第7話 運命は変わらないけれど 2

 莉愛はついに自宅療養が出来なくなり、病院のベットで生命維持装置を着けなければ生きられなくなるほど病状が悪化した。

 意識はあるものの、莉愛は喋ることもままならず、ただ苦しそうな顔を見せるだけ。

 ここまでくると笑った顔すらも苦しそうで。けれど僕達はなおも笑てくれる莉愛に笑顔を返し続けた。

 僕は莉愛と二人きりになると旧校舎の時の事を思い出し、本すらも読めない莉愛に、僕は出来るだけ簡単で、短編物の本を読み聞かせていた。

「……そこで、彼は言いました。君は一人じゃない、皆がいるから生きていけるんだ」

 莉愛に読み聞かせたい。そう思っていると、僕は物語に没頭することはまったくなくて、少しだけ読み聞かせがうまい人、ぐらいに落ち着くことが出来ていた。

 僕は、いつの間にか癖が克服出来ていることを莉愛に感謝をしながら、彼女のために出来ることをしていた。

「――めでたしめでたし」

 読み終えて本を閉じると、莉愛はにっこりと笑ってくれる。

「……僕は今日はそろそろ帰らないと……ごめんね、莉愛」

 寂しげに、僕は頭を撫でる。笑って誤魔化しているつもりだが、きっとそこまでちゃんとは誤魔化せていないのは、自分でも分かっていた。

「それじゃあね。……愛してるよ。また明日」

 おでこにキスをして、僕はおまじないのように毎回そういって、病室を後にする。



 一人になると辛くて。覚悟していたはずなのに、やっぱり現実になると耐えられなくて。

 好きな人が死に行くのが怖い。明日会えなくなるのが堪らなく嫌だ。

 そんな恐怖におびえながら、僕は一人になると、ひっそりと泣いていた。



「……大丈夫か?」

 学校で、日向の声に我に返る。

「大丈夫か? 相当辛そうな顔をしているぞ」

 日向に続き、武の心配する声が聞こえる。

「あんまり考えてもよくないよ~。楽しくいなくちゃね」

 3人は事情を知っているのに、陽気にいつもの雰囲気で僕に接してくれていた。

 僕は死についてずっと考えていた。そのせいか、段々と暗くなっていく一方で。考えても仕方がないことなのに、考えずにいられない。

 でも、友達が話してくれるだけで、それを考えなくて済む。正直、かなり助かっていた。

「亜樹……こんな時に言うのも変な話なんだが……」

 改まった様子で日向は僕にそういう。

「ん?」

 何だろうと思って話を聞くと、

「俺、美穂と付き合うことになったぞ」

「え!? みほって、立花美穂さん!?」

 僕は思わぬ朗報に、楽しい感情が蘇る。

「ああ。大学入る前に。もう会える機会も減ってきたし、思い切ってアタックしてみたんだ」

「うんうん!」

「そしたら、めっちゃ泣いて、あんなツンツンしてた人が、もうデレデレになっちゃって……」

「へぇ~……そうなんだ~ふ~ん」

 ぼくはニヤニヤしながら相槌を返す。

「……凄くかわいいんじゃない?」

 わかってますよといった顔をしながら、僕は日向に聞いた。

「……めっちゃ」

 少し照れたように日向はそう返してきた。

「だよね~!」

 と、僕は日向と二人でのろけた話をしていると陽介がどうやら不満なようで、

「ふたりして勝ち組になっちゃってずるい~! 俺なんて女子よってこないのに~!」

 不安を垂れる陽介に、

「お前は節操を身に着けろ」

 と、武が切り捨てる。

 このいつものやりとり、懐かしいな。と、最近落ち込んでいた僕は、日向の朗報のお陰で、笑うことができた。

 少しだけ元気になった僕は、午後の授業中、弱気になっちゃだめだと自分を鼓舞し、放課後にまた何を読み聞かせようかと考えていた。

「……東條亜樹くんはいますか!?」

 しかし……突如教室の扉が開くと、慌てた様子で教科担当じゃない先生が入ってきて、僕の名前を呼んだ。

 その言葉は、僕に悪い知らせが来たという合図なのは、話を聞く前から分かった。



 僕は無我夢中で走った。

 嫌だ。まだお別れしたくない。まだまだ、莉愛と生きたい。どんな姿だっていい、生きてさえいてくれればそれでいい。

 嫌だ……嫌だ……嫌だ! まだしたいことは沢山あるのに!

 僕は強い感情に支配されそうになった。だからこそ落ち着けと心に言い聞かせる。落ち着け。……だめだ、感情的になるな。後悔しない為にこれまで色々してきたんじゃないか。

 僕は、最後まで彼女を安心させて上げないと!


「莉愛!!」

 僕は勢いよく病室の扉を開け、病室に入ると、莉愛のお義母さんが、しっかりと両手で莉愛の手を握っていた。

 莉愛は目を閉じ、意識はなく、生きてると分かるのは、モニターがピッピッと音を立てているから。その動きは、昨日よりもかなり小さくなっていて、彼女の心臓が、鼓動を終えようとしているのが分かる。

「莉愛……もういってしまうのかい?」

 お義母さんはとても冷静で、寂しそうだが、莉愛さんを安心させたいのか、優しく声をかけていた。

 僕も、お義母さんと反対に座り、莉愛の反対の手を握る。

 莉愛の手に力はなく、僕はお義母さんと違い、泣くのを我慢するので精一杯だった。

 お義母さんは、優しく莉愛に言葉をかけ続ける。

「ほんとうにありがとうねぇ。莉愛がいて凄い幸せだったよ。なにするにも明るくて、病気になっても、莉愛が私達を励ましてくれたりして。あなたが旅行に行きたいって言ってくれたお陰で沢山の思い出が出来たよ。亜樹くんをつれてきてくれたお陰で、家もにぎやかになって。皆が頻繁にお見舞いに来てくれて、毎日退屈しなくて……本当に楽しかったわ」

