第1話

 9月も下旬に差し掛かると、朝晩はぐっと冷え込むことが多くなった。

 桜木隼也は、昼休みになると、最近付き合い始めた女子大生とメールのやり取りをするのが日課になっていた。


 潜入捜査の一環で入ったテニスサークルで知り合った子だが、かなりの美人だ。しかも、積極的にアプローチしてきたのは彼女の方だった。

 男として、嬉しくないはずはない。だが、本名を伏せるような仕事をしている手前、交際することはないと思っていた。


「え?いいじゃん!付き合ったらいいよ」

 ジムで一緒にトレーニングした後、何気なく隼也が彼女のことを口にすると、須藤はあっさりとそう口にした。

 隼也の上司(といっても2歳ほど年上なだけだが)の須藤誠次はウィンガーだ。普段から、人が驚いたり戸惑ったりする様子を見て楽しんでいる節がある。

 この時も隼也はからかわれているのかと思ったが、

「いや、こう言っちゃなんだけどさー、最近のウィンガー絡みの事件って繁華街で起きることが多いでしょ。情報集めに回るにも彼女と一緒の方が、自然に見える場所も多いし」

「…彼女欲しいのは正直なところですけど…仕事とか、ごまかし切れる自信ありませんよ」

 須藤の打算的な発想に、隼也は意外な感じを受けた。普段の女性スタッフなどへの対応を見る限り、結構なフェミニストかと思っていたのだ。

 実のところ、隼也は今まで女の子に不自由したことはない。

 見た目にはそれなりに自信はあるし、大抵は女性の方から近づいてきてくれた。経験を積めば女性のあしらい方だってそれなりに身につくというものだ。

 ただし、本気で相手を好きになって付き合うわけではないから、長続きはしない。


(まあ、須藤さんもこれだけのイケメンで、話もうまいしな。相当、遊んでるか)

 アイドルか俳優かというほど、整った顔立ちの須藤は、普通に歩いていても相当目立つ。身長があまりないのがおしいところだが、男性の目から見てもかっこいい男だ。


「もちろん、ベラベラ素性を明かされたら困るけど。節度を持ってお付き合いする分には構わないよ」

 節度を持って、のところでニヤリと意味深な笑みを浮かべながら須藤はそう言った。

 結局その数日後に、隼也は彼女と付き合うことになり、今に至る。


 未登録翼保有者対策室に入っておよそ半年。だいぶ仕事にも慣れ、彼女もでき…充実した生活と言えるだろう。


 その職場に、10代のスタッフが入ることがアナウンスされたのは突然のことだった。

 珍しく、スタッフ全員を集めての朝礼。室長の向田が切り出した。


「10月から新しい仲間が加わることになりました。この春に高校を卒業したばかりの女性です。須藤さんのチームの所属になりますが、わからないところも多いでしょうから、対策室全員でいろいろフォローしてあげて下さい。彼女は…」

 向田はちょっと誇らしげとも見える笑顔で一同を見渡した後、こう続けた。

「彼女はシーカーと言われる能力者です。この絵洲市の未登録ウィンガー保護に大いに力を発揮してくれることを期待されてます」


 シーカーは翼が発現していない状態でもウィンガーかどうか判別できる能力者だ。世界中で見ても、報告例は10人に満たず、しかもその半数以上はウィンガーだった。一般人のシーカーは国内で報告されたのは初めてのことだという。


「格闘技や特殊なスポーツの経験なんかは一切ないし、高校も普通科の出身。その点は、現場に連れて行くには注意しなきゃならないね。研修は受けてくるけど、実際ここに来てから教えなきゃならないことも多いと思う。みんな協力お願いしますよ」

 オフィスに戻ると、須藤はそう言った。


「この間の事件の時に見つけた子でしょう?よく、本部がここに寄こしましたね」

 いつもながらの仏頂面でワタナベが言う。

 須藤よりだいぶ年上のワタナベは生真面目な性格で、そう口数が多い方ではない。ウィンガーである須藤の下で働いているにもかかわらず、ウィンガーを嫌っていると、もっぱらの噂だ。


「え、ワタナベさん、会ったことあるんですか?」

 これもいつものことだが、アベが無邪気に口を挟む。身長もあるが、横幅もかなりあるアベは、丸い顔に興味の色を隠そうとしない。

 今のところ、チームの中で最年少のアベは、新人、それも高校を卒業したばかりの女の子と聞いて、明らかにソワソワしていた。


「先月末頃に、家出少女ウィンガーを保護したことあったでしょ。あの時にちょっとね」

 ワタナベの代わりに須藤が答える。須藤はさらに続けた。

「本部の方では水際対策として、彼女を国際便の発着空港に勤務させたかったみたいだけど、室長が今の絵洲市の現状にこそ、有用な人材だって交渉してくれたんだよ。実家が絵洲市内というのもあって、まずは半年間を目安にここで実地研修というわけです」

 ワタナベが不満げに溜め息をつく。

 アベは終始ニコニコしている。

(若い女の子が来るってだけで上機嫌だな)

 彼女いない歴イコール年齢のアベからしょっちゅう

「いい子いたら紹介してくださいよ〜」

 と、泣きつかれている隼也には容易にアベの考えが想像できた。

 アイドルみたいなかわいい女の子に、

「よろしくお願いします!」

 なんて、微笑まれることを期待しているのだろうが、アベと同じような体格の男勝りな子だったりしたらどう反応するだろう?

