ドラゴン物語

旧星 零

第一章 龍になった男

紫陽視点

空の上のドラゴン

 それは、まだ空に龍が飛んでいた頃のお話。




 おれは、街の人々に愛されている。

 ほんとうに、とても愛されている。

たとえば、町長のゲオルグさんに挨拶をすれば。


「おはよう、ゲオルグさん」

「やあ、紫陽ぼうや。今日も偉いねえ」

「へへっ」

「うんうん、いい笑顔だ」 

「わっ、ありがとうな」

「たくさん食べて、もっと大きくなるんだぞ」

「あはは……」


 必ずあめ玉や菓子類をもらえるのだ。……子ども扱いされているようで、あまり嬉しくはないが。

ほかにも。

 

「うまれてきてくれてありがとう!」

「今日も整った顔立ちだな!」

「逞しくて筋肉質!」

「素晴らしい! ほんとうに素晴らしい!」

「ありがとう!」

「うまれてきてくれてありがとう!」

「お、兄ちゃんか。なら、負けておくぜ!」


 今日もおれは、たくさんのヒトから愛され、誉められている。町を出歩くたびに通行人からは歓声があがり、買い物をするたびに値引きしてもらえる。行く先々で、おれは愛されていると実感している。


「こちらこそ、ありがとう、みんな」


 だが、おれは最近、この状況に素直に喜べなくなった。

 

「いやいや、当たり前のことをしたまでだよ」

「そうそう、当然のことさ」

「ほんとうに、ここまでは長かったねえ」

「うんうん」

「やっと、だな……」

「何もかも順調ねえ」


 ひそひそと顔を合わせて囁き合う街の人たち。


「おい、何の話だ?」

「なんでもないよ!」

「そうそう、なんでもないさ!」

「そうか?」

「おうとも!」

「兄ちゃん、つぎもウチに買いに来てくれよ!」

「ああ」


 どうも、みんなの反応が不自然なのだ。おれが首をかしげていると、父親代わりの朱狼がやってきた。朱狼は仕事用のジャックナイフを腰に下げている。


「ここまで長かったって……」

「もちろん、紫陽が立派に成長するまでってことさ!」

「ふーん」

「昔に比べて、立派になったなあ、紫陽」

「ああ、だろ?」

「俺の背丈を越しやがって」 

「朱狼が小さいんだろ!」

「なんだと、こいつめ」

「うわっ」


 朗らかな笑顔で、朱狼はおれの髪を乱暴に撫でた。おかげで、鏡のまえで格闘した30分が無駄になってしまった。


「やめてくれよ」

「照れてるなあ?」

「……べつに」

「おーおー、まだまだ子どもだなあ」

「さっきは立派になったと言ったじゃないか」

「昔と比べて、な」

「ぐぬぬ……」


 おれが悔しさでうなっていると、朱狼はふいに真面目な顔を作った。


「おまえは、まだまだ未熟だよ」

「わかってる」

「いや、わかってない」 


 それだけ言い残して、朱狼は去ってしまった。結局、おれはみんなの中に感じた違和感を解消することはなく、帰路についた。




「ただいま」

 

 お帰りなさい、と声をかける人はいない。この家に住むのは、おれと家主の朱狼のみ。むかしはひどく寂しかったはずなのに、いまでは何とも思えなくなった。これが、成長したと言うことなのだろうか。


 おれが朱狼の養子になった経緯はこうだ。

 ある雷の晩に、朱狼の家の戸を激しく叩く音がした。朱狼が慌てて戸を開くと、中に女が入ってきた。女はびしょ濡れで、ひどく衰弱した様子だった。

胸には純白の布に包まれた赤ん坊を抱いていた。それが、おれだったらしい。

 女は朱狼におれを押しつけると、すぐに家から飛びだしたらしい。引き留めようと戸から顔を出した朱狼がさいごに見たのは。

 雷に打たれた、女の姿だった。

 

 だから、おれには血の繋がった家族というものはいない。家族は、おれを引き取ったトマスのみなのだ。




 食卓のちらかり具合に、おれはため息をついた。 


「ああ、また物をとっちらかして……」


 朱狼は、ランドサラマンダー狩りを生業としている。

竜とは、ウロコがあり腹の肥えたサラマンダーに、ちいさなハネが生えたモンスターだ。ハネは飾りで、飛行能力はないらしい。


 竜のウロコは高く売れる。だが、竜は凶暴で、その鋭いツメやキバで人を襲う。だから竜を狩るというのはたいへんに危険な仕事だ。


 そういうわけで、朱狼は日ごろから竜を狩るだけではなく竜に対抗するために、竜の生態について研究している。だから、家にはトマスが集めた竜に関する資料であふれている。


「とりあえず、項目ごとに分けておくか」


 トマスの持ち物らしき資料を片付けていると、ふと気になるものを見つけた。



「えっと、『龍の伝説』……『龍』?」

 


