩き回っていたので空腹のせいかもしれませんがこんなに美味い飯を食ったのは久方ぶりです。この肉は特別な飼育を施した家畜から取られた肉でしょうかな?何の肉なんですか?こんなに美味い肉なら私は毎日食べたいもんですな」サッチャーの女将さんは快活で明るい声から急に嗄れた超えになり悪鬼が乗り移ったような表情に豹変して言い放った。「あんたが食ってる肉はロニー ジェラルドだよ」スコットはその意味を理解する暇は与えられなかった。音も無くスコットの背後に忍び寄っていた亭主がスコットの後頭部目掛けて斧を振り下ろした。鮮血が舞いサッチャーの女将さんの顔に血しぶきが飛び散るのと同時にスコットはスープの皿に顔面から突っ伏した。スコットはコンソメスープに沈む空豆とロニー ジェラルドの肉片を見開いた眼でぼんやり見ながら意識が薄らいでいく。そして数秒後には息絶えた。「あんた、この男の肉をばらして今夜中に塩漬けにしといておくれ。カーペットも微塵にして燃やしといておくれよ。後はあたしが奇麗にしとくから」
失踪 Jack Torrance @John-D
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