 隼也はそんな想像の方が面白かった。


 正直、隼也は新人の女の子にそう興味を持っていた訳ではなかった。

 シーカーという能力には興味をそそられるが、その能力がどれほど役に立つのかは疑問だ。

 結局のところ、翼の発現をビデオに収め、言い逃れのできない証拠として突きつけなきゃならないのは変わらない。その現場で最も重要なのは、体を張ってウィンガーと対峙する自分たちだろうという、自負がある。


 10月1日の朝、須藤に連れられてオフィスに入ってきたのは、隼也の目には全く平凡な、としか見えない少女だった。

 可もなく不可もなく、という言葉が思い浮かぶ。


 体格も顔立ちも特に目立つところはない。やや幼さの残る顔立ちを気にしてか、化粧は濃いめだ。緊張しているのか笑顔はなく、伏し目がちの視線は誰とも合わなかった。


「こちらがみんなお待ちかねのサイトウ アイさん。アイさん、自己紹介してくれる?」

 須藤のさわやかなスマイルにもつられることなく、アイは固い表情のまま、頭を下げた。

「サイトウ アイ、です。シーカー…です。頑張ります。よろしくお願いします」

 若干どもりながら、一気にまくし立てる。

 小学生の挨拶でもあるいし、と隼也は苦笑した。緊張している様子が微笑ましい、なんて肯定的な意見は出せない。危険と隣り合わせの職場に子供はいらない。

 須藤がメンバーを一人一人紹介する。アイは一応顔を上げて、顔と名前を一致させようとする様子は見られた。


「今週はまず、情報処理部でここでやっていることの全体的な流れを見てもらおうと思う。今のところ、直接出向いて調査しなきゃない案件もないしね」

 須藤の言う通り、ここ最近は目立ったウィンガー関連の情報はなく、毎日、ネットニュースを拾い読む日々だ。


 今時は現地調査よりもネット内のウワサ話の方が、重要な情報源だったりする。もちろん、隼也にとっても、ほかのメンバーにとっても退屈極まりない作業だ。


「無愛想なおっさんばかりで悪いね。ほかの部署には若い女性もいるから、そういう人たちと仲良くなった方が、なにかと話も聞いてもらえるかもしれない」

 エレベーターへ向かいながら、須藤は

 慰めるようにそう言った。

「まあ、どこに行っても一番若いのは変わりないけど。それぞれ、部長クラスはアイさんの実年齢とか、把握してるから。あんまり気負わないで、周り頼って大丈夫だよ」

「はい」

 アイは短く頷く。それから、ふと不安げな眼差しで、須藤の顔を伺った。

「あの…兄のことも皆さんには黙ってていいでしょうか?」

 須藤の目がわずかに細まる。

「もちろん。言いたくなければ、いう必要はないよ。ーお兄さん、ご実家にいるんだよね?」

「…はい」

「ここの仕事とか、興味ないかな?いてくれれば、僕も助かるんだけど」

 アイはハッとしたように顔を上げた後、すぐに諦めたように伏し目がちになった。

「今は…無理そうです。なんか…外に出る気ないみたいで」

「そっか。でも、仕事したいって言ったら、ここのこと言ってみて。ま、少々危険はあるけど、他よりも給料はいいからって」

 どこまで本気か分からない須藤の口調だが、アイにはその軽さが良かったらしい。今日ここへきてから初めて笑顔を見せた。


 エレベーターで1つ下の階に、未登録翼保有者対策室のいわば本部がある。須藤はアイを面談室へと連れて行った。

 机一つに椅子が4脚あるだけのシンプルな部屋だ。

 待っていたのは三嶋あかりだった。


 ショートカットのキリっとした美人。椅子から立ち上がった時の、すらりとした立ち姿が綺麗だった。

「情報処理部門、サブリーダーの三嶋さん。しばらくは彼女が教育係でついてくれるから」

「三嶋あかりです。よろしくお願いしますね」

 あかりはそう言いながら、アイの顔をじっと見た。

「16歳、なんだよねー、やっぱり肌のツヤが違うわ〜」

「え、?あ、そんな…」

 思わずアイははにかんだ。脇で須藤がわざとらしく、ため息をつく。

「そこで、そうだよね〜って言ったら怒るんでしょ。あ、彼女はアイさんの年齢とか、ご家族のことも把握してるから。遠慮なく、いろいろ聞いてね」

 須藤は女性2人に座るよう勧めながら、自分も腰を下ろした。


