金満艦隊

蒼 飛雲

金満艦隊

プロローグ

第1話 お金持ちの提督

 「電探に感あり。方位六〇度、距離一〇〇浬、機数約七〇」


 「ほう、距離や方位だけでなく機数まで分かるのか」


 第二航空戦隊司令官である山口少将の感心したような声に、早くから電探の有用性を理解し、今やその信奉者と言っていい軍令部第二部第三課長の柳本大佐はうれしそうに目を細める。

 その柳本課長は今回の演習で電探が実戦で使い物になるかどうかが試されるというのを聞きつけ、ある男に頼み込んで空母「蒼龍」への乗艦を許可されていた。

 もちろん、柳本大佐が持つ軍令部第三課長という肩書も大きくものをいっていることは言うまでもない。


 そして現在、この海域の気象は曇天なれども波穏やかといったところで、艦艇の航行にはまったく支障はない。

 しかし、肉眼による敵機の早期発見には最悪とはいえないまでも決して良好なコンディションではなかった。

 まあ、仮に晴天であったとしても一〇〇浬も先の航空機を艦上から肉眼で見ることの出来る者などいはしないのだが。


 あるいは、もしいるとすればそれは神か妖怪、あるいは千里眼といった異能を持つ存在だけだろう。

 いずれにせよ、ふつうの人間には不可能だ。

 逆に言えば、そのことで電探の兵器としての有用さもまた理解できる。


 一分一秒を争う展開の速い洋上航空戦において、敵の早期発見によるリアクションタイムの確保は絶対条件だ。

 戦闘機を迎撃に出すにせよ、急降下爆撃機や攻撃機を空中退避させるにせよ、それなりの手間と時間がかかるのだ。

 敵機の発見が遅れたせいで空母が被弾、そのときに爆弾や魚雷を装備した艦上機を抱えていたら目も当てられない。

 間違いなく破滅だ。

 だから、物分りのいい連中ほど今この時、電探の威力を身にしみて思い知らされていた。


 「敵編隊発見、二時の方向、距離一〇〇浬、機数七〇。上空警戒機は直ちに迎撃に向かえ」


 電探操作員からの報告を受けた飛行長が無線で指示を出す。

 艦隊上空にあった零戦四個小隊一二機が指示のあった方向へ機首を向け進撃していく。

 その間にも即応待機中だった零戦が飛行甲板を蹴って次々と駆け昇っていく。


 現在、海軍の演習指定海域で空母「赤城」と「加賀」を擁する第一航空戦隊と「蒼龍」ならびに「飛龍」からなる第二航空戦隊の空母同士の洋上航空戦を想定した訓練が行われていた。

 特筆すべきは一航戦は電探を使わず、二航戦はこれを使用しているということだ。

 この措置は、ある男の問題提起によって電探の有無が防空戦闘にどのような影響があるのかを調べるためだ。

 演習には連合艦隊司令長官の山本大将も立ち会っており、彼は現在「蒼龍」艦橋においてその推移を見守っている。


 実のところ、この演習に反対する者は少なくなかった。

 狭い空域に多数の航空機が飛び交う中で撃墜判定が正確にできるのかといった疑問を抱く者、あるいは接触や衝突事故の危険性を訴える者。

 なんにせよ、海軍にとって前代未聞の演習だった。


 「だが、これだけはやっておかねばなるまい」


 山本長官は胸中でそうつぶやきつつ、すぐ隣にいる男を横目で見る。

 緊張感も威厳も無い、苦労知らずの若旦那がそのまま年をとったような少将の階級章を持つ男。

 だが、その男は自身の腕一本で昭和初期の米国駐在中にすさまじいまでの財を築き上げた。

 きっかけはその男の米国行きの壮行会での海軍大臣の発言だったらしい。


 「わが大日本帝国が、その貧乏海軍がなけなしの金で君を米国へやるんだ。しっかり仕事をしてきてくれ」


 時の海軍大臣の言葉を受けて男はこう言ったそうだ。


 「金持ちの米国でどうやったら国が豊かになるかも学んできます。ところで、大臣は海軍だけでなく国力の増強にも心を砕いておられますが、もし私が駆逐艦を一隻献納すれば、それから一年間は無任所で自由にさせてもらってよろしいでしょうか」


