第4話

「アイちゃん、相手がちょっとおじさんでも我慢してね」

 あかりがいつに無く、茶目っ気たっぷりの笑顔で隼也とアイを送り出す。

 隼也は半ば本気でムッとした顔になった。


「こんな天気のいい日に公園デートなんだから、ふさわしい顔してよ」

 須藤の言葉が追い打ちをかける。

 2人は浮かない表情のまま、駐車場から広場へ向かう階段を昇り始めた。


 一番この場に似つかわしいシチュエーション、つまり、休日の公園を訪れたカップルの設定というわけだが、須藤とあかりの悪ノリが入ってる気がしなくもない。

「デートって…仕事でしょうが…」

 隼也が隣でボソボソ言っているのをアイは聞き逃さなかった。


 付き合い始めて間もない彼女がいると聞いているから、こんな設定はたしかに不本意なのだろう。でも、

(そう、仕事なんだから、それなりにお芝居してくださいよ)

 とアイは口にしたくなる。アイだって、気分が乗らないのは同じだ。


 階段を昇りきると、木々の中を抜ける遊歩道が左右に広がっている。

 隼也左側へ足を進めた。

 空を仰ぎ、あからさまに溜息をついてから、アイの方を振り返る。

「もう少し近く歩け。それらしく見えるように」

 アイは黙って隼也の隣に寄って歩みを合わせた。


「どのくらい近付けばわかるんだ?」

 アイの歩調には全く合わせる様子のない大股で進みながら、隼也が聞いてくる。仕方なく、アイもその歩調に合わせてついていく。

「50メートルくらいならだいたい。顔が見えるくらいまで近付けば、クラスもわかります」

 あえて、はっきり言い切った。隼也の頬がピクリと動く。

「それって…羽が見えるのか?」

 ーなんだ、実は興味あるんじゃないか。今まで私のことなんか、眼中にないって顔してたくせに…

 アイは内心ニヤリとした。まあ、この能力に興味のない人間はまずいないだろう。増して、ウィンガーに直接関係している仕事だ。


「はっきり翼が見えるわけじゃありません。背中の方に靄みたいなものが見えるんです。蜃気楼というか…でも、その後ろのものははっきり見えるし」

 研修期間も含め、この2ヶ月で何度同じ説明をしただろう。

「暗いところで本人の姿が見えないような時でも、そのモヤモヤだけ見えるんです」

 さすがに隼也も、ほぅ、といった顔になったが、

「なんだか心霊現象とかと勘違いしそうだな」

 ちょっと半信半疑といった口調だ。

「ああ、まぁ、始めは確かに幽霊かな、とか思いましたね」

 事実だっただけに、アイは素直に認めた。


 だが、最初に見えたのは兄の背中だったから、もしかしたらと、早い段階でアイは考えていた。これは、翼の影みたいなものが見えているんじゃないか、と。

 だが、確かめる手段がなかった。実は同じ高校に通っていた男の子が小学校時代の同級生で、しかも登録されたウィンガーだった。

 彼の背中にも同じ靄が見えるかどうか…。学校に行っていた頃は話をしたりもしていたし、会いに行くことは可能だ。しかし、退学した高校に足を向けるのは嫌だったし、海人には相談できる雰囲気ではなかった。


「須藤さんと会わなきゃ、何が見えてるのかわからないまんまだったかもしれないわけだ」

 隼也の言葉にアイは頷いた。

「分かってよかったです。お陰で仕事も見つかったし」

 隼也がふん、と鼻を鳴らしたのでアイはハッとした。余計なことまで喋ってしまった。仕事うんぬんなんて話、この男にするつもりなかったのに。


  *****

 須藤と出会ったのは全く偶然だった。

 繁華街でのケンカ騒ぎ。1人の若い男が数人の警察官に取り押さえられていた。だが、アイの目に留まったのは、両腕を掴まれて悪態をつく、明らかにガラの悪そうな男より、その男を尻目にそそくさと立ち去っていく男女の2人組だった。

