一章 5
龍二の紹介により借りることとなったアパートの一室に入り、荷物を下ろしたところで、湊はある事に気が付く。
「内装に家具、家電――全部、前の家と変わってないのか……?」
「えぇ、恐らくはそうでしょう。まるで、ここに住む人が最初から決まっていたかのようですね」
少し皮肉の混じった凪の言葉通り、元々住んでいた場所と変わらないその光景は、自分の認識を疑ってしまう程であり、何も知らない人であれば不気味さすら感じるだろう。
「まぁ、住み慣れた場所なら、それに越したことはないだろ?」
だが、このような事をする人物に心当たりのある湊にとっては、それを不快に思うことはなかった。
そして自室には、これまたあらかじめ用意されていたのか、学院の資料、教科書や参考書、制服に至るまでもが置かれていた。
「折角ですし、資料の方は一度目を通しておきませんか?」
「そうだね」
湊は、事務課で聞きそびれたことが載っているかもしれないという期待を込めて、学院案内というパンフレットを手に取る。
すると、まず目に飛び込んできたのは、表紙に大きく写された爽やかな笑顔の女性の写真。さらに、
『集え、御霊使! キミの勇気が、未来を創る!』
と、独特のフォントで書かれた文字。
「……何、これは?」
「…………」
想像していたものと違う印象を受けるその冊子に、横にいる凪も渋い顔をしたまま言葉を失っていた。
「ま、まぁ。中身はまともかもしれないから……とりあえず、見てみよう」
そう言いながら、期待と恐れを抱きつつ表紙をめくり、目次を確認する。
(えーっと……。学院長から、夕日降学院の成立。うん、とりあえず大丈夫そうだ)
目次の項目を一つずつ見ていき、中身はまともだと安心した矢先に、
『御霊使ってナニ? 新人女性御霊使の一日に密着取材!』
またしても、頭を抱えたくなる文字の並びが目についた。
「違う! 違うんだ!」
湊は、その俗っぽい冊子を地面に叩きつけそうになる衝動を必死に抑えるも、つい溢れてしまった感情のままに叫んだ。一方の凪は、もはや感情さえ捨ててしまったかのように無表情であった。
「はぁっ……」
それから少しして、落ち着きを取り戻した湊は、このパンフレットから得るべき情報は無いと判断する。そして、溜息をつきながら適当にページをめくり、ある個所で目を止めた。
『夕日降学院のここがスゴイ! 四つのポイント!』
またか。と思ったが、そこに書かれていた内容に湊は驚かされることになる。
1.単位制で、あなたの学びたいを応援!
当学院では、学科と技能の学びについて単位制を導入しています。卒業に関する 要件は別紙にて紹介していますが、それらの必修科目以外でも、より詳しく専門的な学びを通じて、自分の適性に合った分野の力を伸ばすことができます。
2.二部制で、働きながらでも安心!
当学院では、昼と夜の二部に渡って授業を行っています。既に働いているけれど、御霊使としての資格が欲しい。という方以外にも、大学生、主婦など幅広い需要に対応していますので、是非ともご相談ください。
3.充実した施設で、生活をサポート!
当学院では、学生の生活を支援する様々な施設が用意されています。図書館や訓練室などの学びに関する施設だけでなく、カフェラウンジをはじめとする施設は、暮らしの一部として多くの人に受け入れられています。
4.信頼の就労支援で、未来をサポート!
