第6話 一時の幸せ 2
そして翌日。正装をして、白々家の皆が家を尋ねに来た。
東條家も正装し、僕はドキドキしながら話し合いが始まる。
この話し合いは僕の話題が中心だが、子供の僕にそのやり取りに入る隙はあまりなく、僕はほとんど聞くだけで、自分の無力さに劣等感を感じた。
僕達が高校生であること。責任の所在、経済力のない僕をどうするのか。日々の生活をどうするのか。その生活費はどうするのか。
その他いろいろ襲い来る現実的な話し合いに、僕は自分たちの夢物語に突き合わせているような気持ちに襲われ、急激な不安に襲られる。ふいに、僕は莉愛さんの顔を見る。
僕は、相当不安な顔をしていたのだろうか。莉愛さんは励ます様に、優しく微笑みかけてくれた。
……そうだ。これは僕だけの話じゃない。夢物語で考えていた事を、現実にしなければ。その為に動いてくれる大人達を、裏切ってはいけない。
いろんな話し合いの結果、僕にいくつかの条件が出た。
僕は変わらずに学校に通う事。学業に影響がでない範囲で節度ある生活をすること。その他細かいルールが課せられた。僕はそのすべてを肯定し、迷いを見せることはなく、難しい話し合いが終わる。
いくら命短き彼女の為であっても、息子が常識から外れるような生活にはしたくないとの僕の両親からの提案だ。僕は、当然の言葉にそれを否定することもできず、していい物とも思えず、首を縦に振った。
すると、莉愛さんが唐突に緊張した様子で立ち上がる。
「あ、あの……お義父さん、お義母さん! こ、この度は……私達の我儘を受け入れてくれて……ありがとうございます!」
硬い動きで頭を下げる。僕もそれに合わせて立ち上がって頭を下げる。
「えと……私が言える立場じゃないかもですけど……亜樹くんと……し、幸せになります!」
そういって嬉しそうに笑う莉愛さんに、僕の両親は顔を見合わせると、
「ええ。亜樹をよろしくね。莉愛ちゃん」
「馬鹿な息子だが、よろしくお願いする」
と、優しく笑顔でそう言ってくれた。
「はい!」
堅苦しい話は終わり、両親を交えて、莉愛さんの持ち前の明るさのお陰で雰囲気は和やかになり、僕や莉愛さんの昔話をしたり、優しい時間が過ぎていった。
3日後、色々な準備を早急に進め、早々に僕は莉愛さんの家に行くことになった。
目まぐるしく動く日々に精神的に疲れがきているが、莉愛さんのためであり、自分のためだと考えると辛くはなかった。
夕方頃、自宅での最後の時間を過ごすと、僕は手荷物を持ち、家の前で迎えに来てくれた莉愛さんのお義母さんの車に乗ろうとしていた。
「それじゃ、行ってきます」
見送り出てきた母さんと父さんに別れを告げる。
「行ってらっしゃい。……帰ってこないのを祈ってるけれど、いつでも帰っておいで。一緒に遊びに来てもいいのよ」
母は寂しいのだろうか。少しだけ、声が震えていたけれど、それを見せたりはしなかった。
「じゃあな。元気でやれよ」
「うん。二人も元気で」
珍しい父さんの寂しげな表情に、僕も少し寂しさを感じた。
なんとも思っていなかった当たり前の家。莉愛さんの家はそれほど遠いわけじゃないけれど、毎日ここに帰ってこない事を考えると、急に寂しくなるもんなんだな。
「……では莉愛さんのお義母さん、これからよろしくお願いします」
僕は車のほうを振り返り、運転席のドアのまえで立っているお義母さんに改めて頭を下げる。
「よろしくね亜樹くん」
笑って迎えてくれる。そして、僕の後ろにいる母さんと父さんに続けて言う。
「それじゃ、息子さん預かりますね」
「ええ。よろしくお願いね~。また今度、お茶でも行きましょう」
母同士は気が付けば仲良さそうに、一大事な雰囲気を見せることなく気軽なやり取りをしてくれる。それが、僕にとっても緊張しなくてすみ、とっても助かっていた。
車に乗り込み、手を振って僕は自分の家に、一時の別れを惜しんだ。
車の後ろ窓を振り返り、見えなくなるまで手を振って来る母さんに、僕は少し涙が出そうになった。
「ごめんね~色々準備してて私だけで迎えに来ちゃって」
