第10話 特設空母「春日丸」

 太陽の位置を見れば、艦が西へ向けて航行していることはすぐに分かった。

 さほど長くない飛行甲板の後方では対潜哨戒の任にあたる九七艦攻が暖気運転を開始している。

 特設空母「春日丸」はウェーク島攻略作戦の支援任務を果たしたと判断したのか、日本本土へと向かっているようだ。

 「春日丸」戦闘機隊第三小隊を率いた飛曹長は昨日までのことを思い出している。

 「春日丸」は当初はウェーク島攻略作戦ではなく南方作戦に参加し、主にフィリピン方面で活動するはずだったという。

 だが、どこかのお偉いさんの要請でウェーク島攻略の支援につくことになったらしい。

 開戦前、「春日丸」はマーシャル諸島に行く際、同諸島への補給物資を積んだ複数の商船を護衛する命令を受けていた。

 噂によるとそれら商船には通常の補給物資とは別に大量の航空魚雷が積まれており、それは通常の在庫のみならず本土に展開する航空隊から半ば強引に取り上げるようにして調達されたものらしい。

 内地の航空隊からは、これでは本土防衛に責任が持てないと文句がきたらしいが、ここでもどこかのお偉いさんが何か言ったらしく、それ以後の苦情はきれいさっぱり無くなったという。

 そして一二月八日、艦長による艦内放送があり、開戦の知らせとともに「春日丸」はウェーク島攻略作戦に参加するということが将兵に告げられた。

 飛曹長はこの時にこれから戦争がはじまるのだということを知った。


 「春日丸」が旧式駆逐艦とともにマーシャル諸島を発ったのは戦争が始まって一週間以上経ってからだった。

 ウェーク島近海に着いてからは慌ただしかった。

 米軍のウェーク島にある航空機のほとんどはマーシャルの陸攻隊が開戦と同時に撃破したものの、それでも複数の戦闘機の生き残りがあったらしい。

 「春日丸」はまず、敵戦闘機の掃討を開始した。

 制空権の奪取は島嶼攻略の第一歩だ。

 このとき、「春日丸」には零戦一二機と九七艦攻が九機搭載されていた。

 ウェーク島に爆撃機は確認されていないが、念のため上空警戒に零戦の半数を残し、残る半数が敵戦闘機撃滅に出撃した。

 驚きだったのは空母を発艦してから思いのほかすぐにウェーク島が見えたことだった。

 突撃好きだという噂がある司令官が指揮しているらしいが、それでも近づきすぎだろうと飛曹長は思う。

 ウェーク島上空にさしかかったとき飛曹長は四機の米機を確認した。

 飛曹長はその形状からそれらをF4Fと判断した。

 六機の零戦に対し四機のF4Fは真っ向から勝負を挑んできた。

 F4Fは二機編隊に分離し、そのうちのひとつが自分たちの小隊に向かってくる。

 飛曹長は発見当初、「六対四なら勝てる」と思っていた自分の判断の甘さに胸中で罵声を浴びせた。

 二機編隊になったF4Fの流れるような連携と機動を見れば敵が尋常ならざる技量の持ち主だということがすぐに理解できた。

 ちょっと考えれば分かる。

 多くの戦闘機が地上撃破された後で搭乗員が余っていた場合、残った貴重な機材に技量未熟な者は絶対に乗せない。

 敵は生き残った搭乗員の中の選りすぐり、しかも友軍のマーシャル航空隊との実戦経験を積み重ねてきた猛者だ。

 こちらはベテランと呼べるのは自分とあとは別の小隊を率いる小隊長の二人だけ。

 残る四人は練習航空隊を出て数カ月しか経っていない若年兵たちだ。

 「春日丸」戦闘機隊の以前の搭乗員はそのほとんどが空母「翔鶴」あるいは「瑞鶴」が就役すると同時に五航戦に転属になり、残ったのは戦闘機隊長と自分を含めた現在の三人の小隊長だけだったのだ。

 六対四と数の上では有利でも、敵は熟練者の中でも選りすぐりの手練れ四人。

 こちらは実戦経験の無いベテラン二人に若年兵が四人。

 数的には有利だが、質的には明らかに不利だ。

 ネガティブなことを考えていたのは一瞬だった。


 「正面からの敵の攻撃をやりすごし、零戦の旋回性能を生かして背後をとる」


 飛曹長は敵機の両翼が明滅したのと同時にフットバーを蹴り込みつつ操縦桿を倒す。


 一方、判断を誤っていたのはF4Fの搭乗員も同じだった。

 正面から向かってきた三機の敵機のうちの一機にエンジンから煙を吐き出させることに成功したまでは良かった。

 こちらには弾道が低伸する高性能の一二・七ミリ機銃がある。

 正面からの撃ち合いではどの国の戦闘機にも後れをとることはない。

 だが、F4Fの搭乗員がしめたと思ったのもつかの間、敵の一番機が見たことも無いような急旋回で二番機の後方につけ、大口径の機関砲を撃ち込んでこれを撃墜した。


 「日本の戦闘機の旋回性能は想像を絶している」


 互いに一機ずつを失い二対一となる。

 数的不利は決定的だ。

 それでもF4Fの搭乗員は逃げる気はなかった。

 自分が逃げれば対峙しているこの二機は別の小隊の方に向かうだろう。

 そうなればその小隊は間違いなく撃滅される。

 F4Fの搭乗員は僚機を墜とした明らかに手練れの敵一番機に向かっていった。

 そして、僚機の後を追った。


 最終的には数に勝る零戦がすべてのF4Fを墜とした。

 飛曹長は一機撃墜、さらにもう一機を共同撃墜していた。

 だが、喜ぶ気にはなれなかった。

 三番機を失ったからだ。

 三番機はF4Fの正面からの銃撃を回避できずに被弾、発動機から盛大に煙を吐き出して墜落していった。

 操縦していたのは物覚えが良くて素直な、将来が楽しみな少年兵だった。

 別の小隊も一機を失っており、戦死したのは同じく若年兵だった。


 この日をもってウェーク島の米軍の空の抵抗は終わった。

 この戦いで日本軍はF4Fを四機撃墜したかわりに零戦二機を失い二機が被弾、そのうち一機は再使用不能と判定された。

 その後、「春日丸」の零戦は地上銃撃、九七艦攻は爆撃でウェーク島に上陸した友軍を支援した。

 その際に九七艦攻一機が地上からの対空砲火で撃墜され、零戦と九七艦攻それぞれ一機が損傷した。

 そして、現在に至っても地上では友軍とウェーク島守備隊との戦闘が続いている。

 このタイミングで「春日丸」がウェーク島を離れる理由が飛曹長には分からない。

 理由をあれこれ考えていたら、情報通の同期が「他言無用」といつになく硬い表情でささやくように話しかけてきた。


 「太平洋艦隊の主力がこちらに向かってきているらしい」

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