第34話 陽動の潜水艦
伊二五潜は極秘任務である米本土爆撃を成功させての帰路にあった。
爆撃と言っているが、実際に落としたものは爆弾では無かった。
伊二五潜は搭載した零式小型水上機を使って西海岸にある市街地に宣伝ビラをばら撒いてきたのだ。
殺傷力はゼロ。
だがしかし、その紙爆弾は零式小型水上機が搭載しうる本来の爆弾よりも遥かに巨大な爆発威力を解き放っていた。
伊二五潜の乗組員の士気は出撃したときから異様に高かった。
出撃にあたって「軍神」と言われた連合艦隊司令長官の山本大将がわざわざ見送りにきてくれたのだ。
軍人らしからぬ、どこかふんわりとした空気を纏う中将とともに。
「軍神」は一〇〇人近くいる乗組員一人ひとりに「帰路で飲んでくれ」と言ってウイスキーを自ら手渡してくれた。
伊二五潜の将兵たちからすれば、あの「軍神」山本大将から直々に頂けたのである。
飲まずに家宝にするという者まで現れる。
それでなくてもウイスキーは高級品であり、戦時の今となっては貴重品ですらある。
物不足のうえに激しいインフレの昨今、一〇〇本のウイスキーだととんでもない値段になるはずだ。
伊二五潜の乗組員は首をひねる。
「軍神」ってそんなにお金持ちだったっけと。
伊二五潜艦長はこれまでのことを思い出していた。
司令部に呼び出され任務の詳細を聞いたときにはさほど困難な任務とは思わなかった。
搭載した水上偵察機を使って西海岸の警備が比較的手薄だと思われる町で宣伝ビラを撒いて帰ってくる。
それだけだった。
確かに米本土の警戒は厳重だろうが、それでもその本土を守護する合衆国海軍はウェーク島沖海戦の際に駆逐艦を大量に失っている。
それに、大西洋側の東海岸ではUボートが猛威をふるっているとも聞く。
今の米海軍では東西両岸の長大な海岸線にあるすべての街に戦力を振り向けることは不可能だろう。
だが、たったそれだけの任務のために連合艦隊司令長官がわざわざ見送りに来たりするものだろうか。
伊二五潜艦長はそのことを不思議に思っていた。
そして、出撃後に開封するように言われていた命令書を見て伊二五潜艦長は血の気が引くことを自覚する。
命令書に記されていた作戦について、その目的は二つあった。
ひとつは宣伝ビラを撒くことで米国民の不安をあおり、米政府に揺さぶりをかけることだ。
これは理解できる。
問題はもう一つの方だった。
「米海軍の目を米本土に向けさせ、その艦隊戦力をハワイ以東に拘束する」
そう記されてあり、もし伊二五潜が任務に失敗すれば次なる作戦において連合艦隊は英艦隊と米艦隊の挟撃を受けるかもしれないと付記されていた。
一潜水艦長の身では次期作戦がどういうものかは知る由もない。
だが、連合艦隊が英艦隊に何か仕掛けるのだろうということは想像に難くない。
そして、自分たちが任務に失敗すれば側背を米艦隊に狙われる可能性が出てくるというのだろう。
太平洋艦隊が壊滅したとはいえ、ハワイや西海岸には大西洋艦隊から回航した戦艦や空母がある。
もし、英艦隊と戦っている最中の連合艦隊の側背に複数の空母で編成された米機動部隊が現れた場合・・・・・・
乗組員の士気の高さとは裏腹に、伊二五潜艦長は作戦決行まで胃が痛くて仕方がなかった。
だが、それも今では治まった。
そろそろ飲んでもいい頃だろう。
一方、突然の紙爆弾の猛襲を受けた西海岸はパニック寸前だった。
西海岸のある街に日本海軍のものとおぼしき水上機が飛来、大量のビラをばら撒いていったのだ。
「本日、市街を確認したところ住民の避難がまだ済んでいないようである。非戦闘員の保護に鑑み、今回の攻撃はひとまず中止するが、次は避難が済んでいなくても攻撃する」
散布されたビラにはそう書かれてあった。
合衆国政府は必死になってそのばら撒かれたビラを回収、事実を隠蔽しようとしたが、到底それは不可能だった。
回収できなかったうちの何枚かは当然のごとくマスコミの手にわたる。
それからはあっという間に西海岸の住民の間にこの事実が広まっていった。
日本から攻撃予告をされている西海岸の住民らにとって豪州のブリスベンやシドニーが灰燼に帰したことは、まだ生々しい記憶として残っている。
そして、厳重警戒中と言っていたのにもかかわらず、米軍はあっさりと本土に日本機の侵入を許した。
西海岸の住民らにとっては命に直結する情報だ。
彼らは新聞はもとより還ってきた捕虜の口からも日本軍の恐ろしさを聞いている。
太平洋艦隊が誇る戦艦や空母をあっさりと屠った獰猛な艦載機群。
巡洋艦や駆逐艦を次々に沈めた探知不能の謎の潜水艦。
ブリスベンならびにシドニーを炎の海に沈めた巨大戦艦。
東海岸と違い、日本との戦争の矢面に立たされる西海岸住民はこう考える。
「なぜ自分たちの政府はこんな恐ろしい海軍力を持つ国に戦争をするようにけしかけたのだろうか」
西海岸の住民は最初、日本艦隊に恐怖した。
だがしかし、時間がたつにつれそれは政府への怒りへと変わっていった。
軍令部と連合艦隊司令部は伊二五潜の成功電とともに、諜報によって米国のマスコミが報じた西海岸の混乱状況を確認した。
好機だった。
米国の国民感情、特に西海岸住民のそれを考えれば米空母のインド洋への派遣はまず不可能だろう。
太平洋をがら空きにまでしてインド洋の英軍を助けようとすれば国民の反発は必至だ。
「米機動部隊に側背を突かれる恐れは無い」
そう判断した山本長官はただちに第一機動艦隊に出撃を命じた。
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