車で移動中、お義母さんが気さくに話しかけてくれる。
「いえいえ。すみません、色々とお手間をおかけしてしまって」
「そんなの気にしなくていいのよ。堅苦しい話し合いは終わったんだもの。これから楽しく新しい家族として楽しみましょ」
歓迎してくれる言葉に、僕の心の緊張は軽くなる。優しくしてくれて、助けられて。こんな子供の我儘に付き合ってくれて。感謝しかない。
「ありがとうございます。……正直、こんなにちゃんとしてくれるなんて、思っていませんでした」
「私達、莉愛のために何年もこうやって色々してたのよ? もう慣れっこよ。あ、聞いた? 去年か一昨年なんて、お義父さん、1年も仕事休んで、莉愛の思い出作りに時間使ったのよ?」
「あ、聞きました。それって大丈夫だったんですか?」
「色々とね。将来の莉愛の為にお金貯めてたからそれ使ったり……時々旅先で仕事してたけど、基本的に莉愛に付き合ってくれてたわ」
「凄いお義父さんですね」
仕事の事もしっかりし、家族の事も考える。それは僕の父さんもそうかもしれないが、父親の偉大さについて、僕は改めて感謝を感じた。
僕もそんな風になれるのだろうか。そう思う事しか、いまの僕には出来なかった。
今僕が考えられるのは、莉愛さんを幸せにすることだけだ。それ以上の事は、まだ出来そうにない。……正直、それすらも、具体的な計画なんてなくて、不安も沢山あった。
お義母さんとの会話もそこそこに、白々家に到着する。家は一軒家で、割と新しくて綺麗な家だった。僕もこんな家を持てるのだろうかと、さっきからそんな事ばかり考えていた。
「私、買い物した荷物あるから先に入っててちょうだい。鍵空いてるから」
そういって後ろのトランクを空けながら僕にそう告げる。
「あ、はい。お手伝いしましょうか?」
「亜樹くんも荷物一杯でしょ。大丈夫よ」
確かに。持とうと思えば持てなくもないが、両手いっぱいの荷物に、好意に甘えることに。
ここが、僕が住まわせてもらう家。ドキドキしながら、意を決して僕は家の玄関を開ける。
すると突然、僕の耳にクラッカーの破裂音が鳴り響いた。それと同時に、
「ようこそ、白々家へ~!」
「これからよろしく! 亜樹くん!」
と、莉愛さんとお義父さんの楽しそうな歓迎する声が聞こえた。
「…………」
まさかのサプライズな出迎えに、僕の頭は真っ白になる。
そして遅れて背後からも、パンッ! っとクラッカーの音が聞こえた。
「あらあら、遅れちゃったわ」
振り返ると、お義母さんもクラッカーを鳴らしていた。
緊張で一杯だった僕は、この雰囲気についてけず、固まっていた。
「……よ、よろしくお願いします」
僕は驚いた顔で小さくそう応えることしかできなかった。
「パパ、亜樹くんあんまり喜んでないよ……?」
「もしかして、サプライズ苦手なタイプだったか……?」
と、反応の悪い僕を見て、ひそひそと二人は話し合う。
僕はハッとし、慌てて訂正する。
「す、すみません! あまりにも急で驚いてしまって……あ、あはは……凄い嬉しいです」
「ご、ごめんね。そんな無理に喜ばなくてもいいよ」
「いえ。嬉しいのは本当です! ただちょっと、人生で一番ってぐらい緊張していたので……暖かい出迎えに、驚きすぎて絶句しちゃいました」
僕は、なんだか嬉しくて。こんな雰囲気の出迎えに、ほっとしたのか目が潤んでいた。
「ホントに? ならよかった! これからよろしくね! 亜樹くん!」
「はい! よろしくお願いします!」
先ほどの緊張感はなくなり、僕は初めて、お義父さんとお義母さんの前で、笑ってそう言えた。
「まずは荷物置かなくちゃね。まずはお部屋にごあんな~い!」
玄関から上がり、用意してくれたスリッパに履き替えると、莉愛さんは意気揚々と先導して僕を案内してるみたいだ。
「じゃあ、案内は莉愛に任せて、俺達はリビングにいるから。案内が済んだら一度リビングにきてくれ」
「はい。わかりました」
「リビングは最後に案内するよ!」
そうして、莉愛さんに連れられ、僕は用意してくれた僕の部屋に行く。
2階には上がらず、階段の脇を通り抜け、奥の部屋へと連れて行ってもらう。