 女性はアイと同じくらいの歳に見えた。そして、背中には蜃気楼のような靄。

 兄の背中以外で見たのは初めてだったが、見た瞬間に確信が得られた。

 あれは、翼だ。


 男女はあっという間に人ごみに紛れて消えたが、アイはどうしたらいいか分からず立ちすくんでいた。

(でも、どうしようもない。あの子、登録者かもしれないし)

 ドキドキしながら、その場を離れようとしたアイの耳に、近くにいた男性と警察官の会話が聞こえた。


「ここで羽出されたらマズイですよ」

「まず、この男を対策室に移動させて…」

 アイは一度2人に背中を向けてから、意を決して振り返った。


「あ…の…」

 男性たちの後ろで話を聞いていた男性に声をかける。

 小柄だが、顔はメチャクチャかっこいい。こちらを見られると思わず顔が赤らんだが、もちろん顔立ちに惹かれて声を掛けたわけではない。

 彼の後ろにも靄が見えたのだ。


「もしかして、未登録者の…対策室の人…ですか?」

 思い切って声をかけてみたものの、そこからどう話していいか、アイはしどろもどろになった。だが、話しかけられた須藤の方が察しが良かった。


「君、何か見えてるの?」

 アイの視線がチラチラと自分の背後を気にしていることに気づくと、人ごみから離れ真剣にアイの話を聞いてくれた。

「さっきまで彼と一緒にいた2人か。女の子の方とはね…」

 アイは須藤が自分の言っていることをすぐに理解してくれたことに安心し、そのままその場を離れるつもりだった。

 自分の能力の特殊性やその意味など考えてもいなかった。

 だから、その後の展開は彼女にとっては予想だにしないことだった。


「自宅まで送るよ。警察の車だけど」

 半ば強引に黒塗りの車に乗せられ、自宅までの道すがら、須藤は"シーカー"という能力者について教えてくれた。

 世界的にみても珍しい能力だと聞いてもピンとこない。


 だが、翌日にはアイロウの幹部職員が自宅までやってきた。単身赴任先から呼び戻された父も同席し、説明を受けた。

 何を説明されたのか、実はよく覚えていない。その後の出来事もあまりに慌ただしくて、気がついたら就職が決まっていた。


 仕事が見つかった、というのはありがたかった。高校を去年の秋に中退し、いくつかバイトはしていたものの将来に不安がなかったわけではない。加えて、年明けすぐに兄が仕事を辞めて戻ってきた。