 何処までも優しく語るお義母さんの言葉に、僕が涙を耐えれなくて。

 僕は泣きながら、最後に、思いの丈を伝える。

「莉愛! 大好きだ! ずっと……ずっと莉愛の側にいられて本当に嬉しかった! 幸せだった! 莉愛と出会ってなかったら……僕は今もあの場所で一人本を呼んでいたと思う! それはきっと虚しくて、寂しくて、こんなにも彩ある人生にはなっていなかった! 僕と出会ってくれてありがとう……莉愛……」

 いろんな水分でぐしゃぐしゃになりながらも、僕は莉愛の手を強く握りしめ、最大限のお礼を伝えた。

「これからもずっと……君を想い続けるよ」

 強く、祈るように思いを込めた。

 ……すると、力強く握った莉愛の手が……一瞬ピクリと動いたような気がした。

 僕は顔を上げ、泣き顔のまま目を見開き、莉愛の顔を見る。


 ……これは奇跡なのだろか。本当に、こんなことがあるんだろうか。

 うっすらとだが、莉愛は目を開いた。そして、両サイドにいる僕とお義母さんを、ゆっくりと視線を動かし交互に見た。

「莉愛!」

 僕は嬉しくて、また涙が溢れてくる。

 溢れる涙を止める間はない。僕は彼女の意識があるなら、何度でも言おう。

「莉愛、愛してる! 大好きだ! ずっとずっと大好きだよ!」

僕の言葉に、本当に小さくだが、莉愛の口元が笑った。

「ずっとそばにいるから……絶対に離さないから!」

 莉愛は、僕の言葉に答えてくれるように、本当に、小さくだが、首を縦に振ってくれた。

 嬉しくて、僕が握る莉愛の手が、僅かだが握り返してくれた。

 目を覚ました莉愛に、僕は心の底から感動していると……

「りああああああああ~!!」

 と、病室の外から立花さんの声が聞こえ、飛び込むように病室に入ってくる。それについてくるように、日向達も授業を抜け出してやってきた。

 立花さんは既に泣いていて、ベットに眠る莉愛に抱きつく。

「やだぁ! やだよぉ! りぃ! 死なないでよ! もっともっと一緒にお話しようよ! 元気になって一緒におでかけするんでしょ!? 私達、ずっとずっと親友なんでしょ!? 私を置いて死ぬなんて……絶対に許さないんだから!」

 あんなに莉愛の死を覚悟していたのに。立花さんは、誰よりも泣き喚いていた。彼女の言葉は、ここにいる全員が思っていることで、抑え込んでいた気持ちが、嫌な現実を受け入れたくなくて、否定したくて、彼女は莉愛の死を否定する言葉が口から勝手に出てきてしまう。

「止めろ美穂……もう……わかってるだろ……」

 日向は優しく立花さんを引きはがし、慰める様に後ろから抱きしめる。

「……うわああああああ!!」

 長い間一緒にいた親友の死。先日まで高校生だった彼女には、覚悟をしていても到底受け入れられるはずもなく、受け入れなければいけないという思こそあれど、それを実行するには、彼女も、僕も、まだ幼い。

「……最後だぞ。受け入れろ。そして……親友らしい言葉をかけてやれよ」

 目に涙を貯めながらも、日向は冷静に、立花さんに優しく語りかける。

「うぅ……ひっく……りぃ……楽しかったよ……ずっとずっと一緒にいて……毎日私のくだらない話聞いてくれて……ありがとう……ずっとずっと……親友だよ……大好き……」

 涙と嗚咽で途切れ途切れになりながら、立花さんは最後にそう声をかけた。

 莉愛はそれに対し心配そうに笑い、頷いた。

「うぁぁあああ~……」

 頷いた莉愛に、立花さんは感情をむき出しに、莉愛のお腹に顔を埋める様にその場に泣き崩れる。

「莉愛!」

 そして最後に、仕事場からお義父さんが到着した。

「はぁ……はぁ……莉愛……」

 事態が深刻なのは当然わかっていて、お義父さんはお義母さんの隣に来ると、お義母さんと共に、莉愛の手を握る。莉愛とお義父さんは目が合うと、全てを悟ったかのように一言言った。

「……生まれてきてくれてありがとう。莉愛」

 お義父さんは、涙を見せることなく、幸せそうに笑っていた。

 その笑顔に答えるように、莉愛はにっこりと笑っていた。

 莉愛は、一人一人の顔をゆっくりと見る。お義父さん、お義母さん、立花さん、僕、日向、武、陽介。皆目が会うたびに、莉愛に笑いかける。莉愛の顔に死を恐れた様子はなくて。こんな死ぬ間際にまでも、彼女は僕達を笑顔にしてくれた。

 そして……最後に、皆の顔をみると莉愛の口が、ゆっくりと動く。


「…………」


 声は聞こえない。けれど、僕達はそれぞれがはっきりと、莉愛の発した言葉を認識した。

 莉愛はもう一度最後に笑顔を見せると……力なく、ゆっくりと目を閉じ……莉愛の手に籠っていた僅かな力は、ゆっくりと消えていった。


 生命維持装置のモニターがピーーーと甲高い音を上げ、莉愛の死を皆に知らせた。

 立花さんの悲しい悲鳴が……春が始まる陽気な空に響いた……。

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