その部屋は結構な大きさの和室だった。今時の建物に家に和室があることに僕は意外性を感じながら、部屋の広さに驚いていた。
部屋は片付いていて、中央にはモダンな座敷机に座椅子が二つ並んでおり、部屋の片隅には勉強机があった。
「ここ使っていいの?」
思たよりも大きい部屋に、僕は思わず確認する。
「うん。ここが私と亜樹くんの部屋だよ」
「そっか、僕と莉愛さんの…………え?」
僕は一瞬聞き間違えたのかと思った。今、僕と莉愛さんの部屋と言っただろうか。
「私と亜樹くんの部屋だよ。元々客間だったけど、お義父さんがここ使っていいって部屋を整理してくれたの」
「……い、一緒の部屋なんですか!? て、てっきり別々かと……」
同じ部屋だとは想定していなかったので、僕はいろんなことを考えてドキドキしてくる。
「嫌だった?」
「いやなわけないですよ……ただ、びっくりしちゃって……」
「……時間のない私達に、パパとママが最大限配慮してくれたの」
「……感謝しなくちゃ……ですね」
普通なら一歩一歩。しかし、その時間は僕らにはない。それは、彼女を好きな人なら皆分かっていること。
普通なら、出会って間もない見ず知らずの男性の為にこんなことはしない。でもそれを受け入れ、ここまでしてくれた事に、僕は最大限の感謝の気持ちを抱いた。
僕は荷物を部屋に置いて、引き続き莉愛さんに案内される。風呂場、衣裳部屋、トイレ、2階はお義父さんとお義母さんの部屋。それぞれの使い方や、入っちゃいけない所などを聞き、最後にリビングにいく。
リビングの食卓には、既にいろんな料理が並び、晩御飯の準備が進められていて、僕の歓迎会が始まった。
お義母さん手作りの数々の料理。最初は緊張で味なんて分からないと思ったが、皆が優しく話を聞いてくれて、僕はほとんど緊張することなく、晩御飯を美味しく頂いた。
自宅にいる皆の姿を見て、印象が変わる。
おっとりしていそうなお義母さんは、家の事はしっかりとこなしていて、堅苦しいと思っていたお義父さんは、家の中だと明るくて面白いことばかり言って、莉愛さんも、普段よりも柔らかくて。明るい雰囲気の家庭に、僕は早くも緊張は和らぎ始めていた。
歓迎会というなの夕食が終わり、片付けを手伝おうとすると、お義母さんに止められる。
「そういうのは私がやるから。亜樹くんは莉愛と一緒にいてあげて」
「あ、ありがとうございます」
「亜樹くん……じゃあ、部屋にいこ?」
と、少し照れたように、莉愛さんはそう言ってきた。
「う、うん……」
僕も照れて答えると、僕と莉愛さんの部屋に行く。
それはつまるところ、久々の二人きりの時間であり、なんだか僕は緊張していた。
部屋に入り、横並びに置かれている座敷に座る。
「お義母さんのごはん美味しいですね」
「でしょ!? ママ、昔飲食店で働いてたから」
「そうなんですか。通りで……」
「……う、うんそうなの……あはは」
僕達はなんだか照れくさくって、会話が上手く続かない。
旧校舎で二人きりの時は何も気にせず喋っていたのに、何故だか今は、言葉が頭に出てこない。
「な、なんだか不思議ですね。僕が莉愛さんの家にいるなんて……」
僕はいっそ、この気まずさを素直に話のネタにした。
「ね。ついこの間までずっと会わないようにしてたのに、急に一緒に住むなんて……考えられないよね」
「言い出したのは僕なんですけど、実際にこうなると、思ったよりも気持ちが着いていかなくて……たまに混乱します。あはは……」
僕はどうも気まずい雰囲気についつい笑って誤魔化して、リビングから持ってきたお茶に口を着ける。
「……亜樹くん」
そんな風に焦っていると、小さく莉愛さんは僕の名前を呼ぶと、僕の肩に寄りかかってきた。思わず心臓がドキッと高鳴る。
「ありがとね……。本当に……心から感謝してる。こんな私を受けいれてくれて」
噛み締める様に莉愛さんはそういってくれる。
「僕こそですよ。……こんな僕を好きになってくれてありがとうございます」
「……うん。本当に、こんなことまでしてくれて、ホントに幸せ」