当学院では、卒業後の御霊使としての活動も支援しています。専業の御霊使だけでなく、兼業の方であっても、ご要望に応じて仕事を紹介していますので、資格を取ったけれど使う機会が無い、ということはありません。
「これが、御霊使の学院……」
簡単に目を通し終えた湊は、期待していなかったという気持ちもあったが、初めて御霊使というものの実感の得られた情報に対して、考えを巡らせていた。
(そうだよな。ここまで、勢いで飛び出してきたけど……)
「湊様……」
「大丈夫。分かってるよ、凪……オレには、将来とかよりも、絶対にやり遂げなくちゃいけないことがある。だから、今は目の前の事だけを考えるよ」
「それは……いえ、何でもありません」
凪はこれ以上の言葉は必要ないと判断し、口を閉ざした。湊もそれについては追求せずに、手に持っていた冊子を閉じて積み重なった本の山の中に置く。
「さ! とりあえず、ご飯にでもしよう。明日からの事は、明日になってから考えるよ」
「分かりました。すぐに準備しますね!」
そして、新天地なのにいつも通りという奇妙な光景に戻っていった。
「ところで、湊様。時間割については、もう確認しましたか?」
「時間割? いや、まだだけど……」
夕食を終えて休息を取っていたタイミングで、不意に凪が尋ねた。
「というより……あれ? そもそも、授業の申請ってどうなってるんだ?」
「えっと……実はですね、大変言いにくいのですが……その――」
妙に歯切れの悪い凪の言葉に、嫌な予感を覚えながら湊は耳を傾ける。
「――結論から申し上げますと、既に授業の申請などの登録は済んでいます。制服が用意されているのもその影響です」
「……? 良いことじゃないか。あぁ、もしかして龍二さんが?」
「えぇ。そうなんですが……」
言葉の真意を汲み取り切れていない湊からすれば、曇った顔をした凪に対して、これ以上何を心配しているのか、分かっていなかった。
「はぁ……困ったことに、形式上の登録がされているのは、九月時点になっています。つまりですね、現状の湊様は約二か月分の授業を欠席しているということです」
「え……?」
「ただでさえ、御霊使についての知識が薄い湊様が、これ以上遅れを取りますと……」
凪からは、それ以降の言葉は口にするのも躊躇われた。だが、はっきりと言いたいことは伝わっている。
「だ、大丈夫! たった二か月の遅れくらい……オレだって、別に何もしてこなかったわけじゃないんだから、何とかなるって!」
湊の脳裏に、一瞬だけ嫌な予感がよぎったが、すぐに切り替える。そして、自分に言い聞かせるように、大丈夫という言葉で心配と不安を振り切った。
それから、二日後の昼下がり。
湊と凪は本館のラウンジで、ある人物を呼び出していた。
「それで、急に呼んで何の用なの?」
「勉強を……教えてください……」
「……アンタ、学院に何しに来たの?」
久しぶりに会ったかと思えば、いきなりそのような事を言われ、呼ばれた張本人である灰奈は呆れ果てていた。
「……専門的な用語が多すぎるのに、調べた先でまた意味の分からない言葉。この繰り返しなんだよ」
「凪、あなたが教えられないの?」
「面目次第もないです……私も、その……御霊使にまつわる歴史以外の学問はさっぱりでして……何分にも箱入り娘だったので」
万策の尽きた二人から漂う悲壮感が、最後の手段として自分を呼んだのだと、灰奈に悟らせた。
「はぁ……しょうがないわね。それで、何が分からないの?」
「御霊使の歴史、地理、戦闘基礎理論、霊力概論、社会の諸問題、統計と解析、倫理……あとは、数学、化学、日本史――」
「必修科目のほぼ全部が、分からないってことね……でも、後半に関しては、アンタ今まで何してたの?」
「いや、違うんだ。まさか、普通の高校でやるような勉強まで必要だとは思ってなくて……もっと、実技とか実践とかなら、何とかなったはずなんだ!」
夕日降学院では、御霊使としての資格を取得する以外にも、高校卒業の資格も取得できるカリキュラムが用意されている。これは、学院の創設に携わった者たちの意向が関わっている。最悪の場合を想定しても、若い学生が将来困らないようにする為、そして幅広い需要に対応する為という二つ理念があった。
これらの話も、実はパンフレットに載っていたのだが、それを読むことが無かったのは湊にとって致命的であった。
思い返してみれば、元々在籍していた高校でもろくに授業を受けていなかった湊にとって、慣れていない座学は自分ではどうしようも無かった。
「悪いんだけど、そこまで酷いと今すぐにどうにかなる問題じゃないわね。それに、私はこれから先生の研究室に行かないといけないから――」
「そんな事を言わずに! 灰奈さん、どうか湊様をお助けください!」
そう言いながら立ち上がる灰奈に、縋るような凪の視線。傍から見れば、さぞかし愉快な光景だろう。
「だから――今すぐは、どうしようもないから。日を改めさせてってことよ」
「それでは……!」
「えぇ。週末にでも、予定を開けておいて」
「ありがとうございます、灰奈さん!」
「ちょっと……! こんなところで飛びつかないで!」
何だかんだ面倒見のいい灰奈は、嬉しさにはしゃぐ凪に抱き着かれても、嫌そうな顔はしていなかった。
「灰奈。ところで、さっき言ってた先生って……」
「えぇ。知ってるとは思うけど、単位に関わる授業とは別で勉強をさせてもらってる人よ」
「この前の、駅での清祓の時にいた?」
「そう。山吹瑠璃先生」
「……!」
「オレも、連れて行ってくれ」
「いきなりね……師事してる私が言うのもあれだけど――お勧めはしないわよ」
灰奈からそのような言葉が出てくるのは意外であったが、湊はそれに臆することは無く、今がそのタイミングだと考える。
「それでも、どうしても会っておきたいんだ」
「……分かったわ。なら、付いてきなさい。ただし、責任はとれないから」
そして、灰奈の先導で湊はついに山吹瑠璃に会うことになった。
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