 近所の整形外科で看護師のパートをしていた母が、夜勤のある総合病院に勤め始めたのも経済的な理由だと分かっている。

 自分が自活できるようになれば、母の負担は減るはずだ。

  *****


「まあ、給料分はしっかり働くことだな」

 隼也の相変わらずの上から目線の言葉はアイを苛立たせたが、ぐっと唇を噛んで、言い返すのはやめた。そう、給料分の働きができることを見せればいい。

 遊歩道の先が開けてきて、隼也が指差した。

「あそこだな」


 そこはコンクリートタイルで舗装された、楕円形の広場だった。両端にバスケットゴールが設置されている。

 目の前に現れた階段を数段下りると広場に、下りずに左手に進むと遊歩道が更に続いている。

 広場の左手の方では2、3歳の子供を連れた家族連れがビニールボールで遊んでいる。その近くでは小学生が数人でフリスビーを投げあっていた。

 天気は快晴。外遊びには絶好の日だ。


「あいつらか」

 隼也が右手の方へ顎をしゃくる。そちらのバスケットゴールの下では数人の少年達が3on3をしていた。高校生か、もう少し年上らしい子もいる。

 だが、ゲームといえるのかどうか。敵も味方もなく、ボールを持ったらゴールへ投げる。他はそれをディフェンスする、といっただけのことらしい。

 アイはあまり凝視しないように気をつけながら、そちらへ近づいていった。自然な動きに見えるように…


「この辺りでどうだ?」

 スマホを取り出しながら、隼也が声をかけてきた。

 階段の途中に腰を下ろす。他にも階段に座って、広場で遊ぶ子供を見守る親や、飲み物を飲んでいる人たちがいる。

 確かにこの辺りに座れば自然だ。確認するための距離としても十分。だが…


 隼也がスマホを差し出してきた。

『赤いTシャツの奴がリーダー、どうだ?』

 と、打たれている。

 さっきあかりが見せてくれた画像の主はアイも真っ先に確認していた。

 指を伸ばし、隼也の持つ画面に入力する。

『あの人、翼ありません』


 隼也の表情が険しくなった。

 その他にも、アイの目に見えるはずの翼のサインが見える人間はいない。彼らは、休日に公園でバスケを楽しむ、ちょっとガラの悪そうな少年達にすぎなかった。

 翼のある人はいない…そう、入力しようとして、アイは動きを止めた。

 左手の方から3人の少女達がビニール袋を手に彼らに近づいてくる。彼女たちも少年達と仲間らしく、ビニール袋を掲げながら声をかけた。飲み物を買ってきたらしい。

 アイは呼吸が早くなるのを感じながら、素早く指を動かした。


『真ん中の背の高い女の子、翼あります』

 隼也が息を飲んで、チラッと少女達に視線を走らせる。

「マジか…」

 一呼吸置いて、はん、と笑いともため息ともつかない声を漏らし、隼也は送信ボタンを押した。

 今までのやりとりがそのまま送信される。宛先は須藤だ。


 左手の方へ広場をぐるりとまわって続く遊歩道はなだらかな登りになっている。

 その途中の東屋からこちらを見ている須藤の小さな姿が見えた。

 返信はすぐにきた。


『女の子か。ノーマークだったな』

『顔写真、撮れるか?』

 並んで画面を覗き込んでいる隼也とアイは、周りから見たら恋人同士として全く違和感ない。

 その2人の脇を通って、携帯ゲーム機を持った中学生くらいの男の子が階段を下りていく。

「まーてーよー」

 その後ろからまだ小学生かと思われる小柄な少年が、身軽に一段飛ばしで階段を駆け下りていった。彼らもバスケ少年達の仲間らしい。


(こんなガキらもスリに加担してるのか?)

 隼也が苦々しく思った隣で、アイが体を強張らせた。

「どうかしたか?」

 アイは黙ってまた画面に指を走らせた。

『あの後から下りていった子もです』

「え…」

 さすがに隼也も絶句した。

『あの子もウィンガーです』

 アイは送信ボタンを押した。


 須藤から返信が来るまでしばらく間が空いた。

 2人で周りに怪しまれないようにと、それだけ考えてなんとか表情を取り繕う。

 不意に、

「これ、見たことあったっけ?」

 端末の画面を見せながら、馴れ馴れしく肩を寄せてきた隼也に

「へ?…え?」


 アイは驚いて目を見開いたが、すぐに背の高い女性と小柄な少年がこちらへ歩いてくることに気がついた。

 近づいてくるにつれ、2人とも彫りの深い顔立ちであることがわかる。

「また、あんた、ゲームばかりね」

 女性の言葉には外国語訛りがあった。

「いいじゃん」

 少年は素っ気なく返し、アイ達の二段ほど下の階段に腰を下ろす。ウエストのポーチから携帯ゲーム機を取り出して、立ち上げた。


 女性は少しの間、ゲーム機を後ろから覗いていたが、やがてつまらなさそうにブラブラと仲間の方へ戻っていった。

「よっしゃ」

 隼也が小さく呟いて、スマホの画面を見せてくる。少年と女性、2人の写真がしっかり撮られていた。

『一度撤退。仕切り直す』

 ちょうど須藤からの返信が来たのを機に、隼也とアイは立ち上がった。


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