 それは朱狼の資料の一つで、表紙には竜によく似たモンスターが描かれている。ただ、気になるのは、実際の竜よりもひどく痩せ細っていて、大きなつばさが生えている点だ。



「もしかして、『龍』は竜のことなのか……?」


 やけに表紙のモンスターが気になったおれは、その資料の束に目を通した。

資料は文字よりも絵が多く、その絵はどこかの遺跡を写し取ったようなものが多い。



 内容を要約すると、こうだ。 



 あるところに『龍』がいた。『龍』は寂しがり屋で、寂しくならないように仲間を作った。

それが、ヒト。だが、ヒトは脆く、なかなか『龍』の思うようにはいかない。


たとえば、『龍』があくびをしただけで、ヒトの作ったクニが滅んだ。

たとえば、『龍』が地を歩くだけで地響きが起き、多くのヒトが死に絶えた。


 だから『龍』は、地から飛び立つことにした。そして『龍』はいまでもヒトを空から見守っている、という話。




「なんだ、竜とは関係ないみたいだな」


 ところどころ破かれ、朱狼にしては保存状態のひどい資料だが、あまり役に立つことはなさそうなことばかり書いてあった。

『龍』と竜の関連性は、わからずじまいだ。


 そしておれは、深く考えることなく、それをほかの資料の上に置いた。






「ゲオルグさん、おはよう!」

「おはよう、シオン」

「今日もアメ、ありがとう……あれっ」  

「おや、どうしたんだ」

「いや、今日は街のみんなに良いことがあるのかな、と思って」

「そうだねえ」


 ゲオルグさんは、顎からのびる白ヒゲを撫でて笑った。


「いいことが、あるんだよ」

「そりゃ良かった」


 良いこと。そういえば、おれの母親がトマスを訪ねた日から、今日で20年だ。


「もしかして、それって……」

「なあ、シオン坊や」

「なんだ?」

「案内したいところがあるんだ。ついてきてくれるかい?」

「ああ、いいよ」


 ひょっとしたら、サプライズでなにか用意しているのかもしれない。おれは自分にとっての特別な日であることを忘れたフリをして、ゲオルグさんについていくことにした。


「その前に」

「ん?」

「これを目隠しとして着けてくれ」


 手渡されたのは、純白の布。


「それは、坊やがここへ来たときに身につけていたものだ」

「ああ、朱狼から渡されてたのか」

「この日のためにね」

「……そうか」


 そして、おれはゲオルグさんに手を引かれ、真っ白な視界の中を歩んだ。


「こっちだよ」

「……」


 風の音が、ひどく鮮明に聴こえる。


「そしてあっちだ」

「……うん」

「枝に引っかからないように」

 

 声と手に導かれるうち、だんだんとどこから来て、どこへむかうのか。そもそも、いま手を引いている人物はほんとうにゲオルグさんなのか。

おれはすべてに、不透明さを感じるようになった。


「ゲオルグさん」 

「……」 

「着きましたか、ゲオルグさん」

「……」


 返事は、返ってこない。  


「坊や、目隠しをとってもいいぞ」

「!」




 視界が開けた先で、まっていたのは。

 白々と光るウロコ。鋭いツメとキバ。射貫くような力強い瞳。

そのモンスターは、こちらをじっと見据えている。


「まさか、龍なのか!?」


 血の気盛んに咆哮する、竜によく似たモンスター。細く長いしっぽが鞭を打つようにしなび、舌のように滑らかに動く。

そのモンスターがつばさを上下するだけで、突風があがった。

 皮肉なことに、おれの目を隠した布と、そのモンスターのウロコの色はともに純白だった。


「ゲオルグさん、ゲオルグさんッ!!」

「落ちつきなさい、坊や」

「……どうして、こんなことにッ」

「よく聞きなさい」


 ふだんの、穏やかなゲオルグさんとは違う、低くざらざらとした声色。


「坊やは、『龍』を知っているのか?」

「……朱狼の資料で、そういう伝説があると知った」

「伝説じゃあないっ!」


 ゲオルグさんが叫んだ。


「何度も、何度も龍は、地に降り立った!」

「伝説では、空にいると……」

「『龍』は、ヒトを喰う」

「ヒトを!?」

「この町の民も、どんどん喰われていった」

「そんな……」


 ゲオルグさんはあの町を愛している。町に住むヒトたちが喰われていくことに、ひどく胸を痛めたことだろう。

しかし。


「しかし、おれの生きてきたなかで、一度として『龍』を見たことは!」

「当たり前だ」 

「え?」


 ゲオルグさんは、厳めしい顔つきで、言葉を続けた。


「坊やの父親代わりの朱狼が、竜を狩ってきたからな」

 

 ゲオルグさん曰く、竜とは『龍』の幼体らしい。竜が成長する過程で、つばさが大きくなる。

つばさが大きくなって空を飛べるようになったものを、『龍』と呼ぶらしい。



 だが、そんなことはどうでも良い。そもそも、今こうしてのんきに話している場合ではない。


「それでッ、なんで今おれたちは『龍』の目と鼻の先に!」

「龍を殺すためさ。坊やはそのためだけに、今日まで生きてきたんだ」

「ころ、す?」

「……時間切れだ」

  

 ぱちん、と糸の切れたような音がした。


「グルアアアアア!」

「善処してくれ、坊や」

「どこへ行くんですかッ!!」

 

 なぜか、『龍』はおれを狙っている。


「坊や、さいごにひとつ言っておくよ」

「……?」

「うまれてきてくれてありがとう」


 そのとき初めて、ゲオルグさんの本心からの笑みを見た。


「グルアッ、グガアアア」


その言葉の、その表情の意味を問う前に、長い首をのばした龍が、襲いかかってきた。

一瞬だった。一瞬でおれは、そいつに首元を咬まれた。


皮の引き攣ったような感覚が走る。生暖かくどろついた液体が飛沫を上げて飛び出していくのを、おれは他人事のように眺めていた。

ゲオルグさんにもらった布が、緋色に染まっていく。

「う、あ……ぁ」

 痛みが意識を引き留めようとするが、だんだんと熱が奪われはじめている。

「ぁ、くそっ……」

 悪態をつく間もなく、おれは意識を手放した。


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