「年齢のことはね、特殊公務員ということでクリアしてるけど、いろいろうるさい人もいるからね。特定の人だけ知ってればいいと思うんだ。それでいいかな?」

 須藤の言葉にアイは頷く。ここへ来る前にも何度か確認されてきたことだ。

「お兄さんがウィンガーということは、身体能力の変化とかは実際見てるかな?」

 アイは少し体を強張らせた。



 兄の海人がウィンガーであることを家族に打ち明けたのは、高校一年生の時。アイは中学一年生だった。

 真っ白な翼はキラキラと輝いているようにさえ見えた。

 広げると、兄の両手の幅を超え、大して広くないリビングの壁一面を覆いそうだった。


「すっっっごーい!!」

 手を叩いて興奮するアイの横で、両親は立っていることも、言葉を発することも出来ず、顔面蒼白になっていた。

「なんか!なんかできるんでしょ?!ほら、アクション映画みたいなこととか!」

 両親の様子など御構い無しで、そう詰め寄る妹に、海人は苦笑した。

「んーと、そうだな…」

 リビングの中を見回し、ウォーターサーバーのストックボトルに目を止めた。

 12リットル入りのボトルを片手で軽々と持ち上げる。そのまま、海人は庭へ出た。

 いそいそと後を追って外へ出たアイの前で、海人はなんの予備動作もなく、ボトルを空中へ放り投げた。

 まるで普通のボールのように高々と放り上げられたボトルは二階の屋根を超え、クルクルと回転しながら上がった時と同じ軌跡を戻ってきた。

 さすがに、ヒッと息を呑んでアイは後ずさったが、戻ってきたボトルはなんのこともなく、海人の手に収まった。背中の翼がふわっと広がり、かすかに風を起こす。

 よろけることすらなく、12キロのボトルをキャッチし、海人はちょっと得意げに妹を見た。

「すごーい!すごい!すごい!」

 興奮状態で飛び跳ねるアイの後ろから

「やめなさい!!」

 金切り声が飛んだ。

 母親が庭へ出るガラス戸にすがりつくようにして立っている。

「やめて…ちょうだい…」

 呆然とするアイの前で、母は絞り出すように言い、声もなく泣いた…



「翼は何回も見せてもらってるんですけど…それで走ったり、ジャンプしたりとかはあんまり見てないです。うちの親が…嫌がって…」

 須藤が残念そうに口を尖らせた。

「やっぱりちょっと人間離れした能力って嫌煙されちゃうのかね〜 素直に賞賛してもらえると嬉しいんだけどな」

「あなたのように、得意げに能力を披露して楽しむウィンガーの方が少ないでしょ」

 あかりのストレートな物言いに、アイは内心ギョッとした。素早く2人を見比べる。

 須藤は気を悪くした様子もないし、あかりも当たり前のことを言ったに過ぎないという顔だ。


 海人以外のウィンガーにも、何人か会ったことはあるが、みんなウィンガーであることにあまり触れて欲しくないように見えた。能力をひけらかす様子など、見たこともない。

 アイの戸惑いをよそに、須藤は自分が翼を出した時の様子を収めた動画を見せておくよう、あかりに告げた。


「どんな力を持った人間を相手に仕事するのか、わかっていて欲しいんだと思うわ。その能力をコントロール仕切れないような人たちも相手にするわけだし…」

 須藤がアイをあかりに託して出ていくと、あかりはそう言った。

「研修でも資料とか、動画は見たでしょうけど。結構、須藤さんの翼、見ただけで顔引きつらせて固まっちゃうスタッフもいるのよ。アイちゃんはお兄さんの翼を見てたりするから、大丈夫だと思うけど」

 アイは頷いた。

「私は、お兄ちゃんの翼、いつも綺麗だなって…思ってましたけど。そう思う人の方が少ないんですよね」

 ウィンガーに対して、生理的にというか本能的に恐れを抱くのが一般的なのだと、アイがわかってきたのは最近だった。


 兄の同級生もだけど、実はアイの同級生にもウィンガーがいる。

 身の回りに複数のウィンガーがいたことで、少し感覚が麻痺していたのかとも思う。

 あかりはちょっと嬉しそうに笑った。

「よかった。私も須藤さんの翼、いつもステキだと思ってるんだけど、そう言うと、みんなに結構引かれるのよ」

 思わず、アイも笑った。

 年頃も違う、隠し事の多い仕事場に気負ってきたが、いい出会いもありそうだ。

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