「してくれたのは莉愛さんの両親と僕の両親ですよ。僕は何も……」
「違うよ。色々動いてくれたのはそうかもしれないけど……亜樹くんが皆を動かしてくれたから実現したんだよ。だから、本当に嬉しいの」
僕が言い出さなければ、僕が言わなければこんな面倒な事には、そんなことばかり考えていた。でも、思い返してみれば、皆大変な思いはしたかもしれないけど、皆笑って、嬉しそうに、僕達の事を支えてくれていることに改めて気が付く。
僕はそれに申し訳なさを抱いては行けないと気が付いた。
肩に莉愛さんの存在を感じながら、僕はお礼を言った。
「そういっていただけると心が軽くなります」
明るく捉えてくれる莉愛さんに、僕は何度も助けられてる。
「……愛してるよ。亜樹くん」
「僕も愛してます。莉愛さん」
返す様にそういうと、莉愛さんがは、唯一残った不満を口にする。
「……ねぇ、亜樹くんはいつまで敬語なの?」
「え? あ、ああ……」
そういえば、今までずっと敬語だったから、違和感なく喋っていたことに今更気が付いた。
「もう夫婦も同然なんだから、もっと親しく喋って欲しいな」
「そ、そうだね。えっと……莉愛……さん」
「……亜樹くん?」
ジト目で見られる。わ、分かってる。ちゃんと呼ぶ、うん。少し照れただけ。
「……莉愛? 莉愛ちゃん?」
そうは思っても、なんだか呼び捨てがしっくりこなくて、僕は疑問形で呼びかけた。
「莉愛でいいよ。そっちの方が長年連れ添った夫婦っぽくて」
「じゃあ……莉愛」
「は~い、亜樹くん。えへへ……」
名前を呼ぶのはとってもこそばゆくて、僕は少し照れくさかったけど、それはどうやら名前を呼ばれる莉愛も同じだったようで、照れた様に笑っていた。
なんてことない一時の時間。ただただ、些細な事を喋りながら、好きな人と身を寄せ合う。
それだけで、僕は今までの人生の中で、一番の幸福感を感じていた。
……僕は自分が思春期の男子であるというのを少し忘れていたのかもしれない。
僕と莉愛は同じ部屋で、隣同士に布団を並べて眠る。そんなの、部屋の案内をされた時に気が付いていたことで。僕達は床に就くと、あらぬ期待や想像をして、ドキドキして眠れなかった。
いや、一緒に住んで夫婦として扱われるのであれば、大人な事をしても良いはず。いや、でも高校生だから駄目なのか? どっちだ。どうしていいのか分からない。いや、両親もいるのにそんなことする勇気は僕にはない。
そうだ……流石に焦らなくていい。初日でそんなことしたら、逸れこそ僕はただしたいだけの男にしか見えない。
落ち着け。ただでさえ慣れない環境に疲れたんだ。気にしなければ寝れるだろう。
目を閉じ、意地でも寝ようと考えていた時。
「……亜樹くん起きてる?」
と、小声で莉愛が僕を呼んだ。僕はドキッとしながら莉愛の方を見ると、布団から頭だけだして、莉愛が僕のほうを見ていた。僕は冷静に答える。
「起きてるよ。どうかした?」
「……緊張して寝れないね」
と、笑って莉愛が言った。僕と同じ気持ちだったと知るとなんだか安心する。
「ね。僕も緊張して寝れないよ」
「皆最初はこんなにドキドキするのかなぁ……」
「きっとそうだよ。物語でも、こういう展開はよく見るからね」
「……そうだよね。これって、普通だよね」
「うん……普通だよ……きっと」
自分にも言い聞かせる様にそういうと、
「……こういうのって、聞くものじゃないと思うけど、聞いていい?」
と、莉愛はそう前振りをする。
「うん?」
何を言うのかと僕は相槌を返す。
「……エッチ、したかった?」
口元を布団に潜らせ、恥じらいながら莉愛ははっきりとそう言った。
「…………」
僕は黙って、身動きが取れなかった。彼女から出る性に関する言葉に僕は頭がくらくらしてきて、心臓の鼓動だけが早くなる。
生まれてきて一番の緊張感が走る。
僕は彼女の言葉にどう答えたらいいのか考える。
聞かれたのなら、それは素直に応えればいいのか。紳士ぶって、初日からそんな~とか言えばいいのか。……そもそもその問いは、OKということなのか!?