 男の不遜ともいえる問いかけに、だがしかし器の大きな海軍大臣はこう言って大笑したらしい。


 「佐官ポスト一つで駆逐艦がもらえるなら安いものだ。君のような人間が一〇人いれば毎年水雷戦隊がつくれるし国も助かる。一〇年後には我が国の水雷戦隊は世界最強となるだろう」


 その時代、米国では株式市場が絶好調で、今でいうところのバブルだった。

 男は米国へ渡ると同時に当時は誰も気づかなかった「金融技術」の粋を駆使しておおいに稼ぎまくった。

 その稼ぎっぷりは、業界の人間から「株価の未来が見える日本人」「神の相場観を持つ男」として畏怖された。

 男は一年で海軍に駆逐艦と同じ額の金銭を献納した。

 一方の海軍大臣も人物だった。

 約束通り男を無任所にしたのだ。

 そして、米国に駐在中、男は毎年駆逐艦一隻の建造費用を献納した。

 帰国するまでに男が米国で稼いだ額は数億円にものぼったと噂されているが、正確な数字は誰も知らない。

 一億円もあれば戦艦を買って余裕でお釣りがくる時代の話だ。


 男は帰国後も米国駐在中に得た金を元手に株や為替、ときに現物取引など、ありとあらゆる商取引を世界中で展開していたらしい。

 将官になった今も毎年駆逐艦を献納して無任所を続けている。


 「軍人が金儲けに精を出すというのはいかがなものか」


 そう言って男に対して眉をひそめる人間も海軍内には少なくない。

 以前は男が米国駐在中に、金の力に物を言わせて多数の金髪美女を侍らせていたといった怪情報がまことしやかに流れていたこともあった。

 噂や流言飛語の形をとった誹謗中傷の類ではあったが、当人はまったく気にする様子はなかった。

 金持ちに対する妬みややっかみは日本人の十八番だ。

 気にしても仕方がない。

 それに、男は金髪バインバインも嫌いではないが、それよりも黒髪かそれに近い茶髪のサイドテールが好みで、ツンデレ巨乳なら言うことなしだった。


 そんな男ではあったが、一方で海軍から受け取る俸給をすべて殉職者の遺族や傷痍軍人のために寄付していることも知られており、表立って男を批判する人間はいない。

 それに帝国海軍としても「金蔓」としての男の価値を認めている。

 将官でありながら無任所という異例の立場がまかり通っているのも男が持つ「金」の力だ。

 実際、正式採用されて間もない零戦がこの時期にしかるべき数をそろえられるのも、電探の開発が英米にさほど遅れることなく済んだのも、この男による潤沢な資金援助があったおかげだ。

 この男をないがしろにするなど貧乏海軍に出来るはずもない。

 ついでに言えばこの演習も男が提案、それにかかる費用のほとんどもこの男が出していた。

 男の名は金田満。

 羨望や嫉妬、軽蔑など好悪入り混じった感情を込めて人々は彼のことを陰で「金満提督」と呼んだ。

 本人もそのことは承知しているようだが、特に気にしている様子はない。


 「迎撃第一陣、敵編隊と接触」


 電探操作員の声を受け、山本長官は意識を男から演習へと戻す。

 敵編隊発見時に艦隊上空にあった二航戦の零戦が空戦に突入したようだ。

 電探の反応から、敵編隊は護衛の戦闘機の一部を割いて二航戦の零戦一二機に対応し、他はそのまま進撃を続けているらしい。

 それから数分後、遅れて「蒼龍」ならびに「飛龍」から飛びたった三〇機の零戦がそのまま進撃を続ける敵編隊に立ちはだかった。

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