Halcyon

Losno

第一部

旅のはじまり①


 __まぶしい光が私を照らす。

 あんまりまぶしいのは、目を痛めてしまうから好きではないけれど。何も見えない暗闇に一人でいる方が、よっぽど辛く寂しい。


「__朝だよ、起きな。街も見えてきた」

 脳に直接響いてくる、少しぶっきらぼうだが、優しいその声で、眠りから覚めた。

 ゆっくり開いた瞳の中に降り注ぐ光の洪水に、思わず目を閉じる。それからまた、少しずつ瞼を持ち上げた。朝だ。遠くに見える山々の隙間から顔を出す太陽が、そう告げている。


「よく眠れたもんだ。振り落とさないか、心配だったぞ」

「……ごめんね、ありがとう。……おはよう、フロスティア」

「ああ」


 空を自由に羽ばたく竜。その姿は、おとぎ話にあるような禍々しい姿とは異なった美しい竜。そしてその背中に乗るのは、外見十七歳ほどの若い少女だった。

 藍白の竜と、緑の服をまとった少女。異質なようで、どこか似ている。そんな彼らが、早朝、朝日に照らされながら街を目指して空に舞っていた。


 朝の街は、仕事や学舎に向かう人たちが街の大通りを行き交っていた。少女__シオンは、街の入り口の立ってその様子を真新しいものを見るような瞳でじっとみつめた。


「……どうした、怖くて入れないのか?」


 そう問いかけたのは、先ほどシオンを背中に乗せて空を飛んでいた竜のフロスティアだった。しかしの姿は、翼のはえた小さなトカゲのようなものになってシオンの肩にとまっていた。なぜなら、フロスティアはただの竜ではない、『竜精』という精霊の一種だったからだ。

 フロスティアはじっとシオンの返答を待つ。


「……はじめてで、驚いただけだよ」

「そうか。でもまあ、気楽に行け。俺も一緒についていくからよ」

「……ありがとう」


 ぎこちない言い方で、シオンは照れ臭そうに笑った。


 シオンは、フロスティアと共に旅をしていた。今日着いたこの街は、旅にでてからはじめて着いた街でもあった。それ故に、緊張と不安が彼女にあった。

 沢山の人々と、沢山の建物。不慣れな状況は、誰でも戸惑う。


「ねえフロスティア。思い切って旅に出てみよう、なんて言っちゃったんだけど、私はどうしたらいいのかな……この街で、何かやらなくちゃいけないことがあるのかな」

「何かやらなくちゃいけない、じゃなくて、何かやりたいものがあればいいなって考えるんだよ。だから気楽に行けって言ったんだ。どんなもんでもいい、気になるものに突っ込んで、やりたいものがあわよくば見つかればいいなって。そうしたらずっと楽に旅できるだろ?」

「そう、なんだ……。そうだよね、旅だから、一日で終わるわけないもんね。急がない方が、いいんだよね……?」

「誰もお前を焦らせたりしない。今日が駄目ならまた明日。時間は無限のようにあるんだからな。とにかく今は楽しめよ」


 フロスティアの言葉に、すっかり勇気付けられて、シオンは先ほどよりも明るい表情で街を散策し始めた。


「あっ……!」

「どうした」


 シオンはある一方向を見つめて、そのまま吸い込まれていくようにその方向へ駆け寄った。シオンの視界には、雑貨屋のショーケースが映っていた。そして、その視線の先にあるものは、ショーケースの中に入っている、一つのぬいぐるみ。つい先ほどまでおっかなびっくりに街を歩いていたシオンが視線に入れ込んだ瞬間駆け寄ってショーケースに張り付くぐらいに、そのぬいぐるみは彼女を引き寄せていた。


「……ほしいのか?」

「ほ、ほしい……」

「じゃあ、これ」


 目を輝かせるシオンに、フロスティアはシオンのポケットから銀貨を十枚取り出してシオンの手に置いた。


「銀……お金?」


 きょとんと、シオンは手のひらに置かれた銀貨を見つめた。


「俺の知り合いの妖精が、人間からくすねたものだとさ。この分だけあれば足りる。そのお金でぬいぐるみを買ってきな」

「いいの……? 経緯はともあれ、元はフロスティアのお金でしょう?」

「俺にお金は不要だからな。全部お前にやる。買ってこい、ぬいぐるみ、売り切れちまうぞ」

「わ、わかった。ありがとう」


 お店の中に入っていくのを見守って、数分経ったあと、ショーケースからぬいぐるみが取り出されていった。うまく行っただろうか。ほかの誰かに売り渡されてないか心配になったが、その数秒後には非常に満足そうな笑みを浮かべて包みを抱くシオンが店の扉を開けて出てきた。


「フロスティア! 私買えたよ!」

「ああ、良かったな」


 喜々として包み袋から買ったばかりのぬいぐるみを取り出して、ぎゅっと抱え持った。

 よほど嬉しかったらしい。フロスティアから見てもその様子はほほえましい。のだが……。


「……そういうぬいぐるみ、好きなのか?」

「……変、かな?」


 彼女の持つぬいぐるみ__一見うさぎのぬいぐるみに見えるが、背中にはコウモリのような羽、つぎはぎの顔、うさぎらしからぬ爪。一般人から見ればかなり個性的なデザインで、好む者は少数だろう。


「いや。好きなもん見つけれらて良かったな」


 彼女の個性を、考えを否定はしない。


「そのぬいぐるみ、気に入ってるみたいだな。ちょっと面白いもん見せてやる」

「どんなこと?」

「まあ見てろ」


 フロスティアがシオンの前に飛んで、それからひゅんとぬいぐるみに突進した。一瞬のことで身動きがとれなかったシオンは、一体何が起きたのか分からず立ち尽くしていると、抱きしめているぬいぐるみが、なぜかひとりでに動き出したのだ。

 シオンの腕からすうっと離れて、くるっと振り向いた。


「…………フロスティア?」

「その通り。ぬいぐるみの中に宿って動くこともできるんだよ」


 ぬいぐるみの中に宿ったままフロスティアが話しかける。ぬいぐるみの口は動かないが、フロスティアの声は中から響くように聞こえてくる。


「……フロスティアの体って、便利だね」

「便利だろ。竜精の特権なんだぞ」


 フロスティアはまた先ほどのようにシオンの腕もとに戻った。シオンはそれを、またぎゅっと抱き抱える。


「……ずっとそのままでいるのね」

「シオンが嫌なら、出て行くぞ?」

「いや、出て行かないで。……移動の時以外は、その中にいて」

「あいよ」


 いっそうぬいぐるみを強く抱きしめて、シオンは再び街を散策し始めた。

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