いや、やっぱり僕は素直な人間で、嘘を着くのも苦手だし手を出す度胸はまったくない。
「……したいよ。だって……愛を誓った人と一緒に寝てるだよ? 理性と疲れが無かったら襲っちゃいそう」
と、冗談交じりに本音を吐露する。
「……そ、それは困ります」
と、冷静に遮られ僕は心で頭を打たれたように衝撃を受ける。
そりゃそうだ、冗談で言ったつもりだが、節操ないことをしたら僕はただ彼女を傷付けるだけで―――
「あ、ち、違うよ? 亜樹くんとしたくないんじゃなくて……というか、亜樹くんとしたいんだけど……」
僕がショックを受けたのに気が付いたのか訂正してきた。
「え?」
「パパとママもいるし……まだ少し時間が欲しくて……」
と、理由を話す莉愛に僕は当然だと思い慌ててフォローする。
「も、もちろん! もちろんそうですよ! 僕だって、来ていきなりそんなこと……しないですよ……は、ははは……」
慌てて僕は自分が思っていたことでなくて一安心し、彼女に合わせた。
……誠実な気持ちでいて良かった。と、心の底から安心した。
「ごめんなさい」
誤魔化す僕に、彼女は心底申し訳なさそうに謝る。
「……大丈夫。大切な事だから。これは時間がないからって、焦ったりしませんよ」
僕は慰める様にそう言うと落ち込む莉愛の頭を自然と撫でた。
「……ありがと。……えへへ頭撫でられるの好きぃ」
莉愛さんは幸せそうに甘えた声でいった。
「じゃあ、莉愛さんが寝るまで撫でて上げる」
「ほんと? じゃあなでなでしてて~」
嬉しそうに、莉愛は少し僕のほうに寄ってくる。僕が頭を撫でやすい位置に移動する。
僕達は、自然と眠りに着くまで、ずっとじゃれ合っていた。
僕は、分かっていながらも心の中で思う。
こんな幸せな日々が、永遠に続けばいいのにって。
思ってすぐ、僕はその言葉を頭から消した。
翌朝。僕は学校の制服を着ながら、いつもと違う食卓にやっぱり慣れない想いを抱きつつ朝食を食べ、莉愛に行ってきますと告げる。
「亜樹くん亜樹くん」
靴に履き替えた僕を莉愛は呼び止める。
そして、僕に近づいて、耳元で呟く。
「……学校終わったら、いつもの旧校舎に来て」
「……え?」
「多分、それが最後になると思うから」
そういって僕から離れ、笑いかける。
「……うん。わかった」
僕は少し疑問に思いながら返事をする。
旧校舎……ということは、莉愛も来るという事……でいいんだよね。
僕と莉愛にとっての思い出の場所。
もう二度と、あの場所で莉愛と会えないと思っていた僕は、少しうれしかった。
僕は待ち遠しく思いながら、授業を無難にこなし、昼休みには日向達に近情を説明したりして、学校行事を終える。
そして放課後、僕は一目散に旧校舎へと向かった。
いつもの部屋に入ると、そこには、なんだか懐かしさを感じる制服姿で莉愛さんが立っていた。
「こんにちは。亜樹くん」
「……こんにちは、莉愛さん」
「今日は早いですね」
「少し嬉しいことがありまして」
僕たちはあの頃、この場所で過ごしていた日々と同じ口調で、同じテンションで話していた。それが、とても心地よくて。僕はあの幸せだった空気感に酔っていた。
「今日は最後の特訓をしましょう」
また莉愛さんは新しい提案をする。
「今度は何をするんですか?」
「……最後は、私達の物語を語るのです」
その提案は、相変わらず僕にはわからなくて。
「ど、どういうことですか?」
と聞き返す。
「あの後、あの告白の後の出来事を演じるんです。授業があって、すぐに解散してしまいましたからね。告白されてすぐ解散なんて、寂しすぎると思いませんか?」
「……なるほど」
