王女オフィーリア
美乃
第1話
窓を叩きつける雨粒の音が激しくなった。
掌に浮かんでいる炎を握りしめると、その炎は瞬く間に消えた。そしてまた手を開くと再び炎が揺らめき、オフィーリアの顔を照らした。それは王族だけが使える、王族の象徴であった。むろん、それ––––魔法は市民は魔力というものがなく使うことができない。だから、魔法を使える王族は崇められ崇高な存在であった。そのことをオフィーリアの父は誇りに思っていたし、婚礼があげられるまで、他人の目に触れてはならず、初夜の日を迎えるまで相手にも教えてはいけないと小さなころから言い聞かされていた。そんな神聖なものなら、はじめから魔法を禁止にすればいいのにとオフィーリアは思い、なぜそうしないのだろうと疑問になった。考えても理由はわからず、何かわけがあるはずなのに教師たちや父である国王に聞けずにいた。
窓辺に腰かけ、城の外を眺める。目下には青々とした若葉が風邪揺らぎ、霧雨にその身を濡らしていた。
「お風邪を召されますよ、姫様」
ひっそりとオフィーリアに近づいてきたのは侍女のリリアだった。侍女にしては適正年齢よりも一回り上なようで、落ち着いた雰囲気でオフィーリアに接する。長いこと侍女をしてきたことが態度からわかる。
「リリア、いたの」
「えぇ。明日は大事な日ですので体調を崩されては」
「大丈夫よ、そんなやわじゃないわ」
まったくと言わんばかりにため息を吐かれ、肩にカーディガンをかけられる。確かに今の時期、肌寒くはあるが彼女が言うほどの寒さではない。が、明日はフェルズ帝国から婚約者が正式に挨拶に来るからリリアも気が気でないのだろう。オフィーリアの体調管理は彼女の仕事でもあるので気を張ってしまうのだ。少し神経質な彼女に笑って、かけてもらったカーディガンをオフィーリアは羽織りなおした。
「いよいよでございますね」
「そうね…」
一度も会ったことがない相手の顔を思い浮かべ、オフィーリアは自分の腕をさすった。白く傷一つないその肌は守ってやりたくなるほど、か細く華奢であった。
「お父様はこの婚約を嬉しがっているわ、ウェルヴァインの民も。…私以外の人はみんな」
この国ウェルヴァインの富を手に入れたいと思う他国はごまんといる。それもそうである。港も栄えているし、そこからとれる海の幸を近隣の国へ売り、また森で狩った動物たちもウェルヴァイン産の精肉として売りさばき、それらは高値で取引されている。
先代の王が築き上げた山頂にそびえたった城は攻め入りにくく、城を守るように三重の壁が周りをぐるりと囲んでいた。またウェルヴァインの町も同じように塀で囲まれ、城兵たちが交代制で守っている。 そんな立地に恵まれたウェルヴァインを他国はこぞって手に入れたがった。オフィーリアの兄や弟にまで婚約者候補を差し出したが、それをオフィーリアの父ウェルヴァイン王は拒み続けていた。
が、しかし。
隣国のフェルズ帝国の王太子からオフィーリアに求婚状が届き、一変することとなったのだ。それにはオフィーリアにとっても大きな事件であったし、何より頑なに婚儀など跳ね除けてきた父がなぜ今、了承をしたのかも理解ができていなかった。
「…本当に嫌ならやめてもいいとおっしゃっていましたが」
「私のわがままはもうここまでくれば、通ることはないわ。それも隣国の、フェルズだもの。私の一言で婚約破棄にはできないはずよ」
そばに立っているリリアは悲しそうに眉を下げ、オフィーリアを見つめていた。
「ですが。あなた様はこの婚約をあまりよろしく思っていないではありませんか」
リリアにそう言われて、普段なら反論して不貞とみなすのだが、そんな気にはなれなかった。
「えぇ、そうよ。だけど私には拒むすべがない、ウェルヴァインより大国で富も武勇も何もかもそろっているあのフェルズ帝国から求婚されたら誰もが、はいと言うわ。私は一国の王女に過ぎなくて、この血を残さねばならないから、本当にどうしようもないの。どれだけ、リリアが納得いかなくても決まったものはもう仕方がないの」
あまりに痛々しく感情的に話す主を見て、リリアは泣きたくなった。
もっと自由に世界を学ばせてやりたいとリリアは思うが、その権利を与えるのは自分ではなく、この国の国王である人だった。自分の娘であったなら、こんな苦しい思いは抱かせないし、覚悟を捨てればいいと言うだろうが。
「あぁ、オフィーリア様。あなたは昔からいつだって賢い方でした。それが、あなたにこんな、我慢を強いることになっているなんて。」
思わずリリアはオフィーリアを抱きしめる。
「あなた様には心から幸せになってもらいたいんです」
「……王女という立場を悲観したことはないわ、だけど、ありがとうリリア」
リリアの温かい体を抱きしめ返し、オフィーリアは窓辺から離れた。
「さあ、もう夜はふけてまいりまりました、明日に備えお休みください。オフィーリア様」
寝室の扉を開けて、オフィーリアを先に通し、重々しい扉をまたリリアは閉じた。
ぼんやりと蝋燭の明かりが室内を照らし、いつもオフィーリアが寝ている天蓋付きの寝台の近くへ歩いていく。
履物を脱いで、寝台に上がったオフィーリアに布団をかけてやる。
水色と銀色が混ざった長い髪が枕に散らばる。明かりに照らされ、彼女の輪郭があらわになった。溜息を吐きたくなるような容姿を一瞥し、リリアは胸が裂くほどの思いを感じていた。
主人の幸せを一番に願うが、それは天に届くだろうか。
「おやすみなさいませ、オフィーリア様。よい夢を」
まだ少女で未熟な心の持ち主をリリアは見下ろして、ふっと手に持っている燭台に息を吹きかけた。
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