自分自身のあの時をやり直す。まさに即興演劇のようだ。
「……って、それただの演劇の練習ですよね?」
「そうかもしれませんが、演じるのは自分の気持ちです。無事恋人同士になり、お互いの恋する思いが成就した私達は、その後何をするのでしょうか。それを、今日1日演じるのです。その時、亜樹くんは本当に本を読む事を克服できるかもしれませんよ?」
相変わらず莉愛さんの提案する内容はちゃんとはわからない。けど、それでも僕はなんやかんやで彼女の話に乗るのだ。
「……じゃあ、告白が終わった後からでいいんですかね?」
「はい。それじゃいきますよ……よ~いスタート!」
莉愛さんの手をたたく合図に、合わせて、僕はあの告白の日を思い出す。
莉愛さんも僕を好きだと気が付いてくれた嬉しさ。初々しい恋する自分の気持ちを思い出す。
「手、繋いでもいいですか?」
「……うん。いいよ」
そう言って向かいに座る莉愛さんは、右手を躊躇しながら差し出してくる。
自分からの意志で女性に触ろうとするのが初めてで、僕は凄くドキドキしていた。
やさしく指先で彼女の手のひらに触れると、莉愛さんは突如僕の手を捕まえる様に、ぎゅっと指を絡めて手を繋いだ。
「躊躇し過ぎですよ? ……私達、好き同士とわかったんですから、もっと強引に来てくださいよ」
「そ、そういわれても、……いきなりなれなれしく触るのは如何なものかと……」
「……告白してくれた時は凄い勢いだったのに」
「うっ……ぼ、僕だって、感情が抑えられない時もあれば、感情を制御している時もあるんですよ?」
「そうですか。でも、私達付き合ってるんですよ? その……もう少し、私をドキドキさせてくれないんですか?」
照れるように莉愛さんは言った。
「ど、ドキドキですか?」
「そうです。例えば……キス……とか」
積極的に彼女はそんなことを言ってくる。
「……いいんですか?」
逆に僕はそれに戸惑ってしまって、そんなことを聞き返していた。
「これ以上言わせる気ですか? 物語をたくさん読んでいる亜樹くんなら……分かるでしょ?」
据え膳食わぬは男の恥。僕はその言葉が頭に一番に浮かんだ。
そうだ。付き合えた時点で両想いな事は分かってる。そこで、莉愛さんがキスの話を出したんだ。それはもう答えを言っているのと同じだ。
僕は身を乗り出し、ゆっくりと莉愛さんに近づく。
莉愛さんは目を閉じる。すこしだけ緊張した様子だった。
僕はこれまでで一番ドキドキして、ときめいていて。
ゆっくりと……軽く表面が触れる程度に優しくキスをした。
その瞬間、僕の頭は不思議な感覚になる。
まるで世界が溶けて、不鮮明になって、はっきりと見えるのは、目の前の莉愛さんだけになる。
唇を離すと、莉愛さんが目を開ける。
莉愛さんは頬を紅潮させ、蕩けた顔で、僕の目をじっと見てきた。
僕は感じたことのない強い高揚感に頭が支配される。
一度唇が離れた僕達は、再びこの幸せな気持ちを求める様に、どちらからでもなく唇を重ねた。さっきよりも強く、しっかりと相手の感触が伝わるように。
どれぐらいキスをしていただろうか。上手いキスの仕方なんてお互いに知らなくて。ただただその行為が心地よくて、世界にまるで二人しかいないようで。
「ねぇ、このまま……いい?」
「……うん。いいよ」
僕達はキスを堪能すると、そのまま止まることなく、学校という青春を強く感じる場所で、背徳感に酔いしれながら、深く、深く気持ちが通じ合い、お互いを強く、強く